第10話 ロマンでしょうか

 珍しくライオットがキッチン――通常の調理設備もあるが、簡単な電気分解装置もある――にやってきたので、トールは驚いた。


「どうしたんですか? コーヒーなら、持っていきますよ」


「あのさ、サラってどんな人?」


 唐突にライオットは尋ねた。


「以前にも話しました通り、きれいで聡明で」


「そういうお世辞じゃなくてさあ」


「本当ですよ」


 また苦笑してトールは言った。


「独特の感性をお持ちですね。ロイド・クリエイターはみんな、そういう傾向がありますけれど」


「独特って、たとえば?」


「リンツェロイドが恋をしていると言ったり」


「……ふうん」


 ライオットはちらりとトールを眺めた。


「してんの?」


「はい?」


「トールちゃん。恋」


「僕ですか? 僕が、誰に恋をするんです」


「誰でもいいけど」


「幸いにして、僕にそんな特殊なオプションはありませんよ。アカシに訊いてもらってもいいです」


「オプションつければできるかな? 恋」


「擬似的な、ということになるでしょうけれどね。プログラムに従った擬似感情を恋と言うのであれば、できるんじゃないですか」


 トールは模範解答と言えそうな答えを返した。


「興味あるよね?」


「いえ、僕はあんまり」


「ふうん」


「ライオットは興味あるんですね。前にも言っていたようですけど」


「うん、あるよ。でも肝心のマスターが興味ないみたい」


「ではサラのところに行ってみたらどうですか」


 トールはライオット用のステッパーをコーヒーカップに注ぐと、はいと言って差し出した。


「彼女なら、つけてくれるかもしれませんよ」


「それって」


 ライオットはカップを受け取ろうとした手をとめた。


「どういう冗談?」


「え? どういうと言われても」


 トールはもう一度カップを差し出した。


「ただの冗談ですけど」


性質たち悪いなあ」


 そこでライオットはステッパーを受け取った。


「マスターみたい」


「そ、そうですか?」


「だって、そうじゃん。マスターがやってくれないのが不満なら余所へ行けば、なーんてさ」


「そういう意味ではなかったんですが。そう取れますね。すみません」


 申し訳なさそうに彼は謝罪した。


「もしかしてさ、トール」


 彼はステッパーをすすった。


「そのオンナに、何か言われたの?」


「は?」


「駄目だよー、女の甘言に耳傾けちゃ。いくら、ヴァージョンアップしてくれるとか言われても」


「言われてませんよ!」


 トールは慌てて否定した。


「そりゃ、勧誘は受けましたけど、あれこそ彼女の冗談ですし」


 たぶん、と彼は思った。


「勧誘う?」


「ですから、冗談です。だいたい、ヴァージョンアップは、マスターにやってもらわなきゃ意味ないです」


「へえ?」


 ライオットは片眉を上げた。


「『誰がやっても同じ』じゃない?」


 彼は先ほどのトールの言葉を使った。トールは返答に詰まった。


「それは……」


「あー、ごめんごめん。俺のも、冗談。判るよ、トールの気持ち」


 取り繕うように弟は言った。


「俺だってヤだもん、マスター以外は。そういうプログラミングなのかな? だとすると、つまりはあれだね」


 彼は笑った。


「マスターは、自分の子供たちを他人にいっさい見せたくないって訳」


「そんなことは、ないでしょう」


 戸惑ってトールは言う。


「現に、ほかのリンツェロイドは……」


「販売用と俺らは違うでしょ。どうしていちいち、そういうこと言わなきゃならないかなあ。トールにも、アカシにも」


 呆れてライオットは返した。


「俺らは特別だよ」


「そう……でしょうか」


「何でそこで迷うの? どう考えたって特別じゃん」


「でも……」


「あのさ。もうちょっと様子見ようかと思ってたけど、我慢できなくなってきたから俺も訊くよ。さっきから、ううん、この前から何をごまかすのさ、トール」


「ごまかす? 僕がですか?」


 彼は少し笑った。


「マスターじゃあるまいし」


「トーォル」


 ライオットはオーの部分を長く伸ばして兄を呼んだ。


「そんなに弟は信頼できませんか、お兄ちゃん」


「何言ってるんですか。あなたも言う通り、僕たちは兄弟みたいなものなんですから、信頼しているに決まっています」


「じゃあ言ってよ」


 ライオットは唇を尖らせた。


「トールのに」


 と、彼は胸――人間で言えば心臓に当たる部分――を叩いた。


「引っかかってるモノのこと」


「――ここ」


 不思議そうにトールは、自身の同じ場所に手を当てた。


には、何がありますか、ライオット」


「何って」


 ライオットは苦笑いを浮かべた。


「まあ、ロマンのない話をするなら、電気分解用の装置だよね。厳密には、もうちょい下だけど」


 彼は適当に手を動かした。


「ロマン」


 トールは繰り返した。


「僕たちに『心』があるというのは、ロマンでしょうか」


「実際には、ないからねえ。ロマンじゃない? それともファンタジー」


「ファンタジー」


 彼はまた繰り返した。ライオットはうなずいた。


「そうそう。マスターの好きな」


「マスターの?」


「でしょ? あの人、口では断固と否定しておきながら、内心ではクリエイターにあるまじきファンタジストじゃない?」


「ライオットには、そう見えるんですか」


「トールは違うの?」


「僕は……」


 彼は答えを躊躇った。


 真実を誰よりもよく知っているはずのクリエイターが――彼らのマスターが、時折言う、奇妙なこと。


 ロイドが想定外の動きをしたとき、そこにはエラーを引き起こす記述ミスがある。当たり前のことだ。


 だが、もし。


 もしも、なかったら?


(これはプログラムのバグかな?)


(所有者の勘違い?)


(――それとも?)


 それとも「何」だとマスターは言うのか。その言葉の先が発せられたことはない。

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