最終話 ケルベロスの悪魔的純情

 リリスは横に飛びのいて、ベルの強襲をかわした。そしてサーベルを構えつつ身体を反転させ、着地したベルに斬撃ざんげきを浴びせようとした。


「甘いですぅ!」


 ベルはそのやいばを素早く避け、再び攻撃を仕掛けた。

 瞳に宿る敵意は燃え上がる一方だ。



「エボニー、どうしよう。わたし達、完全に蚊帳かやそとだけど・・・ベルちゃんを支援するべき? それとも止めるべき?」


「・・・成り行きに任せよう。ベルは結構頑張ってる。もしかすると本当に・・・!」


 本当にリリスを、倒してしまうかもしれない。

 そうしたら、自分達は魔界へ帰還できるのだ。エボニーとセピアは、わずかな希望に胸をおどらせた。



 ベルが高くジャンプし、上方からリリスを狙った。


「今度こそぉっ!!」


 落下と同時に振り下ろされたナイフを、リリスはサーベルで受け止めた。

 ベルの全体重が乗せられた攻撃であるにもかかわらず、受け止めたリリスの体幹たいかんは一切ブレることがなかった。


「あははっ・・・!」


 リリスは楽しげに笑うと、サーベルのつかを握る手に力を込めた。

 一瞬、瞳の色がむらさきから、髪と同じ深紅しんくに変わった。


 リリスがサーベルを振り上げると、ガキンッという鈍い音が響き、ベルのナイフが弾き飛ばされた。


「ツッ!」


 ベルはリリスの追撃をかわすと、地面に転がったナイフを慌てて回収した。


 そして──目を見開いた。


「ああぁ〜っ!!」


 サーベルで弾かれた際に受けた、衝撃のせいだろう。

 ブレードに大きなヒビが入っていた。しかも、ヒビが入ったのは『Cerberus』と刻印が打たれた部分だった。


「ううっ・・・」


 ベルはその場に座り込み、ポロリと涙をこぼした。


「うわあ〜ん!! ナイフがぁ〜!!」


 そして、子供のように泣きじゃくり始めた。数秒前までの気迫がまぼろしだったかのようだ。


「せっかくプレゼントしてもらったのにぃ・・・ううっ・・・!!」


 このナイフは、魔界から地上へ旅立つベルに向けて、友達の悪魔が餞別せんべつとして贈った物だ。

 意思一つで手元に呼び出せる便利な代物だが、ヒビが勝手に修復されるわけではない。


「リリスねえさんのばかあぁ~!!」


「・・・・なによ、泣かなくたっていいじゃない。幼稚ようちな子ね」


 リリスは泣きじゃくるベルを見下ろし、興醒きょうざめとばかりに溜息をついた。


「これじゃあ、姐さんからベリアル先輩を奪えないよぉ・・・!」


「はぁ? なにそれ?」


 ベルは、涙で濡れた瞳をリリスに向けた。


「だってベリアル先輩はぁ、姐さんと一緒にいるんでしょ・・・?」



 候補生だったベルは、先輩にあたるベリアルに恋愛感情を抱いていた。

 しかしリリスが追放されたのと同じ頃、ベリアルは突然仕事を辞め、魔界からも去ってしまったのだ。



「・・・言っておくけど──」


 リリスは呆れた表情を浮かべた。いつの間にか、手の中にあったサーベルは消えている。


「わたし、知らないわよ。ベリアルがどこにいるかなんて」


「ふえっ? で、でもぉ・・・ベリアル先輩が魔界を去ったのは、姐さんがまどわしたからなんじゃ・・・」


 リリスは気だるげに髪をいじった。


「ベリアルが治安維持部を辞めて魔界を去ったのは、彼自身が魔界の生活に飽きていたからよ。わたしは関係ないわ。地上でベリアルを探してはいるけど・・・ベリアルったら、わたしから逃げてるのよね」


 ベルは、ポカンと口を開けた。


「・・・じゃ、じゃあ姐さんとベリアル先輩はぁ〜そのぉ、ロマンチックな関係じゃないってことですかぁ?」


「ロマンチック? そんなわけないでしょ」


 リリスはケラケラと笑った。


「! そ、そうなんだぁ〜・・・!」


 ベルの泣き腫らした目に、明るい光が戻ってきた。ベルはノロノロと立ち上がり、涙をぬぐった。


「えへへ〜じゃあ、わたしの勘違い──」


「まあ、わたしもベリアルのこと・・・だぁい好き、だけどね」


 リリスはニヤリと笑った。


「えっ」


 その危険な笑みを見て、ベルは硬直した。


「でもねえ・・・わたしはベリアルを見つけてら、ロマンチックな関係になんてなったりしないわ」


 リリスは、ハァッと色香いろかまとうような溜息をつき、両手を胸元に当てた。ほおはほんのりと赤く染まり、瞳は欲望でうるんでいる。きっと彼女の体温は上昇していることだろう。



「わたしは大好きなベリアルを食べちゃいたいの。そうして、永遠にわたしのものにするのよ」



「! ぶっ倒すっ!! やっぱり姐さんはぶっ倒しますぅっ!!!」


 ベルはヒビの入ったナイフを握りしめ、無我夢中でリリスに斬りかかった。


「あははっ、そんな壊れたオモチャじゃわたしは殺せないわ」


 リリスは高らかに笑い、全ての攻撃をかわした。


「姐さんがベリアル先輩を見つける前にぃ、姐さんを討ち取ってみせますぅ! そして〜わたしがっ、先輩に愛の告白をするんですぅっ!!」


 ベルはナイフを左手に持ち替え、右手で思いっきりパンチを放った。

 その強い拳を、リリスは片手で受け止めた。


「やってみなさいよ、ベル。わたしは絶対負けないけど」


 受け止めた方の手が、パンチの衝撃で震えている。それを見て、リリスは満足げに笑った。

 そしてささやくように「またね」と言うと、闇の中へ姿を消した。


 ベルは拳を虚空に振り下ろし、ボソリと呟いた。


「・・・姐さん。またすぐに、会いに行きますぅ」



 拠点の前に、もとの静寂が戻った。

 傍観ぼうかん者に徹していたエボニーとセピアが、おずおずとベルに近づいていく。


「ベルちゃん? 大丈夫?」


 心配そうなセピアに、ベルは満開の笑顔を見せた。


「・・・はいっ! ますます、やる気いっぱいになっちゃいましたぁ! わたし、ひとまず魔界に戻ってぇ、ナイフを修理してもらってきますねぇ〜!」


 ベルが地面に両手をかざすと、魔界に転移するための魔法陣が出現した。


「ちょっ、そんなに急がなくても・・・」


 エボニーが引き止めようとしたが、ベルの耳には届いていないようだ。


 ベルは魔法陣を起動させ、エボニーとセピアに向かって元気よく手を振った。

 彼女の足元には、ミンキーがちょこんと座っている。いつの間にへいから降りてきたのだろう。


「それじゃ〜エボニーさんっ、セピアさんっ、行ってきますねぇ! 帰ってきたら、直ったナイフで今度こそ、リリス姐さんを討ち取ってみせますぅっ!!」


 次の瞬間、ベルとミンキーは魔法陣へと吸い込まれていった。



「「・・・いってらっしゃ〜い」」



 残された二人は、魔法陣の消えた地面を呆然と見下ろした。


「この役目から解放されると思ったが・・・」


「ぬか喜びだったわね・・・」



 ベリアルを巡る女の戦いは、ベリアル本人の全く知らないところで、不毛なシステムに変化をもたらした。

 しかし、勝敗が決まるまでには時間がかかりそうだ。



「地上勤務はまだまだ続きそうだな・・・」


「・・・とりあえず、中でお茶でも飲む?」


 二人はそろって、乾いた笑い声を上げた。



 ──その頃、ベリアルはそう遠くない場所で、呑気にラーメンをすすっていた。命懸けの三角関係に巻き込まれていることに、果たして彼はいつ気づくのだろうか。



〜おしまい〜

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討ち取りたいのは愛のため! おっとり悪魔と恋敵 胡麻桜 薫 @goma-zaku-12

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