間幕 虐殺
レオ・ミリギィが首筋から血を噴き出させた後、倒れ込んだのを見て、晴香はあっと声を上げた。
乱入者はロイ・エクトールだった。
晴香は立ち上がり、広場に開いた大穴を避けながら、ロイの元へと駆け寄った。
「ロイ、戻ったの?」
晴香がそう口火を切る。
「ええ。ついさっき。しかし、まさかマロウス城がこのようになっているとは……」
彼の彫りの深い顔が、やや苦渋に歪んでいる。いつもひょうきんなロイだが、今回ばかりは動揺しているようだ。
「この獣人、私を狙ってきたみたいなの」
晴香は、ゴーレムの足元で倒れているレオを顎でしゃくった。両目は完全に潰れており、血まみれの肉体も相まって、ホラー人形のような有様である。
かすかに痙攣をしていることから、まだ息はあるようだ。だが、もう長くはないだろう。尋問するなら、今しかない。聞きたいことは山ほどあるのだから。
晴香はしゃがみ込むと、レオの耳に口を近づけ、質問を行う。
「レオ・ミリギィ。答えなさい。あなたが言った『音楽会』って一体なに?」
だが、レオは答えなかった。古びたディーゼルエンジンのように、荒い息を繰り返しているだけだ。
晴香は、レオの黒い鬣の上部を掴むと、顔を引き上げた。穴が開いた両眼から、コップを傾けたように、血が流れ出る。
「さっさと答えなさい! 答えれば治療してやるわ」
レオは無言。荒い吐息のみが、口から漏れている。もはや意識はないのかもしれない。
これでは、拷問にかけても無駄だろう。第一もうこいつは死ぬ寸前だ。仮に彩音がいても、蘇生すら厳しいだろう。
晴香があきらめようとした時だ。レオの口から、か細い声が漏れ出てきた。
晴香は慌てて、レオの口元へ耳を近づける。彼はぼそぼそと、不明瞭な言葉をしきりに呟いていた。
聞こえない。何て言っているんだ?
晴香はレオの鬣を掴んだまま、声を張り上げた。
「はっきり喋りなさい! レオ! 『音楽会』の正体とアルチナについて教えなさい!」
晴香の言葉に反応したのか、レオは先ほどよりも、大きく口を開いて言った。
「パパ、ママ、僕はゴミの山から騎士になったんだよ。あとね、名家の息子にもなったんだよ。すごいでしょ」
レオは、少年のような口調と表情でそう呟いた。
騎士? 名家? 意味がわからないが、この男は幻覚のようなものを見ているらしかった。
次第に、レオの呼吸が浅くなる。彼の命の灯火が、今まさに尽きようとしていた。
晴香は、最後のチャンスとして、悲鳴に近い声で質問を行う。
「『音楽会』は全員で何人? 全員がスキルを持っているの? 本拠地は? 『魔女』の正体はなに?」
晴香の矢継ぎ早の質問に、レオは答えなかった。
やがて、レオの呼吸は蚊よりも小さくなり、完全に聞こえなくなる。
彼の命は、この世界から去ったのだ。
「ちくしょう!」
晴香は、掴んでいたレオの鬣を、乱暴に離した。
『黒獅子傭兵団』団長のレオ・ミリギィの討伐は果たしたが、マロウス城は惨澹たる状態だった。
本館や別館は大部分が崩壊し、至る所に激しく損壊した死体が転がっている。その上、憲兵隊本部前の広場には、崩れたゴーレムの残骸が廃棄物の山のように積もり、地面には大穴も開いていた。
幸い、アーニャやマロウス要人たちは、親衛隊や近衛兵たちが避難をさせていたようで、無事だった。
ゲオルグやタイスも重症を負ってはいるものの、命に別状はないらしく、今救護室にて彩音による治療を受けている。和枝も軽症ではあるが、同じく救護室だ。
そして――。
晴香は、大地震の爪痕のように荒廃した憲兵前広場を歩き、隅の方へいく。
そこには、マロウス兵により、救助された史園清茂がいた。彼は地下への崩落に巻き込まれたにもかかわらず、大した怪我は負っていないようで、今はメイドから軽い処置を受けている最中であった。
晴香が近づくと、清茂はこちらに顔を向け、朗らかな笑みを浮かべた。
「やあ、峰崎さん。無事で良かったよ」
晴香は、清茂を見下ろしながら訊く。
「史園君、一体なぜ、あなたがこの城に?」
「君を救うためさ」
「私を救う……?」
どういう意味だろう。晴香は訝しがる。
治療が終わった清茂は、ゆっくりと立ち上がった。彼とほぼ同じ目線となる。清茂は、晴香よりやや高いくらいの身長だ。男子にしては、小柄な部類である。
晴香は再度、質問を行った。
「史園君、さっきの言葉、どういう意味?」
「そのままの意味だよ。僕は君を救うためにここにやってきた。だから、危険が迫った君を守った。それだけさ」
少しの邪念もなさそうな、無垢な顔。彼が本気で言っていることを窺わせた。
「まあ結局やられちゃったけど……」
清茂は、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「……」
要領が掴めない晴香は、首を捻る。
同時に、疑問が湧き起こった。今、清茂は晴香の直近にいる。間違いなく、ワキガの臭いが鼻へと届いているはずだ。
臭くないのだろうか。前の世界の人間たちや、転生したクラスメイトたちのように、鼻柱を歪めたりなど一切していないが……。
晴香は、両手を軽く広げて言う。
「意味がわからないわ」
清茂は、銀縁眼鏡の奥にある目を、優しげに細めると、説明をしてくれた。
説明を聞き終わった晴香は、自身の中にあった疑問と警戒心が、氷のように溶けていくのを感じた。
彼の言葉の真意は、つまるところ『後悔と贖罪』のようだ。いじめられ自殺した晴香を助けられなかった自分が許せず、晴香を救う『ナイト』になるつもりらしい。
説明が終わった後、清茂は心配げに尋ねてくる。
「それで、峰崎さん。君は今も苦しんでいないかい? その……『ワキガ』のせいで嫌な目にあってないか?」
「ああ、そのことだけど……」
晴香がそこまで言いかけた時だ。「ハルカー」と、背後からアーニャの甲高い声が聞こえてきた。
アーニャは晴香の元まで駆け寄ると、腰へと抱き付いてくる。
「晴香、勝手にいなくならないでよ」
そして、アーニャは、顔を上げ、エメラルドグリーンの瞳を輝かせながら、明るくお願いをする。
「ねえ晴香、ワキガの匂いを嗅がせて」
「いいですよ」
晴香はアーニャを抱っこすると、脇を広げた。そこにアーニャが顔を突っ込み、匂いを嗅ぐ。
アーニャは、陶酔感に包まれた表情を見せた。
晴香は、目を丸くしている清茂に言う。
「ね、こういうことだから、大丈夫」
しばし、驚愕の表情を崩せない清茂だったが、やがて安堵したように笑った。
「よかったよ。僕が耳にした『噂』の通りだ」
そして、清茂は頭を下げる。
「それでも僕の気持ちは変わらない。必ず君を守り続ける。罪滅ぼしをさせてくれ」
清茂は、騎士のように、重々しくそう宣言をした。
晴香は、アーニャにワキガの臭いを嗅がせながら思う。
なるほど。彼は真に本気でこちらを守るつもりのようだ。善意や正義感からくるものだろう。
彼の本意。そして、披露したスキル。後で充分話を聞く必要があるが、引き入れる価値はあるように思えた。
いいだろう。彩音や和枝と同じく、晴香はこの男からいじめられたことがない。そのため『復讐のリスト』には入っていないが、だからこそ利用することが可能だ。
クズ共に復讐するため、そして、異世界を手中に収めるため。
「うん。こちらからもお願いするわ」
晴香は爽やかに笑い、清茂へ返答を行った。
清茂とのやりとりが終った後、晴香はアーニャと手を繋ぎ、マロウス城前の広場へ向かった。
そこには、大勢の獣人たちが捕縛されていた。
この獣人たちは『黒獅子傭兵団』の残党である。マロウス兵が周囲を取り囲み、後ろ手で拘束されたまま綺麗に整列している様は、護送される直前の囚人のようであった。
彼らは自らの頭領により、半数以上が殺されたものの、まだ相当な数の団員が生き残っていた。
先に死んだのが、戦闘を主にする部隊の者たちばかりだっため、残るは後方支援や援護隊員ばかりであり、捕縛に際しては、マロウス側の損害は少なくて済んだようだ。
「状況はどう?」
晴香は、その場にいたグスターフに訊く。
グスターフは、力なく首を振った。
「全員『音楽会』なる組織について知らないようです。しかし、本当のことを話しているのかどうか……。あとで拷問にかけましょう」
禿頭の下にある額に皺を寄せながら、グスターフがそう言う。しかし、晴香は首を縦に振らなかった。
「必要ないわ」
晴香はアーニャから手を離すと、一人で獣人たちの前へ歩いていく。背後でグスターフが注意を促す言葉を発するが、晴香は無視をした。
晴香は、獣人たちの前に立った。風が後ろから前へと、流れていることを確認する。
しばらくすると、反抗的な居住まいだった獣人たちは、一様に顔を弛緩させた。蕩けるように、目尻も下がる。
風に乗って、彼らへ『ワキガ』の臭いが届いたのだ。
晴香は、先頭にいる狐のような容貌をした獣人へ質問を行った。
「あなた名前は?」
「レンバ、と申します」
「所属と階級は?」
「工作部隊隊長であります」
レンバは、後ろ手に拘束されたまま、恭しくおじぎをした。
「『音楽会』という組織名ついて知ってることある? あなたの傭兵団のリーダーが所属しているみたいだけど」
「存じません。先ほど初めて聞いた名称でございます」
「じゃあ、アルチナ・オルランドという名前は?」
「それも、存じ上げません」
晴香は、ふーっとため息をついた。『ワキガ』を嗅いでいる以上、嘘はついていないだろう。この獣人は、本当に知らないのだ。
晴香は続けて質問をする。
「レオ・ミリギィのスキルについて知っていることを話しなさい」
「スキル?」
「彼が使っていた不思議な力のことよ」
「詳しくは存じません。物質を操作することくらいしか。ただ、『黒獅子傭兵団』の団長に就任して以降、使用しておりました」
途中で覚醒したということなのだろうか。少なくとも、例の女神は関わっていないようである。ますます不可思議だ。
「他にスキルを使える者を知っているの?」
「いいえ。私が知る限り、団長のみでございます」
「レオのスキルを知っている者はどれほどいるの? 『落城の黒獅子』って呼ばれていたけれど」
「おそらく『黒獅子傭兵団』の団員くらいかと。レオ団長は力を行使した後、それを知った相手を必ず殺すようにしていたため、あまり外部に漏れることはないようでした」
確かに、その方法を使えば、スキルの正体は秘匿できるだろう。多少取りこぼしが発生し、情報が漏れても、冗談や都市伝説の類に留まるはずだ。
同時に、それは『音楽会』にも言えることだと晴香は思った。何人いるかわからないが、『音楽会』の人間がスキルを使えて、なおかつ、同じように口封じを徹底していたとしたら、証拠はほとんどないに等しいはずだ。
アルチナがそうであったように。
その後、晴香はレンバに対し、いくつか質問を重ねるが、成果は芳しくなかった。
他の傭兵たちにも訊くが、レンバの話した内容と大差がなく、徒労に終わった。
『黒獅子傭兵団』の残党たちへの尋問が一通り終わった後、晴香はグスターフとアーニャの元へ戻った。
結局のところ、『音楽会』なる組織について、ろくな情報を得ることができなかった。危険な組織である可能性が高いというのに。
今回、レオ・ミリギィに勝てたのは運がよかっただけだ。彼と同等の力を持ち、ワキガに従属しない『魔女』が他にも複数いて、こちらの情報を知った上で襲ってくるとなると、次こそ晴香は籠の中の鳥になるかもしれない。
心の中が、少しざわめいている。脅威が遠くからこちらへ標準を合わせているのに、何も対処ができないもどかしさ。ストレスが溜まる。
晴香の心情を察したグスターフが、お伺いをたてるように、尋ねてくる。
「あの、晴香様。獣人たちの処遇はいかがいたしましょう?」
晴香は、チラリと『黒獅子傭兵団』の残党たちに目を向けた。
それから、グスターフに伝える。
「彼ら全員を記念広場に連れて行きなさい」
王都マロウスの南にある広大な記念広場の中央に、傭兵たちが並んで座っていた。すでに手枷は外されているものの、誰一人逃げる者も反抗する者もいなかった。
羊の群れのように、大人しい傭兵たちをマロウス兵が取り囲み、さらにそれを、マロウスの一般庶民が取り囲んでいる。
晴香がお触れを出し、召集させた観衆だ。
その観衆の中には、アーニャやマロウスの要人たち、彩音のスキルにより復帰したゲオルグ他、同じく復帰したタイスなどのルーラル村のメンバーもいた。清茂を含む、元クラスメイトの三人の姿もある。
晴香は観衆が見守る中、傭兵たちの前へ佇んでいた。
晴香は、彼らを見下ろす。
不埒な獣共。世界の女王となる者を標的に襲撃してきたばかりか、大した情報も提供できない役立たずであれば、もう生かしておく意味はなかった。
晴香は周囲の兵に命じ、傭兵たちに武器を与えさせた。
生暖かい風が、記念広場に吹いている。空は陰りが見え始め、暗雲が覆いつつあった。これから雨が降るかもしれない。
傭兵全員に武器が行き渡ったことを確認した晴香は、声高らかに彼らへ命令を下す。
「あなたたち、全員自害なさい!」
晴香の命令を聞いた傭兵たちは、王からの賛美を受けた家臣のように、一様に顔を輝かせた。
「喜んで!」
そして、手にした武器を使い、自身の首や胸などに武器を突き立てる。
広場の中央に、赤い花が咲き乱れた。鮮血が地面へと広がり、濃厚な鉄錆の臭いが風に乗って流れる。
傭兵たちは、全員が絶命していた。工作部隊隊長のレンバも、喉を切り裂き、恍惚の笑みで息絶えていた。
これで『黒獅子傭兵団』は、全滅したことになる。今頃、先に常世の国へ旅立った団長と、感涙の再会をしていることだろう。
晴香は、大きく息を吸う。血の香りが心地いい。
しばらくその場にいると、観衆から碁石を打つような音が聞こえてきた。
それは次第に、大きくなっていく。
万雷の拍手が、広場へ響き渡った。観衆は口々に称賛の言葉を投げかける。
「晴香様素敵!」
「格好よかったわ!」
「素晴らしいものを見せてくれてありがとう!」
観衆は誰もが笑っていた。誰もが出来のいい歌劇を見た時のように、絶賛していた。
アーニャやグスターフ、ゲオルグも同じだった。楽しそうに笑い、晴香を称賛している。タイスやシルヴィアたちも、涙を浮かべ、感動したように拍手を送っていた。元クラスメイトの三人だけは、無表情だった。
晴香は、日が陰った空を仰ぐ。
そう。私にはこの『力』がある。たとえ『音楽会』が脅威でも、いち早く、いくつもの国を手に収めれば、こちらに太刀打ちできないはずだ。
それは、元クラスメイトたちにも言えることだろう。
早急に事を進めよう。もうすでに、次の指針は決まっているのだ。そのために、ロイを密偵として遣わしたのだから。
称賛と拍手が響き渡る広場の中、ぼつぼつとした雨が降り始め、やがて大雨となった。
ワキガ少女が異世界へ転生したところ、皆ワキガフェチだったため、少女は異世界を征服することに決めました 佐久間 譲司 @sakumajyoji
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