遺留品捜査 特別捜査官 久我総

大隅 スミヲ

遺留品捜査 特別捜査官 久我総

 雲がゆっくりと動いている。

 空をこんな風に見上げたのは、いつぶりだろうか。

 学生の頃は、こんな風に寝そべって空を見上げていた気もする。

 草の匂いと土の匂い。すぐ側をけっこう大きめのバッタが飛んでいく。


「そんなことをして、なにかわかるのか」


 急に辺りが暗くなった。

 視界いっぱいに男の顔が現れる。どことなく色気を感じさせる切れ長の目の持ち主は、その薄い唇を歪めるようにして笑みを浮かべた。

 わたしはじっとこちらを見つめる男から目を逸して、口を開いた。


「被害者が最期にどんな風景を見たのかがわかります」

「それで?」

「それだけです。それだけじゃ、駄目ですか」

「45点だな」


 男はそう言うと、再びわたしの視界から姿を消した。

 ここは18年前に女性の他殺体が発見された場所だった。被害者の死因は頸部圧迫によるものであり、女性はこの場で何者かに首を絞められて殺害されたと推測されている。


「45点っ! ちょっと低すぎませんか、久我さん」

「赤点で無いだけいいだろ」


 わたしはその言葉に、久我のことを睨みつけるような目で見る。


「それで、何が見えた」


 男――――久我はそう言うとじっとこちらを見つめ返してきた。

 久我くがそう。警察庁に所属する特別捜査官。警察庁長官直属の部下であり、警察組織が追っている事件であれば、どんな事件であっても捜査する権限を持っている。階級は無く、特別捜査官が望めば捜査の最高権限も与えられる存在であった。

 顔だけは、整っている。見る人が見れば、イケメンだと騒ぐだろう。身長も180センチ以上あり、スラリとしたその体型もあってかモデルのようにも見えなくはない。

 だが、どこか変わり者で、人と群れるのを嫌がる傾向にある。ただのコミュ障。そのひと言で片づけられるのであればよいのだが、話せば口は悪く、人を思いやるという気持ちも持ち合わせてはいない。ざっと、まとめてしまえば、最悪な男なのである。


「雲が見えます。あと、バッタもいました」

「それで?」


 また「それで?」か。わたしはそう思いながらも、目だけをキョロキョロと動かして辺りの景色を確認した。


「久我さんの姿も見えます」

「私の姿はどう見える」

「え? わたしのことを見下ろしていますけれども……」


 久我はじっとこちらを見ている。その顔は無表情であり、どこか恐ろしさもあった。


「それが被害者の最期に見た風景だ。覚えておけ」


 それだけ言うと、久我は背を向けてどこかへと歩きはじめた。

 慌てて起き上がったわたしは、コートについた土を払い落としながら、久我の後を追った。

 土手の上に止めてある車へと戻った久我は、助手席に乗り込むと窓を開けてこちらをじっと見てきた。


「コート脱いでから乗れよ。車が汚れるから」


 そんなことわかっているっつーの。わたしは心の中でそう思いながら、コートを脱いでから運転席へと乗り込んだ。

 車の運転をするのはわたしの役目だった。久我は決して、運転をしようとはしない。いつも進んで助手席に腰を下ろし、わたしが運転をするのを待っている。


「次はどこへ行きますか」

「H署に戻ろう。もう大体わかったから」

「え? わかったんですか」

「ああ。あとは犯人を締め上げるだけだ」

「え? 犯人がわかったんですか」


 わたしは困惑していた。久我があの場所でやっていたことといえば、遠くの景色を見たり、わたしの顔を覗き込んだりしていただけなのだ。それなのに、犯人がわかったというのだから不思議以外のなにものでもない。


 署に戻ると、久我は証拠品を持ち出して来て会議室の長机の上に並べていった。

 事件が発生したのは、いまから18年も前の話である。

 なぜ、今になって久我という特別捜査官がこの事件を掘り返しに来たのか。H署刑事課の面々は首を捻っていた。


 机の上に並べられたのは、財布、携帯電話、ハンドバッグなどの遺留品である。

 被害者の持ち物である財布。クレジットカード、保険証、運転免許証などは入っていたが、現金はまったく入っていなかった。キャッシュレス時代の今であれば、多額の現金は持ち歩かないだろうと思えるが、18年前であればそれは違うはずだ。だいの大人が財布に小銭だけを入れていたということなどはあり得ない。そのため、捜査本部では物取りの犯行だったのではないかという見解で捜査を進めていた。

 携帯電話。これはスマホではなく、二つ折りの電話機だった。こちらも年代を感じさせる。履歴についてはすべて残されたままであり、最後に通話をしたのは三時間前で、それは彼女が友人に掛けたものであった。

 発見時、被害者に衣服の乱れはなく、性的暴行をされたという形跡もなかった。

 犯人は何の目的で彼女を殺害したのか。やはり捜査本部の見立て通り、物取りの犯行だったのか。しかし、容疑者となるめぼしい人物の特定には至らなかった。

 付近には防犯カメラもなく、発見現場の近所の住人に彼女が最後に目撃された午後9時以降の足取りはわかってはいなかった。

 迷宮入り。N県警H署では、この事件をそう位置付けて捜査本部を解散させ、継続捜査を担当する部署へと引き継いでいた。


 だが、ひとりの男が現れたことによって事件は再び掘り起こされた。

 警察庁特別捜査官という肩書を持つ男、久我総。知り合いのN県警捜査一課員に聞いた話では、久我はいくつもの事件を解決に導いてきた優秀な捜査官であるということだった。ただ「気をつけろよ」というひと言を付け加えられた。

 久我とコンビを組んで捜査に当たることとなったわたしは、何に気をつければいいのだろうかと悩んだ。もしかして、口説いてくるタイプなのだろうか。そんな警戒をしてみたが、久我は二人っきりになっても、そういった素振りを見せることはなかった。

 しかし、捜査をはじめて数日で、その「気をつけろよ」の意味がわかった。この男は口が悪く、そして人と打ち解けようとはしないタイプなのだ。口説いてくるのかと思って構えていたら、真逆の人間だったから、わたしは驚きを隠せなかった。


「さて、はじめるぞ」


 久我はそう言って会議室のカーテンをすべて閉めると、部屋の中を暗くした。

 一体、何をはじめるというのだろうか。


「あの……」

「少し、黙っていてくれ」


 久我にそう告げられ、わたしは口をつぐんだ。

 テーブルの上に広げられた遺留品。そのひとつである手鏡を久我は手に取ると目を閉じた。

 それが一体なにの儀式であるのか、わたしには理解が出来なかった。

 久我は目を閉じて、手鏡を触っている。

 しばらくの間、久我は無言だった。時おり、体をピクッと動かすことがあったが、それ以外は何もなかった。


「……終わった」


 目を開けた久我はそう言うと、手鏡をテーブルの上に戻した。


「何が、終わったのでしょうか」

「事件はすべてわかった」

「え?」

「これから犯人を教えるから、逮捕してきてくれ」

「え?」


 困惑するわたしをよそに、久我は自分のカバンからポラロイドカメラを取り出した。

 そして、そのカメラを額に当てる。

 これは何かのギャグなのだろうか。それにしては、久我は真剣な表情のままだ。

 もしかして、ドッキリか何かなのか。同僚たちがどこかに隠れて、わたしの反応を見ているのではないだろうか。

 会議室の中をわたしは見回したが、会議室にはわたしと久我の二人しかいなかった。

 額に当てたカメラのシャッターを久我が何枚か切る。

 カメラはポラロイドであるため、カメラからは写真用紙が出てきた。

 久我はカメラから出てきた写真数枚をテーブルの上に置き、現像されるのを待つ。

 額に当てたカメラの写真なのだから、なにも写っているわけがない。

 わたしはそう思いながらも、なにかあるのではないかと、どこか期待をしていた。

 しばらくして、写真用紙に何かが浮かび上がってきた。


「え?」


 思わずわたしは声を出してしまった。

 そこには、ひとりの男の姿が写っていたのだ。


「この男が犯人だ。逮捕してくれ」


 久我はそう言って、写真をわたしに差し出すと会議室から出て行ってしまった。

 写真の男。それは被害者が発見された現場近くに住む男であった。

 任意で聴取したところ、男は被害者と不倫関係にあり、被害者の首を絞めて殺害したことを認めた。

 この男については、事件発生当時にも事情聴取を行っていたが、その時は男にアリバイもあり、男はシラを切り通した。

 今回、男が罪を認めたのは、久我が提示したもう一枚の写真にあった。

 その写真には、一匹の犬が写っていた。犬種はポメラニアン。愛くるしい姿をしたその犬の写真を見せた時、男は泣き崩れたのだ。

 男と被害者は犬の散歩で知り合ったそうだ。写真の犬は、当時男が飼っていた犬であり、男と彼女はこの犬を自分たちの子どものように溺愛していたということもわかった。

 男女関係のもつれから、愛情が殺意に変わることもあるのだ。

 写真の男が事件のすべてを自白したお陰で事件は18年経って解決した。


 あの時、久我がやったことについては、N県警刑事部に所属する同期が教えてくれた。

 残留思念という、物に宿る記憶を読み取ったのだそうだ。

 久我総という特別捜査官は、その残留思念を読み取ることが出来る特殊な人間だった。

 今まで、いくつもの事件をその残留思念を読み取ることによって未解決事件とされていたものを解決へと導いてきたそうだ。


 捜査官としては優秀なんだけれどね。その同期は苦笑いを浮かべながら、わたしにそう語った。わたしには、その苦笑いの意味がわかっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遺留品捜査 特別捜査官 久我総 大隅 スミヲ @smee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ