第2話 ほっとけないな

 さすがに神志名さんも玄関で大声を出すのはまずいと思ったのか、諦めたように俺を家の中に入れてくれた。

 中に入ってみると、余計にこの部屋の汚さが分かる。


 床には干からびてこびりついてるジュースの痕があって、部屋のほとんどはゴミで埋め尽くされている。

 学習机の上には教科書やら参考書やらが無造作に置かれていて、整理整頓という言葉とは程遠かった。


 神志名さんにごみに囲まれたテーブルに案内され、なんとかスペースを見つけて床に腰をかける。

 空気が重苦しい。まるで裁判官と被告人を二人きりにしたような感じだった。


「……何しに来たの?」


 俺の向かいに座った神志名さんはしばらく沈黙した末、ゆっくりと口を開いた。


「先生に頼まれてプリントを……」

「……ありがとう」


 預かったプリントをカバンから取り出し、神志名さんに手渡すと、彼女はそれを受け取ってその端を握っていた。

 見るからに悔しそうだった。俺に部屋を見られたくなかったのが手に取るように分かる。


 学校では文武両道で完璧超人な神志名さんが、実は家では超だらしないという事実はきっと他人に知られたくなかった。

 ましてや同級生なんかに知られたら、それこそ言いふらされないか心配でならないだろう。


 ただ、それに関しては心配しなくてもいいと思う。

 俺は言いふらす気はないし、言いふらす相手もいない。


 改めて部屋を見てみると、とても一人の女の子が生活できる空間とは思えない。

 ベッドの上にも小物が散乱していて、見るに耐えなかった。


 だから、俺は神志名さんに提案した。


「この部屋を掃除してもいい?」


 同情……とは少し違う。

 なんとなくこのまま帰ったらきっとモヤモヤするだろうと思った。


 神志名さんみたいな美少女に恩を売って、あわよくばという考えは俺にはない。

 なぜなら、こんなことしたところで、好きになってもらえるとも思えない。


 だから、強いて言えば、俺は神志名さんがほっとけなかったのだ。

 

「えっ!? ほんとぉ!?」


 俺の提案を聞いて、神志名さんはすごく嬉しそうに聞き返してきた。

 思春期の女の子に部屋の掃除をしてもいいかなんて提案は渋られると思ったのだが、神志名さんのまさかの反応に少し驚いた。


「っていうか、神志名さんって風邪じゃなかったの?」


 ぱっと明るくなった神志名さんを見て、ふとそんな疑問が浮かんだ。

 よく考えてみると、さっきも俺とドア引きが出来るくらい元気だったし。


「もう部屋を見られたから隠さずに言うわ。実は制服を洗濯するの忘れてて学校に着ていく服がなかったのね」

「……そんな理由で学校を休んだの?」

「ほら、わたしって学校のアイドルじゃん? 臭いとか思われたら絶対やだからね!」

「なら、普段から洗濯すればよかったのに」


 学校のアイドルって自分で言うかなと一瞬思ったが、周りがチヤホヤしてるから自覚しない方が難しいだろう。


「いや、わたしには無理よ……実家でもこんな感じだから、お母さんに『一人暮らししたら嫌でもちゃんとするようになるよ』ってこのアパートに引越しさせられたんだー」

「だったらなおさら家事を頑張ってみようって思わなかったの?」


 なるほど、神志名さんがこのアパートで一人暮らししている理由は分かったのだが、彼女のお母さんの言うようになんでちゃんと家事しないのかが疑問だった。


「真宮くん!」

「うん?」


 俺の質問を聞いて、神志名さんは急に俺に向き直った。


「実家でもできないことなのに、一人暮らししたら急にできるようになると思うの?」

「威張って言うことじゃないと思うけどね」


 はあってため息をついて、ゆっくり立ち上がる。

 さて、家主の許可も得たことだし、掃除でもするか。


「ゴミ袋はある?」

「そこ」


 神志名さんの指さす方に未開封のゴミ袋が置いてあった。

 わざわざ買ったのになんで使わないのかなと思ったが、言っただけ無駄だと諦めて言葉を飲み込んだ。


 とりあえず、ゴミを片付けよう。

 俺も家事は苦手だが、これくらいはできる。


 まずはペットボトルを集めてラベルを剥がし、ゴミ袋に入れていく。

 それからプラスチック、燃えるゴミの順にゴミ袋に詰める。


 肝心の神志名さんだが、さっきと変わらず座ってぼーっとこっちを見つめているだけ。

 そんな神志名さんをほっといて、またゴミを拾う作業に戻る。


 ただ、俺は神志名さんのだらしなさを甘く見ていた……。


「こ、これって神志名さんのパ……パンツ?」

「いやぁぁあ!! 見ないでっ!!」


 片っ端床に落ちているものを拾っていると、突然布のようなものを見つけた。

 広げてみると、それは可愛らしいピンクのパンツだった。


 まさか、下着を適当に床に脱ぎ捨ててるなんて、さすがの俺でも予想はできなかった。

 やはり恥ずかしかったのか、神志名さんは悲鳴を上げながら駆け寄ってきてを奪い去っていった。


「……見た?」


 床に倒れ込むように座り、背中を俺に向けている神志名さんは振り返って俺の顔を覗く。


「……見てない」

「嘘ぉ! 絶対見たよねっ! ……もうお嫁にいけないよぉ」

「脱ぎ散らかすからだよ」

「ぐっ!」


 にしても、学校のアイドルのパンツ……を直で触ってしまった。

 心無しか、手のひらにわずかな温もりが残っている。


 これなら神志名さんに変態って言われても仕方がないか……。


 それから、一時間くらい過ぎた頃、神志名さんの部屋はだいたい片付いた。

 いくつものゴミ袋にゴミを詰めるだけの作業だったが、思ったより大変だった。


 その甲斐もあってか、神志名さんの部屋は見違えるように綺麗……にはなっていなかった。

 なにせ、俺も掃除が得意じゃないから、ゴミをまとめるので精一杯だった。


 でも、神志名さんの感想は違った。


「めっちゃ綺麗になってる!」


 いつの間にかベッドに座っている神志名さんが子供のようにはしゃいだ。

 そんな神志名さんを見て、少しほっとする。


「ねぇねぇ、なんで真宮くんはこんなに家事ができるの!?」

「俺は別に―――」

「すごい! 真宮くんすごい! これがわたしの部屋だなんて信じられないよぉ!」


 よほど嬉しいのか、俺の返事を待たずに神志名さんは独り言のようにまくし立てる。

 褒められて喜ぶべきなのか、神志名さんの基準がどうなっているの? って心配するべきなのか、とにかく複雑な気持ちになった。


「あとは洗濯物を洗濯機に入れて回すだけだな。できるだろう?」

「できない!」

「はいはい、分かったよ」


 洗濯する服を神志名さんに手渡してもらって、それをまとめて洗濯機に放り込んで、運転ボタンを押す。


「俺はこれで行くけど、これからはちゃんと自分で家事を頑張ってね」


 これで明日から俺と神志名さんはただの同級生に戻る。

 そう思っていた―――


「待って! 真宮くん!」

「まだなにか?」

「わたしの世話をしてよ……」


 ―――どうやら、俺と神志名さんの縁はまだまだ続くらしい。

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