第3話 世話役就任

 手を洗濯機の上に置いたまま、固まってしまった。

 ゴーゴーという洗濯機の動作音だけが部屋中に木霊こだまする。


「……神志名さんの世話を?」


 確信が持てなかった。

 もしかしたら聞き間違いだったのかもしれない。


 それほど、俺と神志名さんの接点なんてないに等しい。

 片や学校のアイドルで、片や普通の男子高校生。


 あまりにも不釣り合いな組み合わせ。

 

「うん、真宮くんにわたしの世話をして欲しいの」


 神志名さんはそう言ってゆっくりと俺の隣まで歩いた。


「だって、このままじゃわたし餓死するよぉ!」


 俺の袖を掴んで、見上げてくる神志名さん。

 その琥珀色の瞳はとても綺麗に見えた。ただ、その美しさとは裏腹に、神志名さんの表情からは必死さが窺えた。


 しおらしい所作からのいきなりの生存本能による叫び。

 重いアッパーを見舞われたような錯覚を覚えた。


「ご飯食べてないの?」

「……うん、だって作れないんだもん」


 生活力ゼロ宣言なのに、神志名さんの口調はすごく可愛らしかった。

 

「コンビニの弁当とかカップ麺とかは?」

「コンビニに着ていく服はないし、カップ麺の作り方も分かんないんだもんっ」


 思わず額を手で覆ってしまう。

 カップ麺の作り方すら分からないなんて神志名さんの生活力のなさは俺の想像以上だった。


「……コンビニで弁当買ってくるね」

「えっ? 買ってきてくれるの? やったぁー!」


 神志名さんの世話をするかどうかは置いといて、さすがにこのまま彼女を置いていくのは忍びなかった。




 神志名さんの家を出て、スマホを頼りに10分ほど歩いて一番近いコンビニにたどり着いた。

 神志名さんの好みが分からないから、二種類の弁当を選んでレジへ向かう。


 好きなほうを選んでもらって、残ったほうは自分で食べるつもりだ。

 まだ晩御飯の時間帯ではないが、お腹は少しだけ空いてる。


 コンビニを出ると、来た道を辿って神志名さんの家に戻る。

 インターホンを押すと、今度はそれほど待たずに神志名さんが出迎えてくれた。


「待ってましたよぉ! お弁当!」

「はいはい」


 俺は待ってないのかと突っ込みたくなったが、そこまで神志名さんと親しいわけではないのでやめといた。


「豚のしょうが焼きとハンバーグ、どっちがいい?」

「ハンバーグ!」


 テーブルにレジ袋を置いて、弁当を取り出し神志名さんに尋ねると、食い気味でハンバーグって答えてくれた。

 よほどお腹が空いてるのか、俺から弁当を受け取ると、神志名さんはすぐさま食べ始めた。


「美味しいよぉ! 生き返るっ!」

「ゆっくり噛めよ」


 ご飯をかき込むところを見て、せらないかと少し心配になった。


「お茶も買ってきたよ」

「ありがとう! 真宮くん」


 俺から手渡されたお茶をごくごくと飲み干し、またハンバーグを美味しそうに口に運んでいく。

 そんな神志名さんの姿を、なんだか微笑ましいと思ってしまう。


 神志名さんの向かいに座って、俺も神志名さんに選ばれなかったほうの弁当を食べ始める。


「真宮くんって優しいのね」

「そうかな」

「だってほら、わたしのために二種類の弁当買ってきたでしょ?」


 不意打ちだった。

 こういうなんでもない気遣いを神志名さんはちゃんと気づいてくれた。


 気づいたら顔がじーんと熱くなっていた。

 神志名さんの言葉に、思わずドキドキしてしまったのだ。


「……別に、大したことじゃないだろう」

「そうかなぁ? でも、わたしはすっごくうれしいよ」


 やばい。

 今の俺の顔赤くないかな。


 神志名さんにそんなことなんて言われたら……。


「ありがとう……」

「なんで真宮くんがお礼を言ってるの? こっちこそありがとうだよぉ」


 顔を見られないように、俯いて黙々とご飯を口に運ぶ。

 これ以上神志名さんに何か言われたら心臓が持たない。


 そういえば、まさか神志名さんと一緒にご飯を食べれる日が来るとは、今までは想像もしてなかったな。


 きっとこんな日はもう二度とない。

 そう思うとなぜか胸が苦しくなった。


『わたしの世話をしてよ……』


 もしかしたら、それは今日一日限定のお願いかもしれない。

 でも、もし違ったのなら、これからも神志名さんと一緒にご飯を食べられる……。


「その……神志名さんの世話、してもいいよ」


 箸を置いて、神志名さんに向き直す。

 拙い言い方になったが、精一杯だった。


「ほんとぉ? めっちゃ嬉しい!」


 神志名さんの笑顔を見てほっとした。

 もし断られたら、これからきっと気まずくなる。


 神志名さんからお願いしてきたことだけど、それは冗談という可能性もあるかもしれないし、俺なんかが調子に乗ってるなんて思われたらどうしようって少し思ってた。


「神志名さん、一つ聞いていい?」

「うん?」

「なんで俺なの?」

「なんで真宮くんに世話して欲しいかってこと?」

「うーん、だってほら、わたしが家ではだらしないのを知ってるのって真宮くんだけでしょ?」


 この質問をした時、俺はどこか期待していた。

 神志名さんが俺に特別な感情を持っているんじゃないかって。


 でも、やはりそんなことはなくて。

 だから、内心では少しがっかりした。


 でも、次の神志名さんの言葉が俺の心の曇りを吹き飛ばしてくれた。


「あとね、真宮くんがすごく優しい人だって気づいたの。わたしって人の優しさに気づける人間になりたいから」


 また胸が締め付けられていく。

 さりげない彼女の言葉だが、すごく心に響いた。


 ―――この時、俺は確かに彼女に恋をした。

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