人生のトリックアート
高黄森哉
人生のトリックアート
近くに大きな人がいる。遠くに行くと、小人になってしまう。彼もそうだった。学生時代、あれだけの曲者が、今では目立たず、仕事の指示を待っている。社会の枠組みが、彼を小さく錯覚させる。
手前の柱が奥にくっつき、奥の柱が手前にくっつく。あり得ないが奇妙に結合した構造物。規則、法律の矛盾。社会の不合理。生きていくことの、ダブルスタンダード。そ知らぬふりをして生きていく。錯視の柱に違いない。
階段の一番上は階段の一番下である。出口のない日常の階段で、人は気づかぬうちに真下へと転落している。本当の墜落は誰も知らないうちに起こる。まるで次の階段を登るように、気づかないくらい自然に、気づかない程、不自然に。
小さい棒と、大きい棒は、同じ大きさ。ようは見方の問題だ。履歴書と同じさ。会社と同じ。仕事と同じ。なによりも、人と同じ。大きい棒はいつも、小さいのに寄りかかって生きている。どうせなら、楽したいだろう。
光を当てると、違う形の影が出来る。あの子だってほら、暗い場所では別の形をしている。あの少年も、ワニの目で人を見ている。そろそろ行こう。ほら、人を殺し始めた。みんな、取り繕って生きている。
動かない図形が震え始める。ずっと見ていると、存在が揺らぎ始める。知れば知るほど、知識が不安定に感じる。だから、ずっと人は見つめ続ける。だから、図形は震え続ける。見れば見るほど、分からなくなる。
毎日が同じに見えて、近くのものが遠すぎて、信じてたものは思い違いで、構造が矛盾してて、損して、それから、全部でたらめばっかりで、知ろうとしたら震え始めて、それで出来た影はどれも人の形じゃなくて、
でも、時々、届かないと思っていた物に手が触れて、くっつけられない物が美しい調和を見せ、ちっぽけな自分は遠くからは悪くなく、落ちた先がてっぺんで、暗い場所では人間がよく見え、動かせないものも動きだす。
人生のトリックアート。要は見方の問題だ。
人生のトリックアート 高黄森哉 @kamikawa2001
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