最終話 こんな最終回はさすがに甘すぎる




 数年後──。


 翔斗は杏子ちゃんと入籍。そして二人でお店を開くから、と退社を申し出た。


「惜しいなぁ。翔斗くんがいなくなったら絶対売上に響くもんね」


 ガトーくんは「本気でだよ」と笑った。


「だけどおめでとう。応援してるよ」



 こうして私たちのお店は販売員不在という状況になるわけだったんだけど。


「僕が出るよ。これからは毎日」


「え……だけど接客だよ? それに、イナヅカ本店の仕事は?」


 ガトーくんに販売員のイメージは正直あまりない。もちろんこれまでも混雑時には翔斗と共に売り場に立ってくれていたけど。


「大丈夫。言ってなかったっけ? 僕の接客はいちごちゃんのお母さん直伝なんだよ」


「……へ?」

「修行時代にね。パティシエではなく販売員からやらせてもらったんだ。いちごちゃんのお母さんの下で」


 知らなかった。しかも「本格的に販売員ヴァンドゥールになろうか迷った時期もあったくらい」と。


イナヅカ本店むこうはもう引退だよ。何年か前から話は進めていたんだ。父がそうしたように、僕も自分で決めた時期にシェフの座を退きたい、と」


「……いいの?」

 だって、イナヅカ本店の仕事はガトーくんにとっては生まれた意味のようなものだって。


 するとガトーくんは私の目を見て、ふっと微笑んだ。


「もう役目は充分に果たした。血縁とはいえ、僕はもうオーナーでもない。ただの雇われ店長なんだから。それに古株がいつまでもいたんじゃ店は進化しないもんね。だからこれからは、自分のために時間を使おうと思うんだ」


 自分と、愛する人のために、と。


「やっとこの日を迎えられた」

 言うと、そっと私の手を取った。


 分厚くて大きな手

 優しい眼差し


「これからは、ずっと一緒だよ」




 *


 町はずれにひっそりと佇むその店。過去には世間で話題になったらしいが、いつしかすっかり落ち着きを見せ、今や〈知る人ぞ知る名店〉と呼ばれている。


 木製の深い色をしたドア。少し重めのそれを押し開くと、コロン、と控えめにベルが鳴る。途端にふんわり甘い香りが拡がって、お洒落で可愛い、幸せな世界のはじまり。


 狭めの店内に明るさはそれほどなく、橙色の照明が飾り程度にあるだけ。サイドの壁に嵌め込まれた小さな窓から優しく日の光が射している。木製の格子が付いた、磨りガラスのお洒落な小窓。小さな花が小瓶に活けて置かれている。


 優しく耳に届くのは、アコーディオンの音色。海の向こう、どこか遠くの国の可愛らしいメロディーが弾むように耳に触れる。


 そうして目の前に見えるのは、小さなショーケース。ひときわ明るいその中には色とりどりの宝石みたいなケーキがぎゅう、と詰め込まれているかのよう。よく見るとどれもピカピカに輝いて自信たっぷりに行儀よく並んでいる。


 うわあ……。


 誰もが無意識にそんな声を出してしまう、心奪われる美しさ。鮮やかさ。何時間でも見ていられそうな『作品』たちだった。


「いらっしゃいませ」


 溶け込むように響く低い声。ショーケースの向こうから出迎えるのは、この空間にすっかり馴染んだ、お洒落で気品溢れる空気を纏うひとりの男性。「どうぞごゆっくりお選びください」とにっこり微笑んだ。


 再びショーケースに目を向けて、どれにしようかと迷う幸せな時間を過ごす────と。


「マジョンヌないじゃああんんん! ママの嘘つきいいい!」


 せっかくのよい雰囲気をぶち壊しかねない金切り声だった。


「こ、ここにあるわけないでしょう!? ちょ、静かにしてっ、ほかのお客さんもいるし、お店に迷惑だからっ」


 声の主は小さな女の子とそのお母さんだった。ショーケースの前でひっくり返って泣きわめいている。


「ね。イチゴ好きでしょ? イチゴのケーキ、買ってあげるからっ」


 すると。


「お嬢さん。おひとついかがですか」


 ショーケースの奥から出てきた販売員の男性。片手にイチゴを一粒持っていた。跪くように優雅に屈んで、わめく少女にそっと差し出す。


「とても甘くて、新鮮ですよ」


 笑顔を前に少女はキョトンとして、受け取った。


 そして、ぱくり。

 泣いていたせいか頬がイチゴの色だった。


 「どんなケーキが食べたかったのでしょう」


 優しく訊ねられて、小さな声でこう答えた。


「マジョンヌのケーキ」


 それが日曜朝でお馴染みの魔法少女アニメのことだと、果たしてこの販売員の男性にわかるのだろうか。


「あ、えと……」と少女のお母さんが説明か謝罪をしようとするのを、男性は素敵な笑顔で制して、「シェフに訊いてみましょう」と立ち上がった。


 呼ばれて奥から出てきたのは、『シェフ』と呼ぶにしては若い、綺麗な細身の女性だった。


 少女の前に膝を付いて屈むと、マジョンヌのケーキがないことを素直に謝罪した。そして「代わりにこんなのはどうかな」と微笑んでなにかを取り出した。


「魔法のステッキ」


 それは赤や黄緑、黄色にオレンジ。色とりどりのドライフルーツを細長い筒状の小さな袋に詰めたものだった。袋の口を赤のリボンでしっかりかわいく留めてある。


「何色が好きかな?」


 優しく訊ねられて、少女は「きーろ」と答えてはにかんだ。


「すみません、おいくらでしょうか」

 少女の母親が言うと「お代は結構ですよ」とシェフの女性は微笑んで立ち上がる。


「プレゼントさせてください」


 え、でも、と言いかけた母親に微笑んで、また少し屈んで少女に笑顔を向けた。


「私たちだけのヒミツです」


 シェフの女性はまっすぐ立てた人差し指を鼻先に当てて少女にウインクをすると、丁寧にお辞儀をして店の奥へと戻っていった。


 少女の機嫌はすっかり直って、にこにこしながらケーキを買って帰っていった。




「お買い上げ誠にありがとうございます。こちら、当店のカードです。どうぞお持ちください」


 来る人々をすっかり魅了する、知る人ぞ知る素敵なケーキ店。その名は。



Frésierフレジエ



 それは中のいちごがとにかく美しく、華やかで、甘い、気品溢れるフランスのケーキの名前。



「ありがとうございました。またのお越しを心よりお待ちしております」




  (了)





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パティシエ王子の溺愛フレジエ 小桃 もこ @mococo19n

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