雪景色

お白湯

雪景色(台本)

凪(女)

樹(男)


*

樹「あー、降って来ちゃったね。」

凪N「こたつに入っている2つ下の樹(イツキ)が、今年の初雪を教えてくれたのは、蒼(アオイ)が亡くなってから3度目の冬だった。昔から私は二人の後をくっ付いて回っていて、慣れ親しんでいた。蒼が私と同い年で樹がその弟である。その馴染みで、蒼が居なくなった後もこうして二人の家に時折、顔を出している。」

凪「雪ってなんだか憂鬱だね。」

樹「そういえば…兄貴が亡くなった日もこんな寒い日だったっけ。」

凪「そうだね。蒼くん…大きくなってからは寒いとよく胸痛がってたよね…。」

樹「凪姉はいつも兄貴の背中さすってたね…。」

凪「懐かしいけど、その暖かさがだんだん分からなくなっちゃうのって、やっぱり寂しいね…。」

樹N「仏壇に向かいながら遺影を眺める凪は、こっちを振り向かないまま、手を眺めているようだった。見えてはいない凪の表情が分かってしまう事に、鼓動を潰すような古い悲しみを静かに悼んだ。すぐその後だが、外と同じぐらいの温度の寂しさを感じ取ったのか、凪のこちらに振り返った笑みはどこかぎこちなかったのだ。」

凪「なんてね。忘れたりしないよ。」

樹「そっか。少し…外にでも行こ。」

凪「雪降ってるよ…。」

樹「3人の思い出、忘れないようにさ。」

凪「…うん…。」

凪N「雪はなぜ全て無垢に白へ変えて行こうとするのか、私にはそれが残酷な空から降る厄災のようにも感じられた。触れるとすっと溶けてはじんわりと冷たさを教える。その冷たさや色は写真を風化させる年月のように、街の思い出にモヤをかけていた。近くの公園にたどり着いた時には、道路や地面は誰も踏み入れていない純白のカーペットが出来上がっていたのだった。」

樹「小降りだけど、薄ら積もって来てるね。」

凪「もう息、白いんだね。」

樹「12月だからね。」

凪「12月の公園かー。中学一年の頃だったかな?蒼くんが、お父さんと喧嘩して家出した時に、一人でブランコに揺られてたの。」

樹「そんな事あったね。俺はまだ小学生だったな。凪姉が塾帰りにたまたま見つけて。あの時も、なんだかんだでいつも凪姉がそばにいてくれてたっけな。」

凪「そう…ね。…蒼くんはどこか放っておけなかったなぁ。」

樹「兄貴はぶっきらぼうだったからね。いつも凪姉には迷惑かけてたね。」

凪「迷惑なんて、思ってなかったよ。私が好きでやってたから。」

樹「ありがとう…。兄貴は幸せ者だな。俺は…兄貴が、羨ましいよ。」

凪「樹くん…。」

樹N「兄と俺が前を歩いて、凪がひっそりと後ろを着いてきていた日常を、一つまた一つと雪は消していく。その白さで凪の兄に対する想いも一緒に消してくれないか、とさえ思っていた。少し困っている凪の横顔が、思い出を見つめている事に、懐かしさと沈むような気持ちが俺の心を二つに割っていた。」

樹「結構、積もってきちゃったね。無理言って着いてきてもらってごめんね。もう戻ろう。」

凪「ううん。樹くんと蒼くんと私とで一緒にいた事、思い出していたいから、もう少しだけね。」

樹「…。兄貴はさ、もうここには居ないよ。だから…。」

凪「…分かってるよ。…良くね、夢を見るんだ。ここの公園で三人で遊んでる夢。蒼くんがまだ元気に走り回ってた。いつも涙いっぱい溜めながら目が覚めるの。嬉しかったり、悲しかったり、よく分からなくなっちゃったり、ね。」

樹「凪姉…。」

凪「もう戻れないの分かっていても、ふと考えちゃうんだよね。馬鹿だね…私って。」

凪N「不意に涙が零れたのは、気持ちに整理を付けられなかったからでは無い。無垢で居られた日々がどうにも羨ましく、そっと涙腺が愚痴を漏らしただけなのだ。あれだけ幾つもの夜を越えたのだから、そうでなければおかしい。私は変わらぬ笑顔を樹に向けていた。」

樹「…もう兄貴の事、忘れよ…。凪姉が辛くなるところ俺は見たくないよ。」

凪「ううん。辛くないよ。」

樹「…嘘だよ。」

凪「…そんな事ないよ。」

樹「なら、どうして涙なんか見せるの?…ごめん。連れてきた俺が悪かったんだよね。」

凪「…そうだね。樹くんは酷いかもしれない。」

樹「…ごめん。」

凪「…私も酷いかもしれない。」

樹「凪姉は酷くなんかないよ。」

凪「樹くんの気持ち分かってても、優しさに甘えちゃって…。やっぱり私は…酷いよ。」

樹「そんな事ない…。兄貴が悪いよ。死んでからも夢にまで出てきて。俺は死なないとか無責任なこと言って。なんで、俺たちを…凪姉を…自由にしてくれないんだ。」

樹N「凪が傷付くのが表情で手に取る様に分かった。その傷口は古いものが、もう一度開いたように痛みを教えてくるのだ。雪は街の色を塗り潰し、面影を消していくのであれば、いっそ兄の存在ですら隠してくれないかと、俺は空に願うのである。どうか雪よ、降やむなと。」

凪「ごめんね。…やっぱり嘘だった。辛くないわけないよ。まだ、こんなに整理ついてないんだもん。」

樹「ごめん。悪いのは…俺なんだ…。思い出させるような事して…。」

凪「ううん。誰も悪くなんかない。辛いとか痛いとか思っても、それでさえ私の中では大切で、捨てられないんだよ。」

樹「俺は凪姉のその気持ちが消えて欲しいよ。」

凪「私はね、この気持ちもいつか消えていくのかなって考えると嫌なんだよ。蒼くんが生きてた事を忘れちゃうみたいで。」

樹「俺を見てくれなくてもいいんだ。凪姉がこれから悲しまないように、俺がもっとそばに居るから…、だから、泣かないでくれよ。」

凪N「悲しみのひとひらが、街の色を忘れさせそうになった頃、樹の想いに触れた熱で私は泣き崩れる事を止められなかった。ずっとこの先も私は蒼を忘れる事はないだろう。しかし、向き合うためにも私は空に願うのである。どうか雪よ、溶けてくれと。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪景色 お白湯 @paitan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ