無題
梨子ぴん
無題
その日は季節外れの暑さだった。
金木犀の香りは薄れ、冬に近づくはずだったのに、俺は今半袖を着ている。
水筒に入れた麦茶は底を尽きそうだ。
じりじりと焼けるような暑さを晒されながら歩いていると、一軒の日本家屋があった。
生垣からは橙色に実ったうまそうな柿が見えた。
ごくりと喉が鳴った。
俺は結構な時間の間、柿を見つめていたと思う。
すると、不意に声をかけられた。
「どちら様かな?」
「うおっ」
古めかしい柵の玄関から出てきたのは、とても美しい男だった。
高身長に着流しがとてもよく似合っており、涼やかな雰囲気を身に纏っていた。
「何か気になるのかな」
「あ……いや、柿が美味しそうだなと思って」
「ああ、なるほど。君は食いしん坊なんだねえ」
「えっ、あ、いやまあ食べるのは好きっす」
「ふふ、面白い子だ。中に入りなよ。柿も食べるといい」
「いやさすがに初対面の人にそこまでしてもらうのはちょっと……」
「いいから、いいから」
俺は流されるまま、家に上がることになってしまった。
俺が通されたのは、庭が見える畳の敷かれた広い客間だった。
「座って」
促されるまま、俺は座布団の上で正座した。
「足、崩していいよ」
「どうも」
「僕は笹倉遼太郎って言うんだ。君は?」
初対面の人間に名前を言うのを憚られたが、相手がすでに名乗っている以上仕方がない。
俺は畳の目を見ながら言った。
「近藤権左衛門です」
「良い名前だね」
「時代遅れですよ。権左衛門って……昔の人じゃないんだから」
「僕も結構古めかしいからお揃いだね」
「遼太郎さんはちゃんと名前にふさわしい人ですよ」
「そうかな?」
遼太郎さんは名前の響きに合った、麗しい人だ。
俺の名前は、亡くなった曾祖父から付けられたものだ。
俺自身は曾祖父に会ったことがないので、特に嬉しくない。
祖父は「権左衛門は親父にそっくりだ」とよく言う。
「君はどこか懐かしい感じがする」
遼太郎さんは柔らかく笑う。俺を見つめる目は優しく、くすぐったかった。
「遼太郎様。柿とお茶でございます」
襖がわずかに開く。細く白い腕がちらりと見え、お盆にはフォークと高級そうな皿に、切り分けられた柿が乗せられていた。
「ありがとう」
遼太郎さんは受け取って、机の上に乗せる。
「食べよう」
「ありがとうございます」
俺はフォークを手に取って柿に刺した。そのまま口に運んで一口噛むと、ほどよい硬さでとても甘かった。
「甘い」
「ちょうど食べ頃だったみたいだね」
遼太郎さんが嬉しそうに笑う。よく笑う綺麗な人だなと思った。
「お茶も飲んで」
俺は勧められるまま、お茶を口に含み、喉に流し込んでいく。
「おいしい」
「良かった」
お茶もほどよい苦さで、口当たりが良く、雑味がなくて飲みやすかった。
俺はほう、と溜息を吐いた。
安心する。初めて会った人で、初めての場所なのに俺の心はとても穏やかだった。
「ね、権左衛門くん。お願いがあるんだけど」
「? なんすか」
「口づけしていいかな」
「え?」
「一度だけでいいから。ね」
もしかして、この人が俺を招き入れたのって俺をそういう対象として見てたから?
俺の背中に冷や汗が流れるのを感じた。
でも、不思議と強い嫌悪感は湧かなかった。なんでだろう。
「いいっすよ」
「嬉しい」
遼太郎さんの美しい顔が近づいて来て、唇が触れた。
唇はすぐに離れた。
俺はそれを名残惜しいと感じてしまった。
「権左衛門くん。……もっと、していい?」
遼太郎さんの強請る顔はたまらなく可愛くて、何でも叶えてやりたいと思った。
「いいですよ……、んっ」
口を塞がれる。唇が何度かくっついては離れてを繰り返す。
次第に俺の口が開き、遼太郎さんの舌を迎え入れる。
遼太郎さんの舌は長く、俺の咥内をまさぐっていく。気持ち良い。
深い口づけの音とお互いの息遣いの音しか聞こえないのが、心地よかった。
「はあ……っ」
長い間濃厚なキスをしていたからか、柔道で鍛えている俺でさえ息が上がっていた。
遼太郎さんはというと、とても艶めかしい表情をしていて、俺は興奮してしまった。
「権左衛門くんはとても可愛いね」
「……っ」
「ふふ」
遼太郎さんが俺の制服のボタンを一つずつゆっくりと外していく。ボタンを全部外し終わると、俺のシャツを脱がすべく手にかけた。
「りょ、遼太郎さん」
「うん? 怖い? だめ?」
「怖いですし、俺、その、シたことなくて」
「そうなんだ。嬉しい」
遼太郎さんが俺の首に顔を埋める。どうやら俺の匂いを嗅いでいるようだった。
「線香の匂いがする」
「家に仏壇があるので」
「そっか」
そして、遼太郎さんは俺をそのまま畳の上に押し倒した。
***
事後、俺が呆けていると遼太郎さんが目を細めて笑う。
「ああ、やっぱり君じゃないとだめだ」
「遼太郎さん?」
「権左衛門くん。必ずまた来てね。僕、待ってるから」
優しい声音だったけれど、どこか有無を言わせない迫力が遼太郎さんにはあった。
「はい。また来ます……」
「ありがとう」
俺は急にこの人が恐ろしくなって、制服を着た。
そのまま無言ののまま玄関から外に出た。
その時、遼太郎さんは何か呟いたようだった。
でも、俺はなんとなくそれを聞かない方が良い気がして、聞き返すことをしなかった。
「何年ぶりの権左衛門だろう。ずっと会いたかった」
無題 梨子ぴん @riko_pin
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