冬の王様

武江成緒

冬の王様




 お婆さまの石のおうちは、わたくしが生まれてそだった港町からずぅっと北。

 霧につつまれた山やまと、霧のわきだす湖とにはさまれた、ひっそり小さい町にありました。




 霧のよくでる季節となれば、おうちの大きなガラス窓がぜんぶまっ白に変わるほどで。

 景色だけでなく、お外からくる物音や、道ゆく人の気配までも、そこに呑みこまれてしまって。

 大きな石のおうちのなかは、しずかで冷たいうす暗さのなかへ沈んでしまっていて。

 自分のおへやでご本を読んでも、食堂へよってお砂糖菓子をいただいても、心ぼそさとさびしさが、しんしんと、まとわり付いてくるのです。


 そんなときは、おうちの二階の北にある、長廊下までのぼっていって。

 だれも来ない、だれの息づかいもしない、長いながい廊下をあるいて、壁にかかっている絵たちを、一つひとつと見入りながら、心ぼそい時間をわすれ去るのでした。


――― 見知らぬ異国の高原にそびえるお城のような都。

――― 冬の荒海をおし渡る、おおきなけものたちの群れ。

――― 緑の森のあふれる樹々の影に抱かれひっそりと伏す黄金こがねの像。


 この世のものとも、夢の世界のものともつかない眺めを、一つ、ひとつ、またひとつと見てあるくと、やがて、わたくしの目をひときわにきつけて、胸をぞくりとおびやかす、その絵にたどり着くのでした。




 それは銀の肖像でした。

 頑丈そうな、鍵穴までそなえられた銀の額におさめられた、その肖像画は、さらに銀のかがやきを内からはなっているのです。


 冬空に光るお星さま、あるいはちいさな雪のはな

 そんなものを思わせる、綺麗で細やかながら冷たい飾りにつつまれて、やはり銀いろに光るおひげを長くたらしている肖像のその人を、わたくしは《冬の王様》と呼んでいました。


 かがやく身飾りたちのなかでも一番に目をきつける銀のかんむりをかぶっているそのお姿は、でも、いかめしさなどは欠片かけらもなくて。

 ご本のなかや、学校の降誕祭に見たような聖ニコラウスのお顔のようにお優しく、ふかいお知慧をたたえていらっしゃるようで。

 けれどその絵のまえに立つたびに、わたくしは、それこそ冬のつめたい風につつまれたような、ぞくりとした気配におそわれるのでした。




 幾度いくたびもその絵をながめるうちに、そんな気配のとなるものが次第にはっきりとしました。

《冬の王様》がおひざに載せていらっしゃる、白く、まるく、大きなもの。


 以前に絵本のなかに見た宝のたまのようなものかとおもいました。

 やがてそこに、銀でできたあしがねが見てとれて、カップと呼べばよいのでしょうか。大きめのさかずきのようなものだとわかりました。


 そして、霧のひときわ濃くわいた、とある秋の日。

 珠のような白い杯のおもてをにごらせるかのように刻まれていたかげあながなんだったのか、それがはっきり明らかになって。

 ようやく、がなんなのかを悟りました。


 その杯は、人のに手をくわえて、道具と変えたものなのだ、と、


 そのときはただ、背のすじにまでこごえる霧がしのび入りでもしたかのように、ぞぅっとして。

 一目散に、長廊下を逃げ去りました。




 つぎに《冬の王様》にまみえたのは、それから半年。

 いまだ北国の寒さののこる、冷えびえとした春のことでした。


 れのある晩にお爺さまが身まかられて。 降誕祭も新年も、その影をはらうことはなく。

 気がつけばわたくしは、あの恐れを忘れさり、あの二階の長廊下を、のがとして思い起こしていたのでした。


《冬の王様》は、あのお優しげで知慧ぶかげなほほ笑みでもってわたくしを迎えられました。

 恐るおそる目をむけた、王様のおひざの上の、白いどくろの杯も、もはやあの兇々まがまがしさを投げかけることはなくて。

 魔物の目かと思えた黒い眼窩がんかさえも、冷たくうつろなただのあなと化していました。


 ですが、その黒い窩に、小さなちいさな、おまけにかぼそい湯気のようにうっすらとした ――― 。

 それでも確かに、それは伸ばされた人の腕でした。


 一体どうしたわけでしょうか。

 絶え入りそうな、影のようなその小さな手が、ほんの先に身まかられたお爺さまのお手なのだと。

 わたくしには、そう思えてならないのでした。


 目を上へとあげてみれば、《冬の王様》は変わることなく、ほほ笑みながらわたくしを見下ろしておられました。




 それからは、長廊下をあるくたび、その奥にまでたどりつくたび、王様のおひざの上をたしかめるのが、わたくしのつねとなりました。

 見るたびに、白くまるい杯からは、うっすらとした手や指が、ときにはぼやけたお顔までもが、立ちあらわれて来ています。


 お爺さまのお顔も見ました。

 おうちの古いお写真のなかにいらっしゃる、セピア色や灰色をしたお顔もいくつも見かけました。

 お母様、お父様のお顔を見つけたときなどは、幾度いくどもいくどもたしかめて、やはり見たがえありませんでした。




 ――― そして今、わたくしは、右手を固くにぎりしめながら。長廊下をあるいています。

 にぎった手には、その輝きもいささかぼやけた、それでもたしかに銀いろの古びた鍵があるのです。


 つい昨日、おばあさまから受けついだしなじなの、その一番目のものとして示された鍵。

 一目みてわかりました。

 その銀の鍵は、あの銀の絵の、銀の額をひらくためのものなのだと。


《冬の王様》の銀の額をひらいたとき、そこに何かがおこるのか、わたくしには解りません。

 あのの杯の、何かがひらくことがあるのか、そうしたら何がおこるのか。それもわたくしは解りません。

《冬の王様》の前にたって、この鍵をほんとうに使うつもりなのか、それさえも解りません。


 ですが、わたくしの足は止まることもなく、二階へつづく階段をあがり、こうしてあの、広く、しずかな長廊下を、かつりかつりと歩むのです。




 がたがたと、何ものかに揺さぶられてでもいるかのように。

 霧にそまった白い窓のなる音が、わたくしの歩みの音にかぶさってきます。

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冬の王様 武江成緒 @kamorun2018

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