毛づくろいは突然に

真朱マロ

第1話 毛づくろいは突然に

 俺はいったい、どうすればいいのだ?


 予想を超えたありえない状況に、そんな問いが浮かんだ。

 あおむけに倒れたダンガーの腹の上に、本物の美少女が乗っているのだ。


 チカチカする意識の中で、ダンガーは何とか出来事を振り返る。

 星雲から星雲を渡る宇宙航行の途中、救難信号を出している脱出ポットを発見して救助した。

 ただそれだけなのに、いきなり体当たりを食らってひっくり返り、床に押し倒されたままの背中が冷たい。

 後頭部をしたたかに打ちつけたので、目の前に星が飛んでいた。


 いったい、どうしてこうなった?


 長年、運び屋として生計を立てていたが、この辺りではあまり見たことのない形状をしているので、頭を悩ませたのは確かだ。

 宇宙嵐で空間が歪み、異なる星雲とつながるスポットができる偶然もあるから、そこから流れてきたのかもしれない。

 光沢があり光が当たるとシルバーに輝く卵型のカプセルから、製造星と登録番号から出所を調べる必要があった。

 しかし、すぐに思いなおした。


 詮索はとにかく後だ。

 船乗りとして救助したのだから、まずは生存確認の義務がある。


 そう思って脱出ポットに近づき、手をかけようとした途端。

 パカリと卵型カプセルが左右に割れて、中から見目麗しい美少女が飛び出してきたのだ。


 だが、光を放つような美少女の登場に驚く暇はなかった。

 弾丸の勢いでズドンと腹に体当たりを食らい、あっけなく吹き飛ばされたダンガーはガツンと後頭部を強打する。

 この美少女、見た目こそ華奢で小さな体格なのに、ガタイのいい成人獣人 (♂)を紙細工のように吹き飛ばすほどの恐るべき怪力をしていたので、脳内を混乱の嵐が駆け巡る。


 ダンガーは内心の動揺に翻弄され、身を固くすることしかできない。

 腹の上に乗っている少女を突き放す事すら思い浮かばなかった。

 なにより、物理的に頭を強打した影響で、目の前を無数の星がきらめいている。


 そのまま数分間が過ぎ、今に至る。

 ようやくダンガーの視界を飛んでいた星が消えると、美少女と真正面からまじまじと見つめ合うことになった。


 ダンガーは獣人である。

 ジャッカル族の獣頭は毛深く非常に雄々しい。

 つり上がった三白眼と鋭い牙がのぞく大きな口が特徴的で、全身を豊かな毛が覆っていた。

 人族と同じく衣服をまとい二足歩行をしているが、ジャッカル族は見た目が凶悪なので、せめて衣服で親近感を持ってもらいたかったりするが、成功したためしはない。

 同族のジャッカル族の子供や女性ですら、目が合うと必ず泣かれる。

 平和な生活をしている婦女子から怖がられる凶悪な面構えであると、ジャッカル族の男ならば自覚を持つしかないのだ。


 笑顔すら恐怖の対象になるのだから、美少女と見つめ合うなど愚行であった。

 腹の上に乗っている少女を突き放すこともできず、ヤバイぞ、おびえて泣かれたら、どうしていいかもっとわからなくなる! とダンガーは心の中で悲鳴を上げた。


 しかし体当たりをしてきた少女は怖がりもせず、ダンガーの腹の上でくつろぎながら、不思議そうに周囲を観察しはじめた。

 おうとつの少ないツルンとした顔立ちながら目鼻立ちは整い、長い銀髪がふわふわと背中で揺れていていた。

 体温が低いのか触れ合った肌がひんやりとしている。

 フリルやレースがふんだんに使われた淡い色のドレスはやわらかく、身じろぎするたびに甘い花の香りがした。


 赤いルビーのような瞳にうつる自分の顔から、ダンガーは目をそらす。

 我ながら怖い顔だ。自覚はあるが我ながら見たくない顔だ。

 しかし口の大きく裂けた毛深い顔なので、幸いなことに動揺は表情に出にくい。

 ただの少女ではない。とんでもない美少女である事実が、ダンガーの恐怖心をあおっていた。


「俺の上からどけろ」と少女に言ってやりたいが、大きな声を出して怯えられるのも、急に泣かれるのもごめんだった。

 同族の婦女子にすら遠巻きにされ、そっと目をそらされるのが日常だから、少女という存在が未知数すぎて触るもの初めてだ。


 こんなに小さくて、かわいらしくて、くりくりした美しい瞳を持つ生き物に、いまだかつて近づいたことがなかった。


 そう思った瞬間から、ドックンドックンと心臓が痛いぐらい自己主張を始めてしまう。

 そう、見た目通りというべきか似合わないというべきか微妙な話だが、ダンカーは男女交際すらしたことのないヘタレだった。

 女性と見つめ合う事すらできなかったのだから、当然のことであった。


 助けを求めて近くにいる部下を見たが、内心狼狽しまくっているダンガーを遠巻きに見ているだけだ。

 部下たちもダンガーと同じくもてないジャッカル族の男たちだから、女子供に怖がられることに慣れ過ぎていた。

 強面の男たちは身を震わせて挙動不審のまま、壁際までじりじりと下がっていく。


 未知数の美少女は危険物。

 心の中はエマージェンシー。

 そう、全員の心は一つだった。


 畜生、誰かどうにかしてくれ!

 声にならない悲鳴をダンガーがあげかけたとき、少女がふわりと小首をかしげた。


「そなたは人間か? ずいぶんフカフカしておるが、名はなんと申す?」


 こいつ、いいところのお嬢か?

 ヤバイ、よけいにどう対応すればいいのかわからない。

 ヘルプ・ミー!!


 仰々しい物言いに、ダンガーの怯えが強まった。

 心の中ではたくさん叫んでいたが、万が一美少女を泣かせることになったらと想像しただけで、喉の奥に声ははりついてしまう。

 心の中で救助を求めたけれど応えてくれるものはなく、部下たちは遠巻きのまま手を合わせていた。

 声なき声が聞こえてくる。


 自助努力奨励。

 女の子を泣かせるぐらいなら、ボスが泣いてくださいと。

 可愛い女の子の泣き顔を見るぐらいなら、潔く敵前逃亡を選ぶのだ。


 それが、もてないジャッカル族として当然の選択。

 顔つきは怖くても、心の繊細な男たちであった。

 薄情者! などと声のない罵詈雑言をぶつけながら、ダンガーは心の中で涙を流す。


「面白い顔じゃの♪ かぶり物ではないのか?」


 少女が手を伸ばしてペタペタと顔を珍しそうに触るので、それだけでダンガーの脳が爆発しそうになる。

 女性という存在そのものに免疫のない純情野郎に、美少女との密着は強すぎる刺激だった。


 ヒンヤリやわらかな手が耳から頬、頬から喉へと、ふかふかした毛並みをメディーはサワサワとなで続ける。

 本物のようだと探りながら触りまくり、その流れのまま襟元に少女は手をかける。

 ふぉぉぉぉぉ~っと心の中で叫びまわって、抵抗ひとつ思い浮かばず、されるがままだったダンガーも、さすがに危ない気配を感じて細い手首をつかんだ。


「やいやい! お嬢! 調子に乗ってると、全身を毛づくろいしちまうぜ!」


 うがぁ! と吠える勢いで恫喝し、これでもかと口を大きく開けて威嚇する。

 どうだ怖いだろう、ちくしょうめ!


「想像できないような恥ずかしいことも俺は平気だからな! 泣いたってやめてやらないぞ!」


 美少女に泣かれた図を想像して内心ではビビりまくっていたが、毛深い顔は想定以上に凶悪な面構えになり、部下たちは心の中で拍手を送る。

 ボス、顔が本当に怖いっすよ、最高にがんばってるっすよ、と。


「……毛づくろい、とな……? なんと情熱的な……」


 しかし、少女はぽうっと頬を染めていた。

 ダンガーの襟もとから手を離し、もじもじと身を震わせ恥じらっている。


「恥ずかしいことといえば愛の交わりであろう? なんとも気が早いことだが、いずれ父上に紹介せねば。毛づくろいは毛皮族の最高の愛情表現のはず」


 少女はブツブツつぶやきながら、あらぬ妄想が脳内で爆発的にふくれあがっているらしい。

 ダンガーと目が合うと頬をリンゴのように紅潮させ、可憐とも思えるか細い声で、ポソリと漏らした。


「わらわにはつくろえる毛が少ないけれど、それでもよいか?」


 は? とダンガーは再び凍りついた。

 オイ、なぜドレスのすそを念入りになでつけ、俺の目線を気にしながら角度を変えて持ち上げ、チラチラ足首を見せつけるんだ?


 なにやら自分が大きな間違いを犯したことに気づく。

 罪なほど艶やかな微笑みで、誘うような上目遣いをした少女は、ムンムンと幼い容姿に似合わぬ色香を放ち始めていた。


「いきなり生涯唯一の告白を受ける日がこようとは……これが一目惚れなのじゃな」


 ちがーう!! と言いたくても言えない。

 いやいや、想像したくないが、どういう勘違いがあったか一瞬で予想がついてしまった。


 巳族は華奢に見えても強靭な肉体を持っている。

 片手で三トンの塊を平気で持ち上げることだってできる。


 ダンガーは否定したくて全力で焦っていたが、目の前をいったりきたりする足とハイヒールが凶悪だった。

 何しろ巳族の怪力に耐えうる特製ハイヒールである。

 繊細なかかとは美しい見た目でも、宇宙船の床ぐらい簡単に踏み抜けるほどの強度を持っていた。「かわいらしいハイヒールですね」などとぼけたふりをしてごまかしたら、尖ったかかとで蹴飛ばされ、一瞬にして大往生できるだろう。


 ふさふさした毛の獣面ではわからないが、ダンガーは青ざめていた。

 眉間にプッスリとヒールが突き刺さる未来なんて欲しくない。

 身の安全を確保するには肯定するしかない気がした。


「い、いやいや、落ち着け……まずは落ち着こう。そもそもお嬢は幾つだ?」


 なにしろ成人未満に見える美少女なのだ。

 このままではロリ確定!

 未成年は犯罪だと言いつのる淡い希望は、すぐに砕け散った。


「うむ、気にするでない。巳族のわらわは幼く見えてもれっきとした大人。伴侶を探せと送りだされてすぐに遭難したが、旦那様の想いを受け入れる準備はできておった。これは運命の導きかもしれぬ」


「神に感謝を」などと祈りのポーズをとって盛り上がっている少女は、華やいだオーラをふりまいていた。

 口もとからチロリと一瞬のぞいた舌先が二つに割れていて、ダンガーの目が泳いでしまう。ついでに心の中に血涙が流れた。


 神よ、これはなんの試練ですか?

 こんな運命はいらない。


 巳族の住む星雲は非常に遠い。

 通常航行だと二年以上かかる距離だ。

 巳族との出会いなど想像したことすらなかったというのに。

 どうしてこんなところに流れ着いたかわからないが、恐るべき宇宙嵐としか言いようがない。


 近距離の荷物を専門に扱うダンガーたちが、遠方で暮らす巳族に実際お目にかかることは少なかったけれど、その特性も少しは知っていた。

 巳族は美系ばかりで愛情深いが少々度が過ぎていて、思い込んだら命がけである。

 嫉妬心と猜疑心と執着心は宇宙随一だったりする。

 つまり、一度目をつけられたら、一生離してもらえないのだ。


 メディーと名乗った少女が巳族の長の娘だと追い打ちのように聞いて、ダンガーの心の中で血の涙が大海へと育っていく。

 いまだかつて女性と付き合ったこともないのに、異民族の長の娘なんてハードルが高すぎた。

 しかも愛こそすべての巳族である。愛らしいアイドルに見惚れただけで浮気扱いである。

 もちろん怖ろしすぎて声には出せなかったが、せめて犬族とか狼族の女性のモフモフした耳に、一度でいいから顔をうずめてみたかった。


「それにしても心地よい毛並みじゃの♪ 全身に生えておるのか?」


 あ、やめろ! と叫ぶ間もなかった。

 襟元に再び手がかかり、巳族特有の怪力を発揮された。

 一瞬のうちにバリーンとばかりに布が裂けて、ボタンがブチブチとちぎれ飛ぶ。

 服であった布切れをポイと投げ捨てれば、モフモフとした豊かな胸毛が現れた。

 やわらかな毛がミッチリと生えている胸に、嬉しそうにメディーは頬をすりつけた。


「うむ、良い毛触りじゃ♪ そなたのすべてはわらわのもの」


 神よー! と心の中でダンガーが叫んだとき、無数の足音が遠ざかるのを聞いた。

 それまで彫像のように塊ギャラリーと化していた部下たちが、そそくさと逃げだしたのだ。

 他人の痴態など見たくもないから、当たり前の行動とも言える。


 呼び戻そうと伸ばした毛むくじゃらの手はむなしく空を切るばかりで、なんたる薄情者たち……と嘆かずにはいられない。

 ダンガーにとっての助け手になるはずの男たちは、一瞬のうちに姿を消してしまった。


「わらわのすべてはそなたのものじゃ」


 甘い吐息をこぼしながら、華奢な少女はスルリと怯える毛並みに身を寄せる。

 やわらかな毛に顔を埋めたメディーの微笑みは、真珠よりも清らかに輝いていた。


 そのすぐ後、ダンガーの身になにが起こったか。

 誰も何も語らないが、メディーの微笑みは艶やかな輝きを増し、心から満たされていたのは確かである。

 たくさんの初めてを奪われ滂沱の涙を流したことは想像に難くないが、ダンガーは生涯縁がないとあきらめていたはずの経験も得ていたので、遠い目になっていたとしても良いこととしよう。


 そもそもの種族が違うジャッカル族と巳族。

 習慣も常識も価値観も、そのすべてが生きる文化の違いである。

 寄りそい生きるのは並大抵の努力では成し遂げられない……はずだった。

 あんなことやこんなことがあっても、そもそもダンガーは不器用なヘタレ代表である。

 睦まじく過ごすまで、山あり谷あり、非常に大変だったことは推し量ってほしい。


 しかし、二年半もの宇宙航海が終わるころには、ダンカーとメディーは想いを通じさせてイチャイチャと過ごしていた。

 巳族の長に認められるため一年ほどの旅も追加で待っているけれど、平たんではないのがこの二人の人生のお約束で、それはまた別の冒険譚になるだろう。


「終わりよければすべてよしって言うはずだよな」


 うんうんとうなずき語り合うジャッカル族の部下たちは、胸やけしそうなほど甘い様子を見つめていた。

 別の星雲まで二人の愛の航行につきそう気の良い彼らは、いまだ出会いに恵まれないロンリーな男たちでもあった。


 今日もお熱いですねなんて、やっかみ半分の冷やかしを受けながらも、ダンガーはまんざらではない顔になっている。

 愛を諦めて飢えている男と、過剰にあふれ出る愛を与える女であるから、奇跡的に釣り合いがとれたのだ。


 強面のジャッカル族は伴侶を得るだけで苦労するのが常道。

 けれど、添い遂げるメディーの愛情は本物である。

 目移りもせずダンガー一筋。

 少々度が過ぎて嫉妬深いけれど、巳族の想いは命がけ。

 骨の髄まで惚れぬいて、相手に尽くすのだ。


 知らぬ間に、仲睦まじい異族夫婦の伝説が生まれていたのは、苦労を乗り越えた信頼関係の証でもある。

 メディーは小柄な美少女の姿をしているがジャッカル族の何倍もパワーがあふれているし、影に日向にかいがいしくダンガーをサポートしていた。

 出会った時はどうなる事かと思ったけれど、素晴らしい伴侶を得たとダンガーは感謝するばかりで、運命の神を信じていいとさえ思う。


 だから夜になると。

 怖い顔のジャッカルは、愛しい妻の耳元にささやくのだ。


「今夜も綺麗に毛づくろいをしてやるぜ」と。



『 おわり 』

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