第8話 罪を償ってもらうわ
アトモントンが“私”を探している間は、隠れておかなくっちゃ。
とりあえず、一階の大広間へは行かずに、化粧室に直行した。
パーティには仮面をつけて参加される方も少なくない。化粧室に、仮面が忘れられているのを何度か見たことがある。
酔ってしまうと、どうでもよくなるのね。
「やっぱり」
今日も、誰かの仮面が洗面台の上に置かれていた。
イヤリングも片方だけ落ちている。
「これって、あの時、ワイセラが広間のテーブルに並べていた中にあったものじゃないかしら? これは使えるかも」
二つとも拝借することにした。
仮面は黒い刺繍飾りで、目の部分だけが空いている。
顔にあてがって、後ろで一結びする。
「よし」
これならすぐには私と分からないはず。
再び大広間へ行く。アトモントンが“私”を連れて二階へ上がっていることを祈って。
壁際に置かれている椅子で、うたた寝をしている老婦人を見かけた。
老婦人の胸元で輝く大粒の真珠のネックレスには見覚えがあった。ワイセラが売り渡していた宝石の中の一つだ。
ああ、本当に何てこと! ワイセラは大勢の方から宝石を盗んでいたのね。その家の使用人をたぶらかして……。
近くにいる人は誰も老婦人など見ていない。
背後に回って真珠のネックレスをそっと外すと、そのまま握り込んだ。
「少しの間、お借りしますね」
あとはワイセラだ。
なんとしても、ここで撃退しておかなければ。
女性たちのため息が聞こえてきた。
「うわあ」とか「まあ」とか、ポーッと頬を染めていそうな声だわ。
「現れたのね」
ワイセラは、あの日と同じ格好で、艶やかな黒髪を自慢げにかきあげながら、会う人会う人、皆、丁寧に挨拶をしている。
なんとヘレナまで来ていた。クリーム色の豪華なドレスを着て、汚れを知らぬ乙女みたいに振る舞っている。
既にとろんとした目で、ヘレナに釘付けになっている男性が数人いた。
――いけない。みんな騙されないで。
仮面が私を大胆にしてくれた。
酔ったふりをして、ふらふらと歩いていき、ワイセラにわざとぶつかった。
「おや、大丈夫ですか?」
甘いセリフはお手の物だったわね。
腰を支えている彼の手の感触が気持ち悪い。
「あら、失礼」
わざと低い声で、おどけてみせる。
去り際に、彼の上着のポケットに真珠のネックレスを滑り込ませた。
どうやら気付かれなかったみたい。
準備ができたので、老婦人に起きてもらおう。
「もし。奥様。あそこのクリーム色のドレスの女性が、あなたのネックレスを外して持っていってしまわれましたわよ」
「え? ネックレス?」
老婦人は目を覚まして首筋を触ると、「ない、ないわ」と慌てふためいた。
そして、ヘレナ目掛けてよろよろと歩き出した。
ああ、奥様。転ばずにゆっくりいらしてね。
私は老婦人よりも早くヘレナのもとへ行かなくっちゃ。まだ仕上げが残っているわ。
ヘレナは男性たちに言い寄られて恥ずかしそうに俯いている。
「男性も女性も、美しい者には、こうも弱いのね」
アトモントンは初対面でよく無視できたわね。
周囲を見回したけど、“私”の姿はない。やるなら今だわ。
ヘレナの背後に周ると、さっき二階の部屋で見つけたハサミで、彼女の膨らんだスカート部分に裂け目を入れた。
肌に触れた訳じゃないから、ヘレナは全く気付いていない。
ハサミをテーブルに置いて、ワイングラスに持ち替える。
「――ふう」
ヘレナのドレスの裂け目を掴んで、裾を踏んづけてから、思いっきり突き飛ばした。
「きゃあ!」
ビリリリと音を立てて、ヘレナのドレスが破れた。
私は驚いたふりをして、ヘレナの頭の上で、ワイングラスを傾けた。
みっともなく床に転がったヘレナの顔に、赤ワインを降り注ぐ。
「ちょっと! あんた何してんのよ! いい加減にしなさいよ!」
か弱い女性を演じていたことを忘れちゃってるわね。
「あら、ごめん遊ばせ」
それだけ言うと、イヤリングを静かに転がして、あたかもヘレナが転んで手放したようにみせかけた。
「まあ、いやあね」
「みっともないわ」
男性を虜にしていた面識のない女性の失態は、この場にいる令嬢たちの大好物だ。
クスクス笑われ恥をかかされた妹の窮地に、ワイセラがやってきた。
ヘレナに駆け寄ると、自分の上着をかけてやる。
一人の貴婦人が、床に転がったイヤリングを見つけた。
「あらいやだ。これ私のイヤリングよ。片方なくしたと思っていたのに。どうしてあなたが持っていたの?」
失笑がピタリと止まった。
そこへやっと老婦人が到着した。
「泥棒! 返しなさい! 私のネックレス! あなたが盗んだのを見た人がいるのよ」
周囲はざわつき始めた。
「まあ!」
「なんですって!」
「泥棒がどうしてここにいるの?」
男性も女性も皆、眉間に皺を寄せて、害虫でも見るような目つきに早変わりだ。
「何なのよ! うるさいわね。そんなもの知らないわよ」
貴婦人も譲らない。
「でも、私のイヤリングを持っていたのよ。もしかしたら他にも……」
「知るもんですか! こんな言いがかり、ただで済むと思ってんの!」
化けの皮が剥がれたわね。
「まあ、怖い。どちらの家の方かしら。どなたかご存知?」
「さ、さあ」
騒然とする会場の雰囲気に、ワイセラがここぞとばかりに潤んだ瞳で女性たちに訴えた。
「私の妹は人様の物を盗んだりはしません。誤解です。何か誤解があったようです」
いいえ。あなたたち兄妹は立派な犯罪者よ。
私は口元を隠して、うんと低い声で、「そいつがかけた上着もあらためろ」とヤジを飛ばした。
「そうだそうだ。兄妹なら怪しいぞ」
私のヤジに触発されて、ワイセラにも疑念の目が向けられた。
さあ、誰かヒーローになりたい人はいないの?
勇敢さを見せたい男性が、群衆の中から現れた。
「では私が」と言って、ヘレナから上着を剥ぎ取ると、ポケットを改めた。
「これは……」
男性は、ポケットから真珠のネックレスを取り出して、みんなによく見えるように掲げた。
ワイセラもヘレナも呆気に取られて言葉も出ない。
「まあ、私のネックレスよ。誰か、衛兵を呼んでちょうだい」
老婦人の言葉に、会場内からも怒号が飛んだ。
ワイセラとヘレナは抵抗したが、衛兵に連行された。
「俺じゃない。知らない。何でこんなことに」
「離してよ。私に触らないで!」
……はあ。こんなところかしら。
もう後は祈るしかない。
あの二人には、これまで人を不幸にして辛い思いをさせた分、しっかり償ってもらわなきゃね。
さあアトモントン。後は頼んだわよ。“私”を離さないでね。
私は姿を見られる前に、いったん屋敷に戻った方がよさそうね。
「ああ、馬車に乗れたら楽なのに」
まあ歩いても一時間の道のりだけど。
なんだか疲れた。でも心地いい疲れだわ。
あら? ちょっとだるいかしら。
いえ、なんだか体が、随分と、重い――わ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます