キス泥棒に恋をする

真朱マロ

第1話 キス泥棒に恋をする

「Trick or treat! Trick or treat!」


 コンコンと窓を軽く叩きながら忙しく繰り返す声に、俺は思わず肩をすくめた。

 これは間違いなく瑞希だ。

 夏にも同じことがあった。

 一階にある自分の部屋の窓から抜け出して、同じく一階にある俺の部屋の窓を叩き、深夜に手持ち花火に誘いにきたことが記憶によみがえる。


 俺たちは同じ歳で仲は良いけど、幼馴染という訳ではない。

 小学校の高学年で俺が引っ越してきたときに、瑞希は登校班の班長だった。

 世話焼きのお節介が服を着て歩いているような性格だから、グイグイと引っ張られて俺はかなり振り回された気がする。

 お前はオカンか? と言いたくなったけど、まぁ、それなりに世話になったのは確かだ。


 ただ中学ではお互いに名字で呼びあって微妙に壁ができたし、同じ目線でまともに話しだしたのは同じ高校に入学してからかもしれない。

 瑞希はチビだから通学の満員電車でつぶされそうになり、俺がいないと目的の駅で降りそこねるのだ。

 ほっとけないというよりも「一人でも降りれるから!」と顔を真っ赤にして、無駄な努力をしている瑞希をからかうのは、それなりにおもしろい。素直に「ありがとう」と言わないが、上目遣いで「明日も同じ電車だよね?」と確認してくるところも気に入っている。

 今は登下校の時に俺が引っ張ってるから、トータルすればお互いさまだろう。


 それにしても身長は小学生並みとはいえ、一応は瑞希も女の子である。

 近所に住んでいるからといって、こんな夜中に出歩くなよ。

 もうすぐ日付が変わるというのに、受験生がなにをやってるんだか。


 半ばあきれながらガラリと窓を開けると、黒いワンピースにフェルトの猫耳をつけた瑞希が立っていて「にゃぁ♡」と鳴いた。

 両手で軽く猫のポーズをとっているけれど、顔に蝙蝠のペイントをしているから夜の闇に浮かびあがると不気味だ。

 普通の化粧なら可愛く見えるのに、なんで蜘蛛の巣などの妙な柄も追加しているんだろう?


「Trick or treat! Trick or treat!」


 ぷぅっとふくれながら瑞希はくりかえすけど、だからなんだと言いたい。

 お菓子が欲しいのかもしれないが、訪問先を間違えている。

 夜の俺の部屋を目指してきたって、お菓子なんてあるわけがない。


「ないぞ、菓子なんて」


 帰れ帰れと手を振って追い払ったけれど、ハロウィンなのに、と瑞希は口をとがらせる。

 だから、どうした。オレンジ色のカボチャ・イベントは世の中に定着してきたが、誰もが積極的に参加したがると思うのは間違いだ。

 そんな行事は俺の辞書にはないと胸を張ってやった。

 うかつな返事をして、仮装に付き合わされたくはないしな。


「夜中に菓子なんて食うと、太るぞ」


 至極当然の俺の言葉に、瑞希はぷうっと頬を膨らませた。

 黒猫の仮装も相まって、すねてる表情は妙に可愛い。

 なんだかんだ話しているうちに、夜もすっかりふけていき「そろそろ帰れ」と俺は瑞希を追い払いにかかる。

 女の子が出歩くような時間をとっくに過ぎてしまっていた。


「ねぇ、それどうしたの?」


 突然、瑞希は首をかしげた。

 それまでモダモダと不服そうだったのにクルッと表情が変わり、ものすごく眉根を寄せて不審そうだから、俺は急に不安になった。

 そこそこ、と瑞希は指さして教えてくれるけれど、俺にはちっともわからない。


「は? なにが?」

「何か髪についてる」

「なんだと?」


「素直に、とってくれって、言えばいいのに」


 頭に手をやると、クスクスと瑞希は笑い出した。

 ほら、と言って手を伸ばしてくるので、俺は素直に身をかがめる。


 それから先は、一瞬の夢に似ていた。

 細い腕が頭を通り過ぎ、首筋にかかるとクイッと強く引かれる。

 よろめいて思わず前のめりになったところで、唇にあたたかなやわらかさが軽く触れた。


 驚く間もなく、すぐに離れてしまったけれど。

 頬をかすめた吐息の熱も、触れた軽さも、確かに人の体温で、思考が停止してしまう。


「甘いもの、ごちそうさま♡」


 クスッと笑いながら、そんな捨て台詞を残し、瑞希はクルンと身をひるがえす。

 鮮やかに小さな背中は走り去り、あっという間にいたずらな黒猫は見えなくなった。

 夜風が彼女をかき消したのかと惑うぐらい、素早い退場だった。


 今、何が起こった?


 茫然としたまま俺は取り残される。

 唇に触れた感覚も、頬をかすめた吐息も、瑞希の体温だった。

 それがキスだとわかるまでかなり時間がかかってしまい、理解した瞬間に俺は思わず倒れそうになる。


「まじかよ……」


 速度を上げた鼓動が、ドクドクと痛いぐらいに自己主張している。

 コレが夢なんかじゃない証拠に、夜風が落ち着けとばかりに俺の部屋を冷やしていた。

 沸騰しそうだった頭は少し冷えた気もするが、動揺はおさまらない。

 

 明日、どんな顔して合えばいいんだろう?


 闇夜の中から再び現れて、冗談だよって笑ってほしいような、そうなったら立ち直れないような、なんとも言えない気持ちで胸がざわめく。

 夜に目を凝らしても、俺のファーストキスを奪った瑞希はもういない。


 確かに彼女ほど親しい女の子はいないし、ハキハキしたところも、ぷっと膨れながら上目遣いにお願いしてくるところも、ぜんぶ気にいってるけどさ。

 付き合ってどうこうなるラインを越えないように気を付けていた。


 その適度な距離感を選んできたのは、近づきすぎるのが怖かったからだ。

 特別な意味を持って瑞希だけに気持ちを向けることも、瑞希が俺だけに気持ちを向けることも考えないようにしていたのに。

 急に安全なラインを越えて動き出したことを、自覚してしまった。


 あの泥棒猫、キスだけではなく俺の心までさらって逃げてしまった。

 振り返りもせず背中を見せて逃走なんて、薄情すぎないか?


 単純だって笑われてもいい。

 俺は、キス泥棒に恋をする。



『 HappyEnd 』

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