罪と聖者

笹川 景風

異世界ファンタジー

第1話 罪悪

 夕方の四時ごろ、帝都に向かう長距離魔法機関列車は重低音を響かせて進んでいた。

 二等客車は旅客や商人が多く座っていた。彼らは疲労困憊な様子で赤いふかふかの布張りの椅子にもたれると居眠りをしたり、重い瞼をあけて時折、振り子時計のように頭をゆらして帳簿をまとめたりしていた。

窓に目を向けると秋空の低空に居座る太陽が眩しく煌めいている。山は影深く、田畑は鏡のように太陽光を反射している。


 車両の後方、質素な鶯色のステハリ姿で木製の窓枠に肘を預け本を読んでいる青年フョードルは、グレゴリー大司教付きの書記官で、地方の司教領から中央教会へ使いに出ているところだった。


車内は途中駅に停車するたびに人が増えていく。広々としたボックス席で悠々と一人を楽しむフョードルだったが、ついにフョードルの対面にほとんど手ぶらの男性が一人座った。その男性は辺りをきょろきょろ見渡し落ち着きがなかった。男性の荒らしい呼吸がチークの黒い床に跳ねた。


 男性は純白の異質なほど仕立ての良い服を着ており、首にはホッキョクギツネのティペットを巻いていた。年は40代ぐらいで筋肉質な体、振る舞いの中に只ならぬ威厳があった。他の列車内にいるどんな者達よりも雅があった。


≪この人は何者だ!≫


フョードルはジロジロ見ては悪いと思って本越しに男性を瞥見べっけんすると、急に冷汗が出てきた。明らかに高貴な方であり雰囲気が少し大司教のそれにも似ているので、目の前の男性は大司教と同格かそれ以上の身分だろうと考えた。


≪一等車や幻の貴賓車両に乗らずに、なんで二等車に乗っているのか≫

明らかに周囲とは浮いている男性のことが恐ろしくなって、本の内容が頭に入ってこずに何度も同じところを読み返した。


「聖職者の方」

そのまま時間が経って懐中時計の長針が30度ぐらい動いた頃、突然、男性が利口そうな低音の声で言葉をかけてきた。


フョードルは話しかけられるとは思っていなかったので半場痙攣状態でゆっくり視線を上げ男性を見る。

「ど、どうされました。高貴な御方」

あまりにも情けない声だったがフョードルは自分の声を気にする余裕もなかった。

男性はそれを聞くとなぜか安心したような笑みを浮かべると

「失礼。緊張される必要はないですよ。ただ何の本を読まれているか気になって、私、読書家なものですから」

慇懃いんぎんな様子で言った。


≪そんなことで声をかけられてしまうとは!本なんか読まなければよかった≫

フョードルは死刑宣告されたかのように体が震えた。

断っておくがフョードルは相席になった者と話すぐらいの社交性は持ち合わせている。ただ、対面に座る高貴な御方と気楽に本に関しての雑談をするほどの肝は持ち合わせていなかったのである。

それでも答えなくてはならないので気を振り絞って言った。

「”アリュードの日の出”という市で買った粗末な恋愛小説です。高貴な方に見せるような崇高な本ではございません」

フョードルは早く話が終わってほしいと神に祈り震えた声を抑えつけて、できるだけ平静を装って話した。


「私も恋愛小説を読みますがね、その本は初めてです。どのような話ですか」


≪こんなのたまったもんじゃない!≫


フョードルは内心この不幸を呪ったが表情には出さずできるだけ簡潔かつ丁寧に答え、ご機嫌を取るのに務めた。


「アリュードの地に送られた罪人と一緒に行くことを選んだ恋人の話です」

すると男性はぎょっと目を見開くと窓の外に視線を移す。

フョードルは失言したかと焦ったが男性は、

「アリュードか...」

とアリュードの土地を見ているかのように木製の枠に切り取られた景色を望遠した。


アリュードとは罪人の流刑地であり、冬は万物が凍る極寒の未開拓地である。龍や大罪魔女が住むという噂もある。


「なにかアリュードに思うことでもあるのですか?」


「いや...一度見てみたいと思いまして、私の想像するよりも過酷な土地なのだろうか」

と憂いのあるような笑みを見せた。アリュードなどに興味を示すとは好奇心の強い聡明な方なのだろうか。


「高貴な御方がいくようなところではありませんよ」

フョードルはなんだか口が軽くなって話を終わらしたかったはずなのにそう言っていた。


「高貴な方というのはやめてほしい。私は高貴でもないのでね」

なぜか男性の顔には悲壮が見えた。

「ご冗談を。高貴な方でないならそんな上質な衣裳を身に着けることはできませんよ。旧家の方ですか?」

いよいよフョードルは気になって仕方なかった身分について尋ねた。

「ネヴァフス家の当主ではありますが」

自信なさげな声だった。

≪何が高貴じゃないだ。ふざけるな!伯爵じゃないか≫

フョードルはストレスのあまり眩暈がした。

ネヴァフス家は帝国領内東方エルトモスクの大領主、帝国内でも一目置かれている格式高い貴族だった。


「かの高名なエルトモスク伯のアレクサンドル様だとは!なぜ二等車に」

不思議に思い躊躇ちゅうちょせずに尋ねた。フョードルは好奇心には少し弱かった。

エルトモスク伯は少し恥ずかしがり笑みを浮かべた。


「はは、実は先ほど伝令より緊急招集の沙汰が告げられ慌てて列車に乗り込んだのですが、一等席がとれなくて」


≪それでもさすがに従僕をつけないのはおかしいぞ!≫

恰好や雰囲気は彼をエルトモスク伯と言っているが、状況的におかしい点がいくつもあった。


「それほどの事態が起きたのですか。戦争?謀反?」

フョードルが首をかしげる。

「それは...言えないのです」

そう言ったエルトモスク伯は寂しそうだった。


 いくつかの山を越えた。古都エパンチや魔法都市リテイナも過ぎた。着実に帝都が迫っていき魔法機関列車は軽快に汽笛を鳴らした。日光は稜線を描き、空に塗りたくられた蜂蜜がはみ出して車窓から座席に落ちた。黄金に輝く列車は旅愁の野を駆ける。

騒がしい車内はいつの間にか静かになっていた。


エルトモスク伯は貧乏揺すりをはじめ、ため息がちになった。

段々と余裕がなくなっていくさまが見て取れた。


「聖職者の方」


エルトモスク伯は俯いている。顔に強い日差しによって影が差していた。

「どうされましたか」

フョードルが訊いてから数秒の間が開いた。エルトモスク伯は息をのんでようやく声を出した。

「私は罪人ですか?」

蚊の鳴くような声だった。

急な言葉に戸惑い狼狽した。エルトモスク伯の顔は見えぬが煩悶はんもんが感じられた。赤い背もたれに窓枠が十字の影を切った。


「どういうことでしょう。何か法を犯されたのですか?」

フョードルはできるだけ優しく声をかけた。

「いえ、法ではなく罪を犯したのです。そしてまたこれから犯すのです」


≪意味がわからん。急に何を言い出すんだ!≫


迂愚うぐな私をお許しください。なんのことを話されているか私にはさっぱりわからないのです」


エルトモスク伯は顔を上げ重苦しい視線でフョードルを刺した。そこには憤怒、悲哀、絶望が混在していた。


「すまない。理解はしてくれるとは思わない、ただ許しが欲しい」

フョードルはいよいよ訳が分からなくなった。


≪私は書記官でグレゴリー大司教のような聖職者ではないのだ。罪の懺悔ざんげなら聖堂でやってくれ!≫


しかし、エルトモスク伯が列車が帝都に近づくにつれて萎れて、今では老人の様に覇気がなくなっているのを見ると憐憫れんびんの情が湧いた。フョードルは憐憫には少し弱かった。


「何のことだか豆一粒ほども理解を示すことはできませんが、どんなことなされても神はあなたを許しお救いになるでしょう」

フョードルは実際司教でも輔祭ほさいでもない。聖職者ともいえない書記という役柄なのに無責任にそんなことを言った。


そんな時、日が完全に落ちきって山に溶けた。暗闇が地上を支配し遠く街明かりを浮かした。魔法機関列車の前照灯が揺らいで献灯のように往く手を照らす。風の声に交じってうっすらと祝文が聞こえたような気がした。


「ありがとう」

エルトモスク伯は目を潤ませて窓の外をみた。

暗闇の中に黄金で描かれた絵のようなピカピカの街があった。帝都である。魔法機関車は曲線を描き都市を目指す。街明かりは銀河のように密集し、空に浮かぶ星々を圧倒しているように見えるが、実際その光はあの遠くの星には届かない。星々があざ笑った。


「少し頼みがあるのだが」

「なんでしょう」

フョードルは好奇心と憐憫の情に揺さぶられた。


「これを娘に届けてくれ」

エルトモスク伯は懐から金刺繍のある紺色巾着を取り出すとフョードルに差し出した。フョードルは恐る恐る受け取った。

中に硬い石像か何かが入っているようだった。

「これは何でしょうか」


「これは私の罪だ」

また訳の分からないことを言った。

フョードルは理解するのを諦めて気にせずに言った。


「娘さんはエルトモスクの街にいらっしゃるのですか?」

「いや。アリュードにいる」


あまりの言葉にフョードルは耳を疑った。アリュードの話が出たとき物思いにふけていた理由に合点がいったが、しだいに腹底から憤怒がマグマのように湧きたった。苦悶から救ってやろうと手をさしのばしてやったのに無礼だ、なんて奴なんだ。


「無理です。自分でお渡しになればいいじゃないですか」

フョードルはその巾着を突き返した。


「頼む!私は渡すことができないのだ」

「知りません!召使にでもやらせればいいでしょう!」


列車が止まった。窓の外に無機質な石レンガのホームがあった。

ほかの乗客が荷物をまとめて立ち上がった。商人が煙草をぷかぷかふかしながら降車していく。

「無理だ。君にしか頼めない」

席に座った時の最初の威厳は干からびて、目の前には中年の哀れな男がいた。乗客の歩く振動で天井から吊られている客室照明がゆらゆら揺れている。


「何故です」

「それは...」

エルトモスク伯が口をもごもごさせたとき、辺りがざわめいた。

二人とも何事かと首を伸ばす、兵士が列車内に流れ込んできた。

 

胸の鶴の意匠、青いマント、ピカピカの金属の胸当。身につけるものすべてが彼らが帝国の近衛兵ということを示した。ざわざわと騒ぎが広がって人だかりができる。近衛兵は降りようと準備している乗客の顔を一人ずつ凝視する。兵隊の先頭の一人、口髭の立派な強面の男がエルトモスク伯をみて目を見開くと人を押しのけ、ずんずん近づいて伯爵の前で綺麗なお辞儀をした。


「エルトモスク伯爵。お迎えに上がりました。近衛兵団副団長のアダーエフでございます。使者から屋敷から急にいなくなられたと報告が来たときは心臓が止まるかと思いました」


「罪人に礼節など不要だ」

そう言うエルトモスク伯の目には覚悟が宿っていた。エルトモスク伯はそれでは頼んだぞと愕然とするフョードルに囁くと、近衛兵に囲まれて列車を降りホームの奥に消えた。


「ふざけるな!」

フョードルの声はざわめきの中に隠された。

彼の手には巾着袋がしっかりと握りしめられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

罪と聖者 笹川 景風 @sugawara210

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ