あるいは幸運なミステイク

長月瓦礫

あるいは幸運なミステイク


これは巧妙な罠かあるいは幸運なミステイクか。

いずれにせよ、魔王は降誕しなかった。


山脈の頂にいる巨大なドラゴン、バハムートを見て魔物たちはざわついた。

魔物たちは王になった彼の身に、何かが起きると思っていた。

例えば、雷が落ちて新たな力に目覚めるとか、山脈が真っ二つに割れて地上へつながる道が開かれるだとか、超常現象めいた何かを期待していた。


しかし、何も起きなかった。

山の頂にいるバハムートは非常に落ち着いていた。


薄暗い闇の中で鱗はちらちらと星のように輝きを放ち、両目は満月のように丸い。

いつもと変わらない、凛とした姿だ。


新たな王は手際よく行われる機械の撤収作業を眺めていた。

地上人たちは巨大な機械をいくつも操って、ドラゴンの頭に王冠をゆっくりと乗せた。彼の頭に合わせて作られた王冠があまりにも大きすぎて、こうでもしないと頭に乗せられなかったのだ。


王冠はバハムートと親交があった地上の職人たちから贈られたものだ。

地上世界と交流を図るためのとっかかりとして、何年もかけて作り上げられた。

二つの世界を結ぶ友好の証として、受け継がれていくはずだった。


「さて、これで正式に魔物たちを統括する王となったわけだね。

この日をみんなと迎えることができて、本当に光栄だ。

王になっても、これまでと変わらずに親身になって働いていく。

私はいつだって君たちのそばにいる。どうか忘れないでほしい」


バハムートのスピーチをじっと聞いていた。

力を誇示するために、声を荒げるような真似は決してしなかった。

悩み事へアドバイスでもするように、優しく語り掛けた。


「この王冠は、地上の人たちの持つあらゆる技術が結集されている。

王になる私のために作ったと聞いて、私は確信した。

地上の世界も私たちをきっと受け入れてくれるとね」


彼は慎重に頭から王冠を外した。

鏡のように仕上げられ、いくつもの宝石で飾られた非常に美しい王冠だ。

地上人の持つ精密さと感性に舌を巻くばかりである。


「もちろん、地上の世界と交流が始まるから、新たに問題が増えるかもしれない。

中には魔物を陥れるために、悪さをする地上の人が現れるかもしれないね。

実際、悪意に気づかなかったら私は呪われていたのだ」


この言葉を聞いて、魔物たちはにわかにざわついた。

地上にいる職人たちから悪意を向けられていた。

魔物の手本となるようなドラゴンを陥れようとした。


信じられないことに、地上人によるすでに攻撃が始まっていた。


お互いに顔を見合わせていると、スクリーンが現れた。

代表として招かれた地上人の顔が映し出された。

あまりにも小さすぎるから、こうでもしないとよく見られない。


「本日はこの場にお招きいただき、本当にありがとうございます。

新たな王の誕生に立ち会えたことを嬉しく存じます。

さて、私は生まれも育ちも戦乱の地、種族は人間、名はミカン。

あっぱれミカンとは、私のことでございます」


人間が優雅にお辞儀をすると、バハムートは目を細めた。


「彼のおかげで、私は呪いにかからずに済んだ。

何も気づかずにこの式を挙げていたら、戦争が起きていたかもしれない。

いや、起きていたんだ。そうだね、ミカン君」


名を呼ばれ、人間は前に立った。


「彼が魔王になった十数年後、地下世界は地上世界へ侵攻を開始します。

それが最初の戦争です。その後も戦いが勃発し、お互いに憎しみ、ぶつかり合う。

私たちの生きる世界では、何度も争いが繰り広げられているのです」


再び、魔物たちがざわついた。

十数年後の未来は明るく、平和なものだと思っていた。

地上の世界との新しく始まる交流は希望に満ち溢れている。


とてもじゃないが、ミカンの話が信じられなかった。


「今から私の言っていることが嘘ではないことを証明します。

史実は捻じ曲げられ、闇に葬られた。その真実をご覧に入れましょう」


人間が手を叩くと、スクリーンが切り替わった。

地上人たちの工房が映し出され、王冠と思われる宝器と様々な宝石が置かれていた。

作業台を囲み、ひそひそと話し合っている。


『この宝石を組み込めば、あのドラゴンといえど逆らえなくなるはず。

いずれ、我々に忠誠を誓うようになるでしょう』


『呪いはどんな種族でも死に陥れた。魔族とて例外ではあるまい』


『これで地下世界も一巻の終わりですなあ……』


宝石から一瞬、黒い煙が立ち上った。

職人たちは慎重に宝石を手にし、削りはじめた。

彼らは禁忌の力で魔王を操り、地下世界を征服しようとしていた。


一度でも呪いにかかったら、解放することはできない。

それが魔物の王であったとしても、例外ではない。


ミカンは黒い煙が立ち上る宝石を掲げた。

それを見た瞬間、魔物たちは震えあがった。


これまでに感じたことのない、強力な何かが秘められている。

希望とは正反対の力に恐怖を抱いた。


「お分かりいただけましたか! 

この宝石こそ、地下世界の脅威となったであろう呪いの宝珠!

これに気づかなければ、醜い争いが始まっていたことでしょう!」


魔物たちは山脈の頂上へ職人たちを連れてきた。

大声で悪態をついている。


二つの世界が戦争している時代からやってきた彼でなければ、この違和感には気づけなかった。職人の工房に忍び込み、王冠の宝石をすり替えておいた。


これが未来が変わる鍵となる。戦争は起きない、平和な未来になるはずだ。

手足をバタバタさせているちっぽけな職人をバハムートはじっくりと眺めた。


「さて、彼らはどうすればいいのかな?

こういったことが起きたことがないから、勝手が分からないんだ」


「一応、地上へ連れ戻す予定です。

法の下の平等……とはいえ、死刑は決まったようなものですかね」


「それなら、ここで死刑を執行しても変わりはないと。

まあ、みんなも見ていることだしね。けじめはつけておいた方がいいだろう」


バハムートは魔物から職人たちをもらうと、大きな口を開けて丸のみにした。

ドラゴンの腹の中に納まる。おやつにもなりやしない。


「さて、これで問題は解決した。地上世界と戦争する理由もない。

明るい未来に乾杯しようじゃないか」


魔物たちは酒が注がれたカップを掲げ、雄たけびを上げた。

ここに新しい秩序と指導者が誕生したのである。


未来は変わった。地上世界と共存する未来への第一歩を踏み出したのである。


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