あの男

わたくし

緩く優しい表情をして「あの男」は来た

 戦争はすでに3年の月日が過ぎていた、しかし未だに終結の目処は立っていなかった。

 政府は払底した兵士を補充する為に、学生や中高年の男性を動員する決断をした。


 この『新兵訓練所』に「あの男」が来たのは、桜の花弁が舞う4月の初めだった。入所者の列の中に「あの男」は緩く優しい表情をして並んでいた。

 大講堂で所長訓示の後、直ぐに入所者の身体検査と学力テストをして、訓練グループ分けを始めた。「あの男」は入所者の中で学力は良かったが、体力は最低の成績であった。もう少し成績が悪ければ入隊免除になる所であったのだが、最低限のラインは越えていた。「あの男」は最低ランクの『Fグループ』に配属になった。


 訓練教官の俺はこれから6ヶ月で「あの男」を一人前の兵士に仕上げなければいけない。


『Fグループ』の宿舎に訓練生を案内した後、俺は大声で叫んだ。


「お前達は最底辺のクズ共だ!」

「排泄されたクソよりも役に立たない存在だ!」

「俺はお前達クソ共を一人前の兵士に育て上げる!」

「戦場で死にたくなかったら、俺の言う事を良く聴け!」

「そして俺に話しかける時は、頭に“サー”を付けるのだ!」

「解ったか! クソ共!」


「サー! イエス サー!」

 訓練生は全員で大声で叫ぶ。もちろん「あの男」もだ。


 翌日から訓練が始まる。午前中は教室で座学だ。軍隊の基本知識や法令などを学ぶ。午後は基礎体力を養うためのトレーニングを行う。

 俺達教官は訓練生を徹底的にしごき上げる。余計なプライドを破壊し上官の命令を忠実に実行するだけの殺戮マシーンにするのだ。

 ここで情けを掛けて優しくすると、過酷な戦場の中で自我喪失をして何も行動出来ないまま無駄死にしてしまうのだ。そして基本動作を体で覚えるまで徹底的に繰り返す。前に瞬間的に体が反応するまで繰り返すのだ。


「あの男」は最低グループの『Fグループ』の中でも一番体力の成績が悪かった。俺は「あの男」を集中的にしごいた。緩く優しい顔だった「あの男」も次第に俺に対して憎しみの表情を見せ始めた。良い傾向だ、誰であれ憎しみで人を殺せれば立派な兵士になる。


 匍匐前進の訓練中に「あの男」は急に立ち上がった。俺が咎めると「あの男」は、

「綺麗な花が咲いていたので、潰したくなかった」

 とか言いやがる!

 俺はその花の上に「あの男」を這わせて尻を蹴って匍匐前進をさせた。

「あの男」は涙目で俺を睨んでいた。良いぞ、もっと憎め!

 戦場では「相手を憎む事」と「自分が生き残る事」以外の余計な感情は死へ向かうだけだ。


 訓練は班単位で指導する。全て賞罰を班全員の全体責任で行う。そうする事で部隊の絆を深めて、部隊全体が一つの生物になるようにするのだ。

「あの男」が所属する班は、「あの男」せいで常に最低の成績だった。班員全員で罰を受けるので、班員達は「あの男」への憎悪を増していった。

 絆を深めた仲間に対してドライになる事は、戦場で仲間の死を目の前にしても動揺せずに次の行動を出来るようになるのだ。「あの男」は緩く優しい表情をしたまま、仲間の憎しみを受け流していた。


 訓練4ヶ月目に各グループを解体して、訓練生の特性に合わせた技能訓練を行う。「格闘」・「狙撃」・「爆破工作」・「偵察斥候」・「特殊工作」・「補給輜重」・「衛生管理」などの各コースで特殊技能を習得するのだ。

「あの男」は「狙撃」コースへ進んだ。これは「狙撃」以外の成績が全部落第点だった為である。この頃になっても「あの男」の表情は緩く優しいままであったが、俺に対しての憎しみの表情は顔に出していた。良い事だ、憎め!憎め!


 6ヶ月が過ぎて訓練所を卒業する時期が来た。相変わらず戦線は膠着状態で敵味方両軍共に決め手に欠ける状態であった。

 俺は各訓練生の成績を見て配属先を上官に進言する。

「あの男」は結局、「狙撃」以外は何も成績は向上しなかった。本当だったら後方勤務に就けるべきであったが、俺は敢えて最前線勤務の『狙撃大隊』へ推挙した。

 一定期間最前線で遮蔽物に隠れ、ただ一人で敵を狙撃し続ける任務だ。「あの男」の訓練期間中に全く変わらなかった普段の緩く優しい雰囲気と、一瞬見せる俺に対しての憎しみの感情が狙撃任務に適していると思うからだ。

 普段の雰囲気でいれば敵に殺意を察知され難くなる、そして敵を補足すれば一瞬で相手を憎み任務を遂行する。「あの男」はそれが出来るはずだ。


 俺は卒業式典の後、「あの男」と話し合った。

「良く最後まで俺について来てくれた」

「これでお前は一人前の兵士だ!」

「サー イエス サー!」

「お前は俺が今でも憎いか!」

「サー ノー サー!」

「本当の事を言え! お前は俺が憎いか!」

「サー イエス サー!」

「宜しい! これからはその憎しみを敵兵に向けるのだ!」

「照準に入った敵を俺だと思って撃て!」

「サー イエス サー!」

「最後まで生き残れよ!」

「サー イエス サー!」

 俺は「あの男」と別れた。



 後日上官から呼ばれた俺は衝撃の事実を知る。

「あの男」は『畏き御方』の御子息で、本当なら司令部附きの高級将校になって我々に命令する立場だったのだ。「あの男」は本当の戦場が知りたい事と、純粋な愛国の心で『畏き御方』にお願いまでして、ただの兵隊として軍に志願したのだ。


「それまでの特別扱いの生活から打って変わって、厳しくても一人の訓練生として他の人と同じに扱ってくれた事に感謝している」

「私は名も無き一兵卒として戦場へ赴き、教官の教えを守り必ず生きて帰ります!」

「あの男」の手紙にはそう書いてあった。

 『畏き御方』の口添えで「あの男」の身上は秘密になり、ただの兵士として最前線へ向かった。




 それから2年が経ち、敵味方両軍共何も利益が無く戦争が終わった。


 俺が指導した訓練生の半数以上が戦場から戻っては来なかった……


 しかし「あの男」は普通に生き残って普通に帰ってきた!

 あの緩く優しい顔のまま、沢山の戦功章をぶら下げて!

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あの男 わたくし @watakushi-bun

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