1.「雪風」

かつて二度起きた大戦の後、世界は三度の大戦をしないまま時を過ごした。結果、かつてあった大戦の記憶は徐々に忘れ去られ、――あるいは尾ひれ背びれがつき――そしてそれを証明してきた資料が、語り手が、それを物語る遺産が徐々に失われていった。


「幽霊艦隊」――それは、広い海から突然現れた異形の怪物。彼らはその武力を用いて各国への攻撃を開始。世界は制海権を喪失した。

しかし同時期、かつて二度あった大戦で活躍し、沈み、解体された艦船の魂が、人の形を形成し、誕生していった。


「それが私たち、『艦船戦士』だ。どうだ。わかったか。」

「な、なんとなくぅ……」


鉛筆を動かすはずの右手はもうとっくに止まっている。黒板のすみからすみまでぎっしりと書き込まれた世界の情勢は、着任したての「雪風」にはあまりに壮大すぎる話だった。


「まあ徐々に慣れていくんだな。」

「慣れ…」

「そうだ。どのみち貴様はこれからここで生きていくんだからな。まあ暫くは座学の時間もある。その目でその世界を見ることもあるだろう。慣れるさ。」


そう言いながら長門は黒板の文字を丁寧に拭って消していく。座学がまだ続くのかと考えると、頭が痛くなってくる。鉛筆を、広げたノートの上に投げ捨てて肩をほぐすためにのびをすると、ポキッと軽い音が鳴る。


雪のように白い髪、光を思わせる黄色の瞳。少年らしさを残す容姿の青年――「雪風」が着任したのはたった三日前のことだった。目を開くと、驚いた顔をした男性――のちに「大淀」という名だと分かった――が目の前に立っていた。彼が手に持っていた鉛筆をぽとりと落とし、その芯を折ったのを見て、あ、もったいねえ、と思わず零した。これが「雪風」の艦船戦士生活初めての言葉となった。

その後、まず赤髪の青年が雪風に突進する勢いで抱きついてきた。


「わぁ〜!!俺の新しい兄弟〜!!」


そのまま加減も知らずにぎゅうぎゅうと抱きすくめるものだから、苦しかったし、突然の出来事に、雪風は固まってしまっていた。「大淀」が止めてくれていなかったら、絞め殺されていたかもしれない。


「俺は陽炎! 陽炎型駆逐艦一番艦の『陽炎』だ! で! で! お前の兄ちゃんって訳だ! 」


高らかに、誇らしげにそう宣言した陽炎だったが、何も知らない雪風はただあんぐり口を開けていただけだった。


「……いや、兄ちゃんって何? ってか、お前誰。」


そう言ったときの陽炎の、この世の終わりのような顔は今でも覚えている。

その後で、連れていかれた別室であれやこれやと聞かれる羽目になった。目の前の人たち、先程の「陽炎」を知っているか、とか。海の戦いの話を先ず聞いて、これに心当たりはあるか、とか。雪風にとっては、どれにも本当に全く心当たりがなかった。その旨を伝えると、「大淀」は少し困ったような、戸惑ったような様子で全てを手元の紙に記していた。その字が整っていたことも、覚えている。


「――次に、『水平線協定』についてだが。」

「うぇぁえ!?!? 」


天井をぼんやりと見上げていた雪風だったが、長門の声にふと我に帰る。前後に揺らしていた椅子から危うく落ちそうになったが、なんとか踏みとどまる。几帳面に文字を消された黒板に、また小難しい言葉が並べられていく。雪風は、ともかくとして話を聞いていなかったことが、気づかれていなさそうなことに安堵した。


「……大丈夫か?」

「はい!! 全然!! 」

「…まあいいか。『水平線協定』とは、世界各国にある、我々『艦船戦士』が組織している。主に、『特殊海軍』との連携を円滑に進めるための協定なのだが…」


『水平線協定』に関する説明を二行ほど書くと、長門はその手を止めた。またぼんやりと窓の外の鴎を眺めていた雪風はふと長門のことを見る。


「…どうやら、唯一の生徒の集中が切れているようなので、今から外で『武装』の展開を行うこととしよう。」


やはり、雪風が上の空になって、話を全く聞いていなかったことを、目の前の小柄な男は気がついていたのだ。そのことに、雪風は今気がついた。



――同時刻。洋上のある海域にて。


「う……『ウォースパイト』さまぁ! まだなんですかあ…!? 」


そばかすの目立つ青年が声を上げると、「ウォースパイト」と呼ばれた男が振り向く。


「なんだ『ケリー』! もう疲れたのか! 」

「つ、つかれますよぅ! 本国からここまででも、結構距離ありましたよぉ!? 」


げんなりとした様子で、「ケリー」と呼ばれた少年は大きなため息をつく。


日本ジャパン…まさかこんなに遠いなんて……」


そう、彼らは極東の島国ー日本を目指して広い海を駆けていたのだ。彼らの本国、西の島国――イギリスと日本の距離は、とにかくひらいている。遠いのだ。無論、途中で休憩は挟んでいる。しかし、元より遠洋航海の経験が少ないケリーにとっては、とにかくこの旅がキツイのだ。機関という機関が悲鳴をあげている。目の前のウォースパイトはケリーとは対照的にまだまだ元気そうだ。そしてもう一隻。


「ケリー、大丈夫? 」

「あ、『ジャーヴィス』にいさん。…うん、大丈夫だよ。」


ケリーがそう返せば、「ジャーヴィス」と呼ばれたその青年は笑みを零した。


「そっか。でも無理はしないでね。」


二、三度ケリーの頭をポンポンと撫でるとジャーヴィスはウォースパイトのほうへと行ってしまった。


「(ジャーヴィスにいさん…気配りも流石です……)」


ケリーはジャーヴィスの背を、尊敬の眼差しで見つめていた。


「……そういえば、最近日本ジャパンに新しい駆逐艦が着任したらしい。」


思い出したかのようにふとそう口にしたウォースパイトをジャーヴィスは少し見上げた。


「へぇ、どんな子なんですか?」

「ああ、確か…かつての二度目の大戦において縦横無尽に海を駆け回り、多くの作戦に参加し、そして、生き延びた…幸運駆逐艦と聞いているぞ。」


――お前と同じだな、ジャーヴィス。


その話をきいたジャーヴィスは、最初きょとんとしていたが、すぐに明るい表情になった。


「それは…是非、会ってみたいですね。ウォースパイト様、その子のお名前は?」

「あー…『ユキカゼ』だったな。」

「『ユキカゼ』…『ユキカゼ』さん、かあ…どんな人なんだろう。」


まだ見ぬ極東の幸運駆逐艦に思いを馳せながら、ジャーヴィスはその足を速めた。

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青き暁の水平線―三隻の幸運駆逐艦― 熊谷 響 @hibiki1208

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