琥珀の方舟

つくも せんぺい

二分の一の選択

 ――モノクロの世界が色をとり戻すまで、王国は長い長い眠りにつく。


 国からの宣言が僕たちの耳に届いたのは、中央都市で眠りにつく人員の選定が終わった後。

 凱旋がいせん用の車が装飾も外されず、スピーカーがあるというだけでここまで走ってくるということに、事態の緊急性が分かるというものだ。


 けれど、それでも遅い。現在の異常さだけならもうとっくに理解していた。

 世界の象徴とも呼ばれる遥か遠くの山。その上半分が吹き飛ぶほどの火柱が上がり、黒雲が空を隠して七日経つが、いまだに灰が降っている。


 気温は下がり続け、息も白んできていた。

 しかし灰は雪のように積もるが、雪とは違い溶けない。

 僕らがを始めてからも七日。国はいまの生活を捨て、未来への休眠を選んだらしい。


 以前にも食料が足りないからと、実りを待つために眠りにつくというおれがきたことがある。その時には選定はなく、王宮が冷たい霧で国中を満たし国ごと氷の眠りにつかせた。


 僕の両親はあの時国外に出ていて、今も帰ってきていない。

 機能しない国で季節を越えられずに死んだんだろうと思っている。でもその時孤児になったのは僕だけじゃない。国端つまさきの民には珍しくないことだった。


「あと二時間でどうしろって言うんだよ。なんで俺たちの所まで管理もできないのに、国を広げたのかね」


 兄の文句は、呆れたようにも面白がっているようにも聞こえる。

 まぁさっき聞いた放送の内容を聞く限りでは、そう思えてしまうのも無理はない。


「さぁ、知らずに増えたのかも知れないよ」

「塀だけは造って囲ってんだ。そんなわけないだろ」


 僕は身支度を整えながら兄に返事をしたが、真面目に答えてないことが透けて見えたのか鼻息の荒い反応が戻ってきた。

 けれど時間が惜しいから、無視する。


 曰く、この未曾有みぞうの災害に対し国が選択したのは、休眠。

 コールドスリープよりも長い期間を越えるため、国民を琥珀こはくに変えると名付けられた措置だという。


 なんでも、国で一番の高い塔ごと琥珀にして、埋没を防ぎ数千年後に復活するとかしないとか。

 中央都市にはその琥珀化の樹液がもう満たされており、あと二時間ほどでこの国の端にも液が運ばれてくると放送された。


 しかし、その量はせいぜい二人に一人を包める程度だという。そもそもここは平地だから、そもそも埋まったままなんじゃないかとも思う。


 国がこの放送車両を出すのは、せめてもの慈悲なのか、残酷だと捉えられるかは人それぞれだろう。

 しかしこの国端の地で暴動が起きることはない。

 この地の住人は、自分たちが国の頭でも手足でもなく、そもそも爪先なのかもあやしい空白なのだと理解していた。


 僕はむしろ、中央に居て無条件に生き残る権利があったことを放棄して、放送車両や樹液の輸送機を走らせる選択をした人を尊敬する。

 なんでもない僕は、最後のその瞬間まで自由だ。


「行ってくる。兄さん、幸運を」

「気にすんな。俺はここを動かん。もしお前かあの子が残れたら、また来い。生きてたら力になる」

「わかった、ありがとう」


 兄はテーブルに頬杖をついたまま、ひらひらともう片方の手を振った。最期かも知れないときですら見送りにも来ないその姿に、この人はしぶといだろうなと思わず笑った。





「灰かきでまだ朝ご飯食べてなかったから、今から食べようとしてたとこ。一緒にどう?」

「メニューは?」

「さっきハム貰えたから、ハムエッグトースト」

「いいね、最後に贅沢ぜいたく

「そうそう、使いきれないからってくれたの」


 僕が向かった先は、成人したら結婚を約束していた幼なじみの家。なんてことない、ありきたりな選択。けれど恵まれていると思う。


 彼女はもう出来上がっていたトーストを皿に半分に切り分け、ソファに並んで座る。

 いただきますと言った後、しばらく無言で食事をした。何度も過ごした時間のはずが、なんだか上手く言葉が出てこない。

 彼女もまた、座ってからは話さなかった。


 食器を片付けることなく、どちらかともなく手を握り、唇を重ねた。彼女からはケチャップの香りがして、それがなんだかムードが無くておかしく感じ、落ち着く。


「いただきます」

「あ! おじさんみたいなこと言う」

「おじさん、いいじゃないか」

「……そうかも」


 不思議と二人とも涙はなかった。

 彼女の温もりを感じながら、これからのことを考える。


「ねぇ、あなたと私……どちらかしか選べないなら、私が未来へ行くわ」


 彼女の言葉には強い意志が宿っていた。瞳と仕草に、聞かなくても真意が伝わるのは、僕らの過ごした時間が育んだ絆だ。


「それが良い。ならせめて、今は二人で眠ろうか」

「うん」


 また唇を重ね、ソファに座ったまま、心地良い倦怠感けんたいかんに任せて二人で微睡まどろんだ。





 微睡みから覚めたとき、僕と彼女の身体にはゲル状のものがまとわりついていた。すぐに琥珀の素になる樹液だと気づく。

 彼女の身体にも、中途半端な量の樹液がかぶさっていた。どういう代物かは分からないが、動いている。生きているものに反応して、自動で保護しているのかも知れない。


 放送の通り、二人分には足りない。

 僕は自分にまとわりついた分を剥がし、彼女にかぶせた。深く眠れているのか、体内に樹液が入ってしまっているのかは分からない。ソファに横にしても起きたりはせず、まだ胸はゆっくりと上下していた。


 身体を覆い、顔だけ残す。

 僕は台所のナイフで自分の指先を少しだけ切った。ピリッとした痛みが走り、血がにじむ。その血を彼女の唇に塗った。

 せめて目覚めて最初に感じるものが、僕であればいい。


 そして、彼女の全てを樹液で包んだ。

 薄い茶色の、あめのように美しい琥珀の方舟はこぶね

 詳細を知らない僕は、国の技術を信じるだけだ。


「あとは、君のために生きるよ」


 そう彼女に告げ、後に遺るか分からないけれどメッセージを書いて、僕は彼女の元をあとにした。


 外に出ると、何人かが空を見上げている。

 泣いている人も、笑っている人もいる。


「やぁ、別れは済ませたかい?」


 そんな人々に、僕は声を掛けた。

 ここは平地、しかも国の端つまさきだ。

 だからまだ、この灰が降る地でやらなければならないことが残っている。


 何千年かは分からない。

 意味があるかも分からない。

 ただ、君と君が繋ぐ命のために。





 一人の女が、長い眠りから目を覚ました。

 まだ少女だとも言える、若い女だ。

 ざらざらとした灰色の砂の上、裸だった。


 ぼんやりと壁は光を宿していて、苔だと気づく。

 そして整えられた真四角な空間が、自分が目覚めた場所が、意図的に作られた部屋だということも察せられた。


 周りには飴色の欠片が散らばっており、少し離れたところに石でできた箱。服と水が入っていた。

 まだ朦朧とした頭で水を口にすると、唇が切れていたのか鉄の味がした。

 けれど、潤った舌で唇を舐めても、鉄の味だけで傷はなかった。


 その味が、水を飲むと全身に広がる感覚がし、なかでもぼんやりと腹部が温かくなるような気がした。

 その温度に、愛した者を思い出す。


「そっか……約束、守れるのね」


 ハッキリとしてくる意識に、呟きが漏れた。まだ変化の見えない腹部を撫でる。

 彼女は服に袖を通し、部屋を出るために歩き出す。出口には、深く大きな文字でこう彫られていた。


 ──西の部屋に、僕の兄が居るはずだ。喜ぶから頼ってくれ。


 最期まで、優しい気遣いばかりだと笑みが浮かぶ。そして彼女は無事、方舟を降りた。


 彼女は知る。

 新たな時代は、飴色にそびえる塔がと呼ばれ、中心となった世界だと。

 彼女は知る。

 目覚めた場所は地下にあり、と呼ばれる、あの日残された人々が繋いできた、人が生きられる場所だということを。


 そして、世界は知る。

 ある青年が繋いだ命が、時を越え生まれることを──。

 灰に塗りつぶされた世界は、この日よりまた色を取り戻していく……。










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琥珀の方舟 つくも せんぺい @tukumo-senpei

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