第一話⑧

「待ってください! そんなに一度においしいものはいただけません。小分けにして、何度も楽しまないとっ」

「? 昨日はあんなに食べていたじゃないか」

「あれはわたしにとって、百年に一度、あるかないかのことですから」

 リルのおおげさな言い分にレオラートは小首をかしげた。わかるようでわからないむすめだ。

「とにかく、今日のマドレーヌとレモネードは貴重な甘味ですから、小分けにしていただきます」

「……結局、食べるんだな?」

 テーブルに散乱していたハーブ類を手早く片付けるリルをレオラートは眺める。

 今日はぼうをかぶらず、金色の長いかみをたらした姿だったが、あいかわらずボサボサで前髪が表情をおおかくしている。黒のシンプルな服は似合っているのだろうが、住まう家はあまりのするあばら家で、とつぷうけば飛ばされそうなほどたよりない。

 ──城から恩給が出ているはずだが……?

 灰色のまなこで部屋に視線をめぐらせたレオラート。

「それにしてもよかった。昨日、ミス・アレクシアのマドレーヌを買いそびれたから」

 またキッチンに向かったかと思えば、リルは手にしたシルバープレートにマドレーヌを三つのせる。

し上がれ、ミス・アレクシア」

 リルがかべぎわにある小机のうえにシルバープレートをコトンと置いた。すでにしろけられたびんと丸い眼鏡が置かれている。壁づたいに視線をあげれば──金色のがくぶちに入れられた例の絵画だ。

 レオラートのうしろに隠れていたザシャが「ひぃぃいい」と身体をけ反らせ、顔を青くさせている。

「どうした?」

「か、閣下……あれはきっと絵画のなかに、まだじよが生きてるんですよ……」

「どういう意味だ?」

「夜になると絵から出てきて、ムシャムシャってあのマドレーヌを食べるに決まってます……」

 黒くってギョロ目のくちばあさんみたいに血をしたたらして……、とザシャがまた同じようなことを言って、ひとりでふるえあがっていると、

「ミス・アレクシアは金色の髪ですよ」

 目は切れ長でしたけど口は裂けてません、とリルは不服そうにザシャをふり返った。

「一番みぎはしの魔女がミス・アレクシアです」と絵画を指差す。レオラートは足を進め、絵画を近くで見ることにする。

 中央の玉座にひげたくわえたバルトルト王が座り、うしろに四人の魔女が並び立っている。

 向かって左のかつぷくのよい魔女は《石の魔女マクシーネ》。れんきんじゆつけた彼女の功績は高く、【トット・アカデミー】で習う化学の教書の至るところで、彼女の名やしようぞうを見る。

 そのマクシーネのとなりは《の魔女リカルダ》。きあげる火山から引きいたと伝わるけんたずさえ、髪を短くし、魔女でありながらこうしやくという地位を手に入れている。

 そして王のすぐうしろ、リカルダの隣が《王の魔女ベアトリクス》。のちのおうである。赤い髪をしていて、やわらかなしようをたたえている。

「彼女が……《雨の魔女アレクシア》?」

 レオラートはリルが指差す魔女に目を細めた。「ええ」とリルはうなずく。

「わたしがここに来たときには髪は白毛になってましたけど、ふうぼうにあまり変わりはないです」

「……」

 ──ちがう。

 レオラートはとっさに胸のうちでつぶやいた。

【トット・アカデミー】で学んだ建国史に出てくる四人の魔女。

 教書にえがかれていた《雨の魔女アレクシア》と姿が違う。教書には黒いドレスは変わりないが、そうしんで、鼻が顔の半分をしめるかと思うほど大きかった。背は曲がり、童話に出てくる悪女としての『魔女』の姿といつわりなかったのだ。

「ミス・アレクシアはものぐさな方でしたけど、この絵画のとおり、本当におれいでしたよ。髪が長くってはだきとおるようでした。丸い眼鏡をかけていて──」

「それは本当に《雨の魔女アレクシア》か」

 思わず口をついた。レオラートはハッとして手で口を覆う。「……いや、失礼」とにごすと、

「間違いなく、ミス・アレクシアですよ。あんなほう、彼女しかあやつれない」

 リルは絵画を見つめたまま、りんとして言った。そして、そのことじりには、どこかいちまつさびしさを感じさせた。レオラートがリルに視線を落とすと、リルは目をせ、「……できそこないのわたしとは違います」とこぼした。

「魔法の構造は魔女によってさまざまなんです。系統が違うっていえばいいですかね」

 マドレーヌを供えたリルがめずらしく話をつづけた。

「ほかの魔女たちに直接会ってたしかめたことがないので、ミス・アレクシアからの受け売りになってしまうのですが……」

《石の魔女マクシーネ》、彼女は物質を分解する術に長けています、すべてを解いて構築する……限度があるそうですが、新たな物質を創るには最適だとミス・アレクシアが言っていました、とリルは話す。

「《騎士の魔女リカルダ》はそんの物質を強化させることが得意で、彼女が魔法によってました剣でれないものはないそうです。《王の魔女ベアトリクス》は……」とリルが順に説明したところで、

「《雨の魔女アレクシア》は?」

 レオラートが問いかけた。リルはくるりとザシャをふり返ると、「あなた」と呼びかけた。

「あなた、名前は?」

「へっ?」

 難しい話をしていたかと思えば、とうとつに声をかけられ、ザシャは身をかたくした。「お、俺!?」と自身を指差すと、リルはうなずく。

「お、俺の名はザシャ。……ザシャ・カラキ」

「『ザシャ・カラキ』?」

「ああ」

 リルがザシャの名を口にすると──ハンチングぼうをかぶったザシャはぴたりと動かなくなった。背筋がぴん、とび、どんぐり眼を見開く。じわっとあぶらあせがにじんだかと思えば、数秒、石のように固まった。レオラートがザシャの異変に気づき、呼びかけようとしたところで、リルがちいさくなにかをささやく。

 と、同時にザシャがかなしばりから解かれたように「ふはっ」と息を吹き返し、全身がかんした。

「な、なにをっ」とザシャが狼狽うろたえると、

「ミス・アレクシアを悪く言ったばつよ」とリルはしれっと言った。

「はぁ!?」

「『黒くってギョロ目の口裂け婆さん』がどうとかって、さっき話してたでしょう?」

「そ、そそそそそれはだなぁ!?」

「それはなに? 悪口以外のなにものでもないでしょ?」

「はぁあああああ!?」

「リル、説明してくれ」

 興奮するザシャを制止し、レオラートがリルを見やった。昨日はりよくが弱ってしまって魔法が使えないと話していたはずだが、いまのはいったい?

「《雨の魔女アレクシア》は特異な『目』を持っているんです」

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雨の魔女と灰公爵 ~白薔薇が咲かないグラウオール邸の秘密~ 𠮷倉史麻/角川ビーンズ文庫 @beans

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