第一話⑦

「馬車で送ろう」

【サロン・ド・モニカ】を出るとレオラートがリルの背に声をかけた。しかし、リルは首を横にる。

「いえ、乗り合いの荷車がありますので」

「荷車? 女性ひとりで?」

 レオラートはげんそうにまゆをよせた。荷車とはその名のとおり、商人たちが荷を運ぶためにこうがいへ走らせている馬車で、屋根があるものは少ない。賃金をはらえば人も乗せてもらえるが、積荷と同じ場所に乗り、雑多で、けっして乗り心地のよいものではなかった。

「来るときも荷車で来ましたし、平気ですよ」

 リルがあっけらかんと話すと、レオラートはリルの姿を改めて見つめた。黒いぼうに黒いドレス。はだしゆつしないよう黒のショートぶくろをはめた身なりは王都エペにおいてもかなり目立つ。

 そのリルが足をとめて、じっと通りを眺めている。さきほどまでの雨がうそのように上がり、れたいしだたみのうえを大工や職人たちがあくせくと動き回っている。

「建国祭の準備だろう。街を隊とおうこう貴族の馬車がパレードする」

 大工たちが作った木製アーチに白のペンキがられている。同じような形をしたものがいくつも作られ、とうかんかくに並べられるようだ。

「初代国王は白薔薇を愛したと言われている。ああやって白くそうしたもののうえから、初代おうをあらわす赤い薔薇をかざるのだろう」とレオラートが言った。

「おくわしいんですね」

「建国史はアカデミーでいやというほど習う。今年は百周年だから、規模も大きくなるだろう」

 リルはレオラートの言葉を聞きながら、ペンキが塗られるアーチを見ていた。

 ──「白薔薇を愛した初代国王」と「初代王妃をあらわす赤い薔薇」。

 リルが遠目に眺めていると、

「それで君は? 花売りにでもなりたいのか?」

 リルのとなりにレオラートが並び立った。リルが見上げるほど背が高いレオラートだが、不思議とあつかんはない。

「白薔薇を売りに来るなんて……魔女への依頼は少ないのか?」

 レオラートの問いかけに、リルは押しだまった。そして、「──少なくはないです。お断りしてるだけ」と答える。

「わたし、りよくが弱ってしまって魔法が使えないんです」

 大きなけ声がわされる職人たちを眺めながらリルが言った。レオラートはいぶかしげにリルを見下ろす。

「ですから、領……いえ、あなたの依頼もお受けすることはできません」

 ごめんなさい、とリルはレオラートの方に向きなおし、ていねいに頭を下げた。

「お菓子やパンはとてもおいしかったし、レモネードも初めて飲みました。でも、わたしではあなたの願いをかなえることはできない」

 これはお返しします、とリルはさきほどシドウからわたされた十万ノクト金貨をレオラートにさしだした。

 険しい表情をかべたレオラートがぐっと手にこぶしにぎる。

 ──魔力が弱いというならば、なぜ、雨が降りつづく?

 反射的に思ったが、レオラートは自制するように息をひとつき出した。「……それは白薔薇の代金だから」と金貨を受けとらなかった。


 翌日──

 郊外のあばら家でリルは薬草の調合をしている。

 庭で白薔薇とは別に育てているカモミールやペパーミント、セージなどをみ、刻んで、油紙のうえにひろげているところへ、にぎやかな来訪者があった。

「リルちゃんの薬草湿しつは打ち身によく効くから助かるわ。これ、朝焼いたパンとうちのにわとりが産んだたまご。少ないけどお礼に」

「アンさん、いつもありがとうございます。今日は娘さんの薬湯はいりませんか?」

「ああ、それ! リルちゃんの薬湯を飲むとぐっすりねむれて身体からだが楽になるって」

「じゃ、いまある五包分、持って帰ります?」

「そんなにはお金がないの。パンとたまごだけじゃ申し訳ないし」

 椅子いすこしけたアンがしようすれば、

「つぎに来たときでかまいませんよ」

「本当? 秋には畑でれる豆をたくさん持ってくるからね」

 近くに住む農家の婦人アンがうれしそうに椅子から立ち上がった。リルから分けてもらった薬草湿布とハーブの薬湯を入れた袋を手にげんかんとびらへ向かう。

「それにしても、今日は朝から雨が降らなくていいね~」

 今年ぐらい降るとせんたくものかわかないしパンにはカビが生えるし……まったく困ったもんだよ、とアンはためいき交じりにドアノブを回した。

「じゃあ、またね!」とかろやかに声をひびかせると、

 アンが扉を開けてすぐ──庭先に男が立っていた。「わ! びっくりした」とアンが目を丸くさせると、上品な身なりをした男は「これはマダム、おどろかせてすまない」とわき退いて通り道をあける。あやりのしなやかなで仕立てられたロングジャケットにシルクのアスコットタイ──田舎いなかでは見かけないで立ちをした男をしげしげとながめたアンは、うしろがみを引かれるようにしながらも、そそくさと帰っていく。

「失礼する」

 そのアンに入れわって、あばら家に入ってきたのはレオラートだ。昨日も見た顔にリルの眉がよる。厳密に言えば、昨夜、馬車で送ってもらって以来なので数時間ぶりだ。

「今日もなにかようですか?」

 あいさつもそこそこにリルは席を立った。古びた帳面に、いまアンに手渡した薬草湿布と薬湯の数を書き記し、使った羽根ペンを机にもどす。部屋は天窓から落ちる光だけだが、今日はしがあるためしよくだいに火をともさずとも困らない。

 レオラートはその様子を目に映しながら、

「花売り以外にもいそがしいのだな」

「生活をしていかないといけないので、それなりには」

 アンにもらったパンとたまごが入ったバスケットをかかえ、そっけなく返したリルの鼻先に、ふわっと甘いかおりが届く。くん、と鼻を鳴らすとまえがみの奥の瞳が香りの発生源を探すようにさまよう。入り口に立つレオラートの手に茶色のかみぶくろがあった。

「昨日の【サロン・ド・モニカ】でマドレーヌを買ってきた」

 ハーブが置かれたままのテーブルに紙袋をのせた。「焼きたてを買ってきたから、馬車のなかが甘いにおいでいっぱいだった」と加える。

「きょ、今日のご用件は……?」

 つばをごくりと飲みこんだリルは、紙袋に目をい止めたまま問いかける。

まんしなくていい。君への土産みやげだ」

「い、いえ、昨日もごそうしていただきましたし、そんなには……」

 口では断りの弁を唱えながらも、目は紙袋から外せない。く、とのどの奥で笑ったレオラートは紙袋を手にとり、丸いシールがられていたふうを開けた。ますます甘い香りがくなる。

「君が食べないなら、私とザシャで食べてしまうが?」

「た、食べないとは言っていません!」

 リルは胸に抱えたバスケットを隣にあるキッチンへ置きに走り、しつぷうごとく戻ってくると、マドレーヌが入った紙袋を両手にとった。想像以上にずっしりと重いそれは、リルにとって幸せの重さだ。紙袋のなかをのぞくと顔がほころぶ。

「レモネードは? これも【サロン・ド・モニカ】で買ってきた」

 レオラートのうしろにひかえていたザシャが細いガラスびんを手にしている。「これは原液だそうだ。水でうすめて飲むものらしい」とレオラートが説明すると、リルはいきおいよく右手を上げてレオラートを制止した。

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