第一話⑥

「クロワッサンにミートパイ。アップルタルト、カスタードプディング、それからパウンドケーキとスコーンも」

 ブルーベリージャムを多めにえてくれ、とメニュー表に目を落としたレオラートがゆうに口を開く。

「そ、そんなには……食べれません……」

「私が食べる」

 レオラートがなに食わぬ様子で返し、テーブルの向かいに座ったリルは借りてきたねこのようにちいさくなった。あまりの空腹にえかねて正常な判断力を失ってしまった。

 馬車に描かれたグラウオール家の紋章が、あろうことか焼きに見えてしまっただなんて……

 すっかり身をちぢこませたリルに、

「レディ、レモネードは? ここのは口当たりがいい」

 主人、レモネードも追加してくれ、とレオラートが注文すれば、ちゆうぼうから「まいどー」と声が返ってくる。

 ここは街角のカフェテラス【サロン・ド・モニカ】。

 雨が降りそそぐガラス張りの店内。甘いかおりを漂わせて、赤いクロスが掛けられたテーブルにパンや焼き菓子たちがつぎつぎと並べられていく。すずしげな青いグラスに注がれたレモネードにははちみつけされた輪切りのレモンが浮かんでいた。

「どうぞ、し上がれ」

 レオラートにごそうしてもらう理由はどこにもないが、こののどから手が出そうな空腹にとても逆らえそうにない。リルは焼きたてのクロワッサンにそろりと手を伸ばし、ぱくりとかぶりつく。サクッとした皮目のパリパリ感がたまらない。口内にひろがる甘さと鼻にけるバターの香り。……おいしい。たまらなくおいしい。リルはひとくち食べると、つぎからつぎへと口に運んでしまう。

「ゆっくり食べたらいい。気に入ったものがあれば追加で注文する」

 レモネードのグラスをかたむけたレオラートはリルの様子を観察する。一心不乱になって食べるさまは猫……いや、まるで子犬にえさあたえている気分だ。

「ここはマドレーヌもおいしい。帰りにテイクアウトするといい」

 レオラートの提案にリルは上目だけでレオラートを見た。【パウラ・ポウラ】に現れたのはぐうぜんかもしれないが、十万ノクト金貨と、この盛大なもてなしの目的は例のらいをきいてもらいたいからだろうが……それにしてはずいぶんお金をかける。

 ──それほどじようじゆさせたい願いなのかしら。

 たしか、ネックレスのおくり主をさがしてほしいとかなんとか……と、リルは口はもぐもぐと動かしたまま、テーブルに並べられた菓子をながめていると、

「ではレディ。あのしろは私が買ってもよろしいか?」

 レオラートは四角いガラスのうつわで出されたカスタードプディングを大きなスプーンで取り分け、リルのまえに置いた。あくのように甘いわいだった。ほろ苦くげたカラメルが黄色のプリンの下にひろがっていて、なんともしよくよくをそそる。

 リルは「『レディ』はやめてください」と口をとがらせる。

「ではなんと呼べば? 『ミス・アレクシア』?」

 カスタードプディングにくぎづけのリルは、難しい顔をして思案すると、「……リル」とちいさく名乗った。

「『アレクシア』は先代の名でけいしよう名でもあります。リルがわたしの名前」

 二度目に会って初めて──レオラートはこの魔女のむすめと会話したような気になった。いま飲んでいるレモネードのようにさわやかで、心地ここちよい声だ。リルは銀のさじを手にし、カスタードプディングをすくうと、「エクター公爵様。やはり、さきほどの白薔薇はわたしが持ち帰ります。あれでは売り物とは呼べませんから」

 ぱくりとほおったリルにレオラートは「いや」と応じた。

「いや、あれでいい」

 それから、私のことは「レオ」と呼んでくれ、とレオラートは言った。

「雨で客が少ないとはいえ、外で『エクター公』と呼ばれるとなにかと人が集まってしまう」

 じようだんともとれぬ口調でレオラートが話せば、リルはきんぱつの奥のひとみでレオラートをまじまじと眺めた。

 ──エクター公。領主様。閣下。そして『はいこうしやく様』……。

 さまざまな名で呼ばれる彼が王都エペとはいえ、こんな街中で食事をするなんて──王族にひつてきするグラウオール家ならば、下々のまえに姿をさらすこと自体、ありえないのに。

 ──しかも得体もしれぬじよいつしよだなんて……正気?

「私はしよでね」

 いぶかしんだリルの視線に答えるように、レオラートは口を開く。

しきや城ではなく、たまにこうして街でうまいものが食いたくなる」

 あえて言葉をくずしたのだろうが、説得力に欠ける上品なものごしと整った顔立ちだった。そのレオラートがスコーンにブルーベリージャムをたっぷりとのせて口に運ぶ。食べ方までも絵になるほどれいで──リルはたまらず視線を外した。

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