第一話⑤

 翌日、リルが街に着くころには太陽が雲間から顔を出す。

 西の鉱山から切り出された斑岩ポーフイリーめられた王都エペ。せつかつしよくと灰色が交じるいしだたみを夏を予感させる陽射しがジリッと照りつける。朝まで残った雨がかがやきを放つなか、空を映す水たまりのうえをゆうかつする馬。うるわしくかざった人々が街にいろどりをえている。

 街角にはテラスのあるカフェがにぎわい、きらびやかなほうしよく店がのきを連ねる。甘いかおりのただようベーカリーの先にはれた果実を並べる高級果物店があり、イチゴをほう彿ふつとさせる赤い薔薇のモニュメントが店の入り口に飾られていた。

 ──あいかわらず人が多い……!

 きんちようのあまり顔をこわばらせたリルは、ごくん、とつばを飲む。群衆をうようにそろそろと歩きだせば、目指すはふんすい広場に面する青いオーニングテントが目印のフラワーショップ【パウラ・ポウラ】。

 リルの服装はえりの詰まった黒のドレスに黒のショートぶくろぼうも黒で、黒いリボンがあしらわれている。

 リルとすれちがった人は、一度、視線で追ってから、ぷ、とちいさくきだした。「あんな格好でよくこの王都エペを歩けるわね」とだれともなくささやく。

「ぷっ。いまどき黒ずくめだなんて、童話で読んだ魔女みたい」

「魔女だって? グラウス城にいる《騎士の魔女リカルダ》かい?」

「ははっ! リカルダはあんな格好はしないさ。いつもグリーンのがいとうに銀色のかつちゆうを身につけていて、じゆうも切りけんたずさえているらしい」

「あんなカラスのような女が魔女であるはずがない」

 大きくあざわらう声はリルの耳にも届いている。

 ──街にはいやな人が多いって本当ね、ミス・アレクシア。

 黒のドレスのなかに入れこんだネックレスを布しにさわり、べっと舌を出したリルは歩調をゆるめず、ずんずん歩いた。このたんせいこめて育てた白薔薇さえ売れれば街になんか用はない。胸にかかえた白薔薇をぎゅっときしめる。

「【パウラ・ポウラ】はお得意様だから、きっとだいじよう

 さくらんぼ色のくちびるを引き結んで、自分を奮い立たせるようにリルはうなずいた。

 そのおもいはあっさり消え去ることになるとも知らずに。


「──白薔薇ねぇ。最近は赤や黄色の薔薇のほうが人気なんだよ」

 目にもあざやかなワインレッドのドレスを着た──女主人パウラがためいきをこぼした。

「建国祭に向けてあちこちから薔薇は集まってきてるし……これっぽっち買い取ったってね」

「白薔薇だけですが三十本はあります」

「三十? うちは買い取りの場合、最小単位は百からだよ」

「ひゃ、百? でも、まえに売りに来たときは三十本でも買ってくれましたよね?」

 まえがみの奥のひとみを丸くさせたリルが食い下がると、

「ああ、それはポウラのほうだね。私のふたの妹」

「え」

「あのこ、足を痛めちゃって、しばらくは店に出ないよ」

 まったく、としもなくみ台に乗って高いところのものなんて取ろうとするから……、とあきれたようにパウラが息をいた。

 リルはワインレッドのドレスを着た女主人パウラをじっと見上げる。以前の女主人──ポウラと背格好はまったくいつしよくりいろの髪をい上げ、たけはばも大きい。でも、たしかに以前会ったときには目の下にほくろはなかったし、つめにマニキュアもっていなかった。ワインレッドのドレスでもなく、花を引き立たせるグリーンのドレスを着ていたように記憶する。

「お願いします。もう摘んでしまったから、持ち帰ってもあとはれるしかないんです」

「そんなの知ったこっちゃないよ」

 ポウラの双子の姉パウラはき放すように言った。あっけにとられるリルのうしろから、「マダム、赤い薔薇はないかね」とステッキを手にした老年のしんたずねたので、「はぁい、お待ちを」とパウラの声が一段と明るくなる。

「ほら、早く帰ってちょうだいな。そんな格好で店先にいられちゃ営業ぼうがいだよ」

 リルの耳元で声を落としたパウラが乱暴にそばをすりける。ドンとかたがぶつかって、リルのうでに抱えられた白薔薇がくしゃりとつぶれる。棘も丁寧に取られていて、あとはびんすだけの白薔薇が。

「あのっ」

 リルはとっさにパウラを引きとめようとし、いきおいよくふり返った。だが、足元に置かれていたはちえにつまずいてしまう。錆びたブリキのバケツではなく、とう製の大きなものだ。

「あっ」

 リルのちいさな悲鳴とともに、鉢植えに植えられたオリーブのなえが黒のドレスに引っかかってポキリと折れる。腕にあった白薔薇はゆかに散乱し、リルの黒い帽子も落ちてしまった。ボサボサの長いきんぱつがさらされ、転んでしまったリルに女主人パウラの目がキッとつりあがった。

「こっのものいっ! 売り物の苗木を折るなんてっ!」

 身幅の大きいパウラがリルの手から落ちた白薔薇を踏みにじる。ぐしゃ、ぐしゃ、と音を立て、店の奥にいた使用人に向かって「この女をうちの店に近づかないよう遠くへやってきなっ」と声をあららげた。

 来店した老年の紳士もパウラのはくりよくおどろいて息をのみ、リルは唇をんだ。

 大事に育てた白薔薇が目のまえで踏まれてぐしゃぐしゃに──

「や、め……」

 リルの青い瞳になみだがたまり、同時に、空がどこからともなく現れた厚い雲におおわれる。さきほどまで、あせばむほどのしが降り注いでいたというのに、街はあらしのまえかと思うほど一気に暗くなった。

「やめてっ」

 リルが悲痛な声をあげると、ぽつ、とおおつぶの雨が空からこぼれた。またたく間に雨足が強まる。「雨よ!」と街ゆく人がげるようにのきさきに向かい、パウラがリルをいまいましそうに見下ろしていると、

「──しろを買い求めたいのだが」

 たんたんとした声がふたりにかけられた。

「白薔薇を三十本。それから、そこのオリーブの苗木も」

 おこったような驚いたような、複雑な表情をかべたパウラがふり返ると、上品な仕立ての衣服に身を包んだ紳士が立っていた。きっちりと整えられたくろかみに灰色の目をしていて、こしには銀色のかいちゆう時計がさげられている。男がうしろに控えた従者に目配せをすると、ハンチングぼうをかぶった青年が床に散らばった白薔薇を拾いはじめた。

「シドウ、マダムにはらいを」

 もうひとりの従者に命じると、丸眼鏡をけた男が「は」と短く返事をして、棒立ちになったパウラに「マダム、オリーブの苗木はこれで足りますか」と金貨を一枚、手ににぎらせた。

「え……は、はいっ!?」

 ずしっと重い十万ノクト金貨。王都エペといえど、しよみんがなかなか目にすることのないしろものだ。

「ええ!? ええ、ええ、じゅ、十分ですともっ」

 興奮のあまり顔を紅潮させたパウラにシドウはにっこりとみを浮かべ、主人に向かってこうべを垂れる。その横で、「閣下、白薔薇はすべて回収できました」とハンチング帽の従者──ザシャが主人レオラート・エルヴァイン・グラウオールをあおぎ見ると、

は? ドレスのそでがやぶれている」

 ザアァアアアという雨音を背に、レオラートは床にうずくまったリルに手をさしのべた。

 金色の長い髪にどろと散ってしまった白薔薇の花びらがついている。レオラートがジャケットの内ポケットから出した白いハンカチでそれをぬぐってやると、

「余計なことをしないで」

 リルはレオラートの手をはらいのけ、床に落ちた黒い帽子を拾い、すっくと立ち上がった。ぐぃっと力任せに帽子をかぶり直し、ザシャに目をやると、彼が手にした無残な白薔薇をごういんに取りもどそうとする。

「こ、これは閣下がお買い求めになるもので……」

「こんなにきたなくなった薔薇なんかいらないでしょ」

「ばか、シドウ様がいまさっき金貨を支払っただろ」

「わたしはまだ売ってないものっ」

「そそそそそ、そんなこといまさら言うか!?」

 ねんれいも背格好もよく似たふたりが、あーでもないこーでもないともめていると、「ザシャ、オリーブの鉢植えを馬車に運んでくれ。シドウ、レディにも支払いを」とレオラートが言った。リルのふるまいに怒っているような様子はない。

「レディ、これで足りますか?」

 リルの目のまえに丸眼鏡のシドウが金貨をさしだす。初代おうである《王のじよベアトリクス》のしようぞうられた十万ノクト金貨。リルはまゆをよせて、複雑な表情を浮かべると、

「バカにしないで。わたしは物乞いではありません」

 キッとするどい瞳でシドウをにらみつけ、【パウラ・ポウラ】の店先を出た。白薔薇三十本の対価が十万ノクト金貨? 金持ちのお遊びか情けかは知らないが──あきれて物も言えない。

 雨はかわらず降りつづいていたが、リルはかまわずいしだたみを歩いた。雨なんて慣れっこで、れたところでなんともない。

 すぐ近くにレオラートが乗ってきたであろう立派な馬車がめてあった。リルが見上げるほど大きく、ドアにはエクター公であるグラウオール家のもんしよういばらつる』がえがかれている。ついになって荊がびる様はすうこうな家門を表しているのだろう、他を寄せつけないとげとげしさと高貴さがただよう。

 足を止めたリルは、それをじぃっと食い入るように見つめた。くろりのとびらに金色で描かれた紋章。おのずとまゆをひそめる。

「……」

 そこへ、追いかけてきたレオラートが「家まで送ろう」と背後から声をかけた。リルは馬車の紋章に目を留めたまま、

「……おいしそう」

「?」

 思わず、なんのことだ? と不思議に思ったレオラートがリルの顔をのぞきこめば、

 ぐぅうぅうう。

 雨音に負けない、リルの大きな腹の音が鳴る。

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