第一話④

 一週間前──


「エクター公、折り入って頼みがある」

 王都エペの北に位置するグラウス城。初代国王バルトルトのまごにあたる現国王フレデポルトが住まう居城だ。

「君の口のかたさと誠実さを私は買っている」

「それで、ご用命は?」

 王のしつ室──側近さえも下がらせた部屋に王がこうしやくじゆうこうな机をはさんで向かいあう。

「《雨の魔女》は知っているか?」

 フレデポルト王の問いかけにレオラートはわずかにちんもくし、「……建国史で習ったはんでは」と答えた。

「そう、建国四人の魔女のひとり《雨の魔女アレクシア》」

 ……その彼女が昨年亡くなったらしい、とフレデポルトはつづけた。

「亡くなった? むしろ、昨年まで存命だったのですか?」

 いつも冷静ちんちやくなレオラートが意外そうな声をあげる。アストリット王国は今年で建国百周年──つまりは魔女も百年以上もまえの人物となる。

 フレデポルトはうなずいた。

「そう、ほかの三人の魔女……君も知ってのとおり、《の魔女リカルダ》と《石の魔女マクシーネ》、このふたりは亡くなるまえに後継者を指名していたが、そうである《王の魔女ベアトリクス》は一代限りで魔女のけいしようはしなかった」

《雨の魔女アレクシア》も長らくひとりきりだったようだが……どうやら晩年に後継者を指名し、この世を去ったらしい、とフレデポルトは椅子から立ち上がった。雨が打ちつける窓へ身をよせると、

「以来、この不安定な天候だ。継承がうまくいかなかったのか、それとも、新しい《雨の魔女》が故意に天候を左右させているのか……」

 レオラートも窓辺により、フレデポルトとともに窓からどんてんを眺める。分厚い雲がたれこめ、昼間だというのにうすぐらい。

「雨の魔女アレクシアはかわらずこうがいに住んでいる」

「私にさぐってこい、と?」

「さすがレオ。話が早い」

 赤いかみをしたフレデポルトは満足そうにみをかべた。

 今年二十五歳を迎える若き王とのつき合いは、おうこう貴族専用の教育機関【トット・アカデミー】時代にまでさかのぼる。

 友人だったふたりは、いまや王と臣民公爵となった。たがいに背負うものも失えないものも増え、それ相応に歳も重ねてきた。

 そのフレデポルトが、

「グラウオール家とじよえんは切っても切れないもの。そうだろう?」と意味深に微笑ほほえむ。

 王の執務室の壁にはひときわ大きな絵画が掛けられており、百年前の統一戦争直後の様子が描かれている。馬に乗った初代国王バルトルトが王旗をかかげ、民衆がそれをたたえる光景だ。

 バルトルトのそばには、のちのおうとなる《王の魔女ベアトリクス》の姿が見える。

 このころからふたりは特別な関係だったのだろうか。ベアトリクスの視線はバルトルトに注がれ、ふたりを祝福するかのように天使たちが空からいおりる。

「……」

 無言のまま、レオラートは目を絵画から窓に戻した。雨足はいっこうに弱まることなく、石造りのじようへきに打ちつけ、水路の向こうの木々を冷たくらしている。


    ● ● ●


 しんちゆうせんていバサミがパチン、パチン、と音を立てていた。

 再度庭に出て、しろみなおしてきた──リル・アレクシアは薔薇のとげが手にさらないよう、ハサミでていねいに取り除いている。

 ──明日あしたはせっかく街まで行くんだから三十本は売りたい。

 薔薇が売れたお金でパンを買って、それからマドレーヌとはちみつも……と思いながら視線をあげると、さきほど訪ねてきたレオラートがネックレスを置いた場所が目についた。

 ──まさか……領主様が訪ねてくるなんて。

 リルは複雑な表情を浮かべ、真鍮のハサミをテーブルのうえに置いた。ゴトン、という重い音とともに苦い感情が胸のなかにひろがる。

 ──領主様ともあろう方がどうして魔女にたのみごとなんか……。

 テーブルのすみをじっと見つめたリル。今年、十七歳となる彼女は地方の養護院で育ち、九歳でこの家にやってきた。

《雨の魔女アレクシア》の後継として生き、先代のアレクシアがくなったいまでも、当時のおくはあざやかに残る。

 迷うような表情を見せたリルは背面のかべをふり返った。金色のがくぶちに入れられた一枚の絵画には、リルの人生を大きく変えた師の姿がえがかれている。

 ひげたくわえた王のうしろ──いちばんみぎはしひかえめな出で立ちで描かれた魔女がリルの師である《雨の魔女アレクシア》。

 リルにほうのいろはを教えてくれただいなる魔女だが、昨年、ねむるように息をひきとった。以来、リルはひとりでこのあばら家に住んでいる。

「……明日は街に薔薇を売りに行ってきますね。ミス・アレクシアが好きだったマドレーヌも買ってきますから」

 リルは絵画に向かって話しかけ、テーブルのうえの白薔薇をびたブリキのバケツに入れた。

 ぽちゃん、と水のはねる音がやけに耳に残る。

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