第一章 恋愛至上主義へのささやかな反逆③

 深夜、日付が変わりしばらくしたころ。

 ひんやりとした空気の中、夜をべる鳥の声と虫の声だけが響く。公爵家の門が開き、くろりに銀色のもんが入った大きな馬車が一台入ってきた。

「おかえりなさいませ、だん様」

「あぁ……戻れたのはひと月ぶりか? 変わりはないか」

 レオンがろうしつのアルバートに声をかけると、アルバートは頭を下げたまま彼のコートを預かる。ぎんぱつの主人はいつものように微笑ほほえみながらも、またしてもほんのりと目の下にくまを作っているが、その目は昔のようにうつろではないことにあんするアルバート。

ばんつつがなく。ですが、奥様が……」

「クリスティーヌがどうした?」

「お疲れのご様子です」

「──ははっ、まぁそうだろうな。慣れないうちも大変だが、慣れてからはさらに大変だ」

「お食事は」

「簡単に済ませた」

 二人は本邸をそのまま通りけ回廊を通り、クリスティーヌの住まう東棟に向かう。

つうにお会いしたら良いのでは?」

「この時間に彼女を起こせと? 楽しんで仕事しているのだろう? なことに気をつかわせる必要などない」

「無駄……でしょうか」

 アルバートの言葉に、屋敷の主人は答えることはない。


 毎日寝落ちするほど疲れながらも、朝になると元気に仕事に行く若く美しい公爵夫人を、屋敷中がかげながらおうえんしている。その理由の最たるものは……けつこんの準備をし始めたころから、主人である公爵の目に生気が宿ったからだ。

 この銀髪の当主は小さいころから何をするにもたんたんとしていた。笑みをかべようともそれは楽しさから来るものではなく、物事をえんかつに進める、ただそれだけのために浮かべられたものが大半。特にさいしよう職についてからはそのけいこうが強い。

 それが結婚前後から、ふと何かを思い出し楽しそうに微笑んだり、張り合いのある生活を送っているかのようにひとみかがやきが混じるようになり、心なしか顔色も良くなってきた。

 生き急ぐかのように……ただひたすらにちやを続け働く主人に、公爵家で働く者のだれもが心配をしていたが、公爵夫人が現れて以来明らかに楽しそうなのだ。

 それはまだきっと愛と呼べるようなものではないのだろうけれど、屋敷の者たちは──それだけのことがたまらなくうれしい。公爵夫人が自身の仕事のために社交活動ができなかろうが、家の仕事ができなかろうが、そんなことはさいなことだ。

 元より主人は結婚すらしないかもしれないと思っていたのだから、フォロー体制はすでに確立している。

 そんな公爵夫妻がもっと親密になってくれれば、と思わないわけがないが……何か考えがあるのだろうと、アルバートは今日もまた言葉を飲み込むのだった──。


   ● ● ●


 ひがしとうとびらを抜け、二階の奥のクリスティーヌのしんしつ前へ行く。彼女に仕えているじよのターニャが扉の前で頭を下げた。

「本日は入浴中に寝ておられました」

「相変わらずだな」

 くすりと小さく笑えば、ターニャが目を細めた。

 公爵邸には月に一回もどれるかどうかだが、戻ってくるたびにひっそりとクリスティーヌの寝室をおとずれ、結婚以来話す機会もない妻の顔を少しだけ見ている。

 れんあいかんを持つ彼女と、ゆっくりと少しずつでもきよを縮めていければ、とそう思っていた。けれど早く帰れる日などなく、運よく屋敷に帰れた日も彼女は毎回おどろくほどぐっすりと寝ているため、五分ほど顔を見に寄るだけ。

 交流を持つ機会がまったくないが、こればかりはいたし方ないな、と聞こえてくる幸せそうな寝息にしようした。

 ベージュカラーで統一された部屋はラベンダーのかおりがただよっていて、彼女がねむるベッドまで行けば、いろかみが絹糸のように月明かりに照らされ輝いている。彼女の横に座り、その頭をそっとでる。

「──ただいま、クリスティーヌ」

 すると寝ているはずの彼女は、ニヘラッと笑いレオンのうでを取りギュッときしめた。

 クリスティーヌはひとはだが温かかっただけなのだろう。腕から伝わる彼女のなおな温かさと、伝え聞く仕事でのクリスティーヌのがんりようには、子どもが成長するのを喜ぶしんせき目線とでもいうのだろうか……どこか心が温かくなるものを感じている。

「おやすみ」

 目を細め微笑む銀髪の男には仕事中のれいてつさはじんも感じられず、しばらく妻の頭を撫でたあと、本館に戻り、朝はクリスティーヌが目覚める前に王城に戻るのだった。


   ● ● ●


 半年後。つまり文官として勤め始めて一年半。

 財政省九課から異動の辞令をもらい、財政省の花形、一課へ。かく力はともかく、私は力に特化した適性があったらしく、それを買われての異動だそうだ。

「主任。この案件ですが、二か月前に運輸省四課が始めたこちらの企画と合同で協力するのはどうでしょうか。立地も良く、予算も折半できますし」

「……なるほど。運輸省の案件までよくあくしていたな。よし、ミュラー。それで進めてみよう」

 運輸省四課のえつらんファイルの中からがいとうの企画書を開きつつ、主任に提案する。

 どうやら、今まで省をまたいでの交流や合同での企画はあまりなく、おたがいがライバル関係であったり、そもそも今どの省がどの案件にたずさわっているかというのを把握していなかったようだ。

 速読とおく力・計算力には自信があったので、時間があるときに閲覧できる案件は片っぱしから読むようにした結果、他省とのれんけいをすることで作業スピードアップと効率化、さらには予算さくげんをもたらすことが分かった。

 進言をし始めた最初こそ「ほかの省と合同なんて」と批判もされたが、国益を考えれば協力し合えることは協力したほうが……と何度も力説し、他省と協力した案件がうまくいって以来、省をまたいでの共同案件がいくつも進行している。

 もちろん他省との仕事となるので、あつれきやトラブルになることもあるが、そういうねんがありそうなときに私が呼ばれる傾向にあるのはあまり嬉しくない。あつ的ではない自分の地味さ加減が良いようだ。

「やっぱりミュラーがいると会議がスムーズに進むな」

「後ろで主任や課長がにらみをかせてくれているので、あなどられずに済むのだと思います」

 うまい具合に適材適所といったところだろうか。

 実際自分一人だとめられて話を聞いてもらうことすらできないかもしれないというのは、なげかわしいことだが……まだ二年目の新人なのだからそれは当然のこととして受け入れている。

 一課の中でも私は各案件の主要メンバーというよりは、多種多様な案件を広く浅くあつかい、それを補佐するという役割がはまっているようだ。


 一課に異動して、しばらくしたころ。

 とある民間業者たちとの打ち合わせの際に、彼らが話していた言葉が気になった。

「この資材はもともとりんごくファルマから仕入れていたのですが……どんどん取引量を削減されてしまい、今ではほとんど入ってこないのですよ」

「それ、うちの商会もです。コマニていこくのこれと……あ、この資材ももう手配不可となっています」

「パトリック宰相が新しく結んでくれた取引先とは円滑に進むのですが、昔から付き合っていたところが特に……なんですよねぇ」

 ここ最近の新規の取引先を除き、以前の取引量と現在の取引量を比べた資料をもらったところ……この二十~三十年近くでじよじよに減っていったその取引量は、三十年前と現在を比べるとなんと半分以下にまでなっていたし、品物によってはゼロになっていた。

 私が入省してまだ二年。国全体の貿易額が多少減少しているのは聞いていたが、各商会の実際の貿易減少率とどうも合っていない気がしてならず、首をひねる。

「取引量を削減された理由はなんと言っていましたか?」

「うちはもともと隣国ファルマの五つの商会と父の代から四十年にわたりやり取りをしていましたが、削減は一気にという形ではなく……なんというか、徐々にといった感じで。削減理由も言葉をにごされて具体的には不明です」

「うちの商会は……そうですねぇ。きっかけといえばコマニ帝国に送っていたうちの従業員が、先方のむすめさんとこいなかになったのですが、けつこんした翌年に他に愛する人ができたから別れてしまったんです。それを理由に切られる話が出たのですが、その程度で? と私もつい返してしまって……それ以来ぱったりです」

 苦笑する中年の商会長はいつさい悪びれることもなく、変わった取引先だったと思っているだけで、それになんの疑問も持っていない。

 この日はそのままお帰りいただいたが、疑問は残った。この二つの商会だけが取引量がおおはばに減少しただけで、他の商会は減っていないのだろうか?

 そうでなければ、貿易省から公表されている数字と合わなくなってしまうのだが……貿易省の細かな資料は閲覧権限を必要とし、私にはその権限がなく資料を見ることができない。

 下がった貿易額について財政省のどうりように聞いてみても「けいやくを切られたらしい」ということしか分からず、我が国の製品の品質が低下したのか、こうつうもうの問題かと考えても思い当たることはなかった。

 そもそも我がスラン王国の財政省は基本的に国内のみをかんかつしている。国外の案件は貿易省が担当しているため、くわしいことは知りようがない。同僚は「でも新しいはんさいしようが作ってくれたから問題ないだろう」と楽観視している。

 レオン様は確かに新しい販路をいくつかていけつさせているけれど、それは最近の話。そんの取引がもし大幅に落ち込んでいるとすれば……それをまかなえるとはとうてい思えない。

 さらに公表されている貿易額の書類も毎年必ず回収され、年ごとの推移や合計などは算出されることがないというとくしゆ構造になっていることに、違和感を覚えた。



 ──財政省一課ににんして一年後。

 せんぱいがたった今一課にとうちやくしたばかりの回覧に目を落としたまま、そばにいた私に声をかけた。

「ミュラー……きみ……辞令が出てます……」

「え……私、一年前に来たばかりですよ?」

「えっ!? ミュラー、一課から異動!? 降格なわけないだろうし……てことは別の省に?」

「それはめずらしいですねぇー! でもくやしいですがミュラーならなつとくです。ミュラーの補佐力は確かにすごいです」

 うんうん、とうなずいてくれる同僚たち。文官として勤めて早二年半。仕事ぶりを認めてくれる人が多く、非常にありがたい。

 省をえての異動は、あまりひんぱんではない。とはいえ、素直に降格ということも考えられるのだけど。

「で、ミュラーはどこに異動ですか? どこにしても出世ちがいなしですね!」

「いえ、どこかはまだ……先輩、私はどこに異動ですか?」

 通知の回覧に目を向けたままの先輩に声をかけると、なぜか彼はどんどん青ざめ、ゆっくりとこちらをり向いた。

「……補佐室」

「え? どこの補佐室ですか?」

「……宰相」

「──え?」

「宰相補佐室に、異動です……っ!」

 珍しく大きな声をあげた先輩の声で、辺りはしんと静まり返った。

 それは先輩の大きな声が珍しかったのではなく、行き先が『墓場』と名高い『宰相補佐室』だからに他ならない。

 みな青ざめ「ごしゆうしようさま……」「骨は拾ってやる」「生きて帰ってきてください」と同情のなみださえ流す。


『宰相補佐室』

 文官の『墓場』と呼ばれるそこは、せいえいそろっているにもかかわらず、身体からだこわす者が続出したため、数年前にその名がついた。

 各省から送られてくる宰相案件書類をかくにんぎんし宰相へ上げることと、省を越えての企画・立案、この二つが大まかな業務になるらしい。

 深夜残業当たり前。

 精度もちようハイレベルが求められ、日程的に無理難題な仕事をどんどん投げられる。宰相本人もずっと仕事をしているため、なかなか帰宅できないらしい。

 まぎれもなく、ワーカホリック集団。

 そこには生けるしかばねが多数出現するとうわさされるが、きっとつかれ果てた官たちだ。

 ──まぁそれよりも、その宰相は私の夫なんですけど……。形式上は。

 本来なら気まずいはずだが、多分レオン様は私の顔ももう忘れているのではないだろうか。彼は私がかざったところしか見たことがないし、すでに二年半会っていない私の地味変装に気づくこともないだろう。もし気づかれたとしても、その時はその時だ。

 ──せっかくもらった精鋭軍団への異動。

『墓場』とは呼ばれるが、仕事ぶりを認めてもらえたことの証明には違いないし、私はむしろばつてきされたことに心がおどっていた。

 ここはありがたくお受けすべきだろう!

きよ権は元よりない)



 ──なんて、意気込んでいた時期が私にもありました……。


「ミュラー! それあと三十分で仕上げて!」

「はいぃっ!!」

「ミュラー。それ終わったらこっちの集計、全部確認してくれる?」

「はい! いつまでですか!?」

「そっちの仕事終わってから一時間後までに」

「は……はいっ」

 パチパチと高速で計算機が鳴る音と書類をめくる音、ガリガリと書き込むペンの音が部屋にひびく。

 ほかの部署より確実にタイトな日程での正確な仕事が求められるここは、確かに『墓場』のようだ。常に残業で全員疲れがにじみ出ていてくまがすごいし、みんな夕方以降になるとフラフラしている。

 宰相補佐室に勤務し始めてから、早二か月。



『手が止まった時点で死ぬと思え』

『回ってきた書類は大体間違っていると思って宰相に回す前にチェックをしろ。間違ったまま宰相にわたすと飛ばされるぞ』

『すべての想定パターンを考えろ。答えられないとヤられるぞ』


 宰相補佐室に異動したその日に、せんぱい補佐官からアドバイスされた言葉だ。

 ──ちっともうれしくない。

 その死はどうやら夫である宰相閣下からもたらされるらしいが、とりあえず私はこの二か月、職場でまだ宰相閣下に会ったことはない。今は仕事内容が補佐官の補佐のため、直接書類を届けることがないからだ。

 食事の時間すらなかなか取れない。先輩補佐官たちは合間を見つけながらなんとか食べたり食べなかったりしているらしい。あまりに時間がなく食べていなかったら一か月で激ヤセしてしまったため、こうしやく家の料理人が泣きながら「これだけでも食べてください……!」と片手で食べられるラップサンドを用意してくれるようになった。

 ──生きるために、貴族としてのマナーは捨てた。

 それを見た周りの補佐官たちも「なるほど」と思ったようで、昼と夜は片手で食べながら仕事をするという風景が補佐室の定番となりつつあった。

 これほどのいそがしさでありながらも、私は日々『生きている』と実感している。自分が歯車の一つだとしても、だれかの役に立てているという──そのことが嬉しくて楽しくて、仕方がないのだ。

 文官たちに、爵位や身分差はまったくこうりよされないし、気にもしない。

 仕事ができるかできないか。ただそれだけ。

 これは、現在のさいしようになってからのシステムだそうだ。

 私がどこの家の者かなんて聞かれたこともない。もちろん、私が公爵夫人だなんてことは誰も知らないし、ついでに自分でも自覚はほぼない。

 社交の場に出ない公爵夫人など本来なら非難の対象だが、『宰相閣下のできあいの末、外にはほとんど出してもらえないらしい』と知らぬ間に同情が一人歩きしている。

 ──毎日朝から晩まで外に出ていますが。公爵家には、に帰っているだけですが。

 とにかく文官とは、誰がどこの家門だろうと爵位の高い人だろうと、生ける屍になるときはなるし、おこられるときはコテンパンにやられる。

 ぐったりだ。

 そんな激務の生活が続いているが、このペースにも慣れてきたのか、自分も同じ屍の一員になったのか。

 ──まり込みすら出てきた宰相補佐室勤務の地味文官の私に、実は夫がいるなんて誰も思わないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

契約婚した相手が鬼宰相でしたが、この度宰相室専任補佐官に任命された地味文官(変装中)は私です。 月白セブン/角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ