第一章 恋愛至上主義へのささやかな反逆②

 そして半年後の卒業式前夜。

 ついにレオン様が我が家に来ることになり「会わせたい人がいる」と父と兄の予定を空けておいてもらった上に、こんやくしやであるフィリップも呼び寄せた。応接室にはいぶかしげに顔をしかめる三人の男たち。

「クリスティーヌ、会ってほしいというそのレオンとは一体……?」

「ふふふっ! 実は私……こいに落ちてしまったの!」

「なっな、なんとっ!? いつの間に!?」

「は? お前が?」

「運命的な出会いだったのよ。レオン様とは一目で恋に落ちてしまったの!」

 この会話はシナリオ通りだ。事前に自分の話を軽くしておくように、と。

 満面のみをかべる私に父と兄は目を丸くしきようがくしている。対してフィリップは「そんなわけないだろ」と疑いのまなざしとちようしようが混じっているようだが、学院で私の周りに男の気配などいつさいなかったのだからそれも当然。そんな人、私にいるわけがないと思っているのだろう。

「俺が先に真実の愛を見つけるのがくやしくて、どうせだれかその辺の適当な男に頼んだんだろ? お前が恋に落ちるわけないじゃないか」

「──なんですって?」

「お前の理想は……お前についていけるほど頭の回転が速くて、知識も経験もあって理解のある誠実な人、だったよな? ──ははっ! そんなやつ学院に一人もいないし、学院の目立つやつでレオンなんて名は聞いたこともない。結局、大したことない男とひとしば打つつもりなんだろうけど……俺はだまされない。お前は絶対そんな適当なやつにれたりしない」

 勝ちほこったように声を出して笑うフィリップに「芝居なのか?」とわくの目を向け出した父と兄。

「そうね。たしかに私の理想はそれだし、学院にそんな人がいないのも認めるわ」


 私がニッコリと微笑ほほえんだ直後、タイミングよく来客の合図があったので、完全に疑惑をかかえたままの三人を応接室で待たせ、げんかんまでむかえに出た。

 玄関ホールにいたのは、礼服に身を包みうるわしいほどにかがやいているレオン様。彼は私を見て、美しく笑みを浮かべた。

 彼のそばに近寄り、「この日を心よりお待ちしておりました」と使用人に聞こえるように言った。

 お父様は、フィリップは──どんな顔をするだろうか。考えるだけで楽しい。

「私もこの日を心待ちにしていたよ、クリスティーヌ」

 そう言ったあとに私のこしき寄せ、ほかの人に聞こえないよう耳元でささやく。

「二度目まして……だな」

 そう。私たちは手紙のやり取りはしていたが、あの日以来の再会だ。

 恋人っぽいふるまいは自分に任せておけとレオン様のそつきよう演技中である。家訓を思い出し、背筋をばしつつもなかむつまじげに家族とフィリップの待つ応接室のとびらを開け、満面の笑みで告げた。

「私の恋人、レオン様です。私、彼と結婚します!」

 その言葉に、父と兄は驚愕のおもちでこちらを見ているし、フィリップにいたっては「……誰?」という疑問が顔に出ている。

 父も兄ももう目玉が飛び出そうなほどで『毅然と、自信を持って』の我が家のモットーなんて遠い空に投げ捨てたようだ。そしてフィリップは──学院の人ではないと気づき、なんとかあらを探そうとレオン様を上から下までじろじろと見た挙句、その美しさから何から、どこにも非の打ちどころがないと気づき言葉にまっている。

 内心、してやったり! という気持ちでいっぱい。

 …………いっぱいだったのだが。

 じよじよに、あまりの父と兄のおどろきように疑問がいてくる。

 恋愛至上主義なのだからこんなことはよくあることなのに、なぜそこまで驚くのか。というよりも、二人が段々青ざめていっている気がしてならない。

 お父様が冷やあせすらき出している気がする。魚のようにパクパクと口を開閉しているが、声になっていない。

 我が家の家訓はいずこへ。

 そして、ようやくお父様が口にした言葉は。

「………………さ、さいしよう閣下っ!!」

 へいふくでもするかのようにお父様が頭を下げた直後に、お兄様も青ざめたまま頭を下げた。

 私がキョトンとレオン様を見上げ、なんの話? と首をかしげると、彼はようえんなまでに私に微笑みかけた。

 そのなにかたくらむ顔で……ようやく私は気づいた。

 ──彼が私にフルネームを告げていなかったことに。

「自己しようかいせずとも、といったところかもしれないが、改めて。パトリック・レオン・バスティーユだ。このたびクリスティーヌと恋仲になったためこんいんしようだくを得るために来た。異論は……ないな?」

 私は家訓を守り、ぜんと自信を持ってこの場で微笑み続けている。

 さも、もちろんこの人が宰相ってこと知ってましたよ? 当たり前じゃないですか? とでも言うように。

 ──知らない。

 もちろんレオン様が宰相閣下だなんて知らない。

 彼は自分のことを、バスティーユこうしやく家の系列と言った。

 ……系列といえば系列だ。一番トップの公爵様なだけで。

 レオンという名も嘘ではない。

 最近ではほぼ名乗ることのない、ミドルネームだ。

 ……ゆうどうされたのは確実にしろ、勝手に末端だとかんちがいしたのは私。

 文官なのも……文官といえば文官……なのか?

 もうその域をいつだつしすぎているけれど、大まかにくくれば文官なのだろう。頂点に君臨しているだけで。

 西のクラノーブルの方にそれなりの領地もあると言っていた。

 まぁそうだろう……穀倉地帯クラノーブル自体がバスティーユ公爵家の領地だ。そこの近くの小さな「それなり」の領地ではなく、そこ本体が領地なだけ。あの辺りは小さな領地が点在していて、私が勝手にその辺だと思い込んでしまった。

 そして「それなり」という言葉は「そこそこの」や「相応の」を意味するが、そもそも主観の問題でけんそんでも使われる。クラノーブルはこの国で一番大きい領地だけど、謙遜して言ったのだと言われれば……その通りで。

 ────してやられた。

 宰相閣下の名前は知らないはずがない。

おにの宰相パトリック』

 三年前に史上最年少二十六歳で宰相にばつてきされ、数々の不正をあばき出し、効率を重視し不要な役職も不要な人間もどんどん減らしていくというのは有名な話。

 彼がこの三年で成したことと言えば、もう語りくすことはできないだろう。ふくから公共事業、税制の改正、貿易航路の整備やらなんやら。

 パトリックの名が有名すぎてレオン様とはまったく結びついていなかったし、実際にレオン・バスティーユという人が貴族めいかんっていたから完全にその人かと思っていたが、多分親族で別人なのだろう。

 我が家族が鬼のパトリック宰相に異論など……唱えられるはずもない。フィリップにいたっては先ほどまでの鹿にした態度を一変させ「え、宰相って……あの? え? 公爵閣下……?」と視線をオロオロとさまよわせていた。それもそうだろう。フィリップが先ほど言った条件をレオン様はすべてクリアして……いや、はるか遠くに飛びえている。さらにそこに、美形と地位が加わったのだ。

「きみがクリスティーヌの婚約者だった子か。──そういうことだからきみたちの婚約は解消で……構わないよな?」

 レオン様がフィリップに向けた笑みは絶対に逆らってはいけないような、そんなあつかんを放っている。たじろぐフィリップはそのうちキッと私に向けするどい視線を投げかけ、何度か何かを言おうと口を開けたが、結局「……はい。問題ありません……」とがっくりかたを落としレオン様に返事をした。

 あれは確実に『なぜお前が先に解消するんだ!』という目線だろう。自信じような人だから、れんあい結婚するなら自分が先だとでも思っていたはず。あながち間違ってないかもしれないが。

 私とフィリップの間には、愛だのこいだのはかいだった。フィリップはがらでふくよかでやさしく従順な子が好みであり、長身でスレンダーな上、学院首席であり、事あるごとに意見をたがえる私は元より眼中になかったようだし、私も同い年のフィリップは子どもに感じ、りよくを感じたことは一度もない。

 相思相愛ではなく、相思そうけんといったところだ。

 よくここまで十年もこの婚約関係ができていたと思うが、ちゆうで気づいておたがかかわらなくなったからだろう。とはいえ、先を越されたのがよほどくやしいらしい。

 後日この話をレオン様にしたところ「……まぁそういうことでいいんじゃないか」とあいまいみをかべたものだから、何か違うのか? と、私は首をひねるのだった。


 こわれた人形のようにうなずくだけのお父様にももちろんその場で承諾をもらい、早々にフィリップとの婚約はなかったこととなり、レオン様との新たな婚約が結ばれたのだった──。


「……だましましたね?」

「いや、なにもうそは伝えていない。少しばかり伝えそびれたことはあるかもしれないが」

 帰りがけの二人きりの会話である。

 にやりと微笑むレオン様にため息をつく。どうりで彼が結婚をややこしくわずらわしいと言うはずだ。

 公爵であり宰相なのだから、それの政略のお相手ともなれば王族か他国の公爵家。自国の侯爵家やはくしやく家もぎりぎりありだろうけれど、恋愛結婚がこれだけもてはやされていると、『鬼』と名高い宰相閣下にとつぎたいという若い女性は少ないだろう。

 ……まぁこの際構わない。

「約束は守ってくださいね?」

「もちろんだ。きみこそ、な?」

 私たちは互いに利があってけいやく婚をするのだ。


 ──すべては……恋愛至上主義からの解放のために。



 卒業してしばらくすると、あっという間に結婚式となった。

 私は準備などほとんどしていないが、すべてかんぺきに整っていて、ドレスはちよういちりゆうのオーダーメイド。昨今の流行はやりやおごそかさもすべて詰め込んだ、非の打ちどころのない結婚式となった。

「クリスティーヌ! すっごくキレイだわ!」

「ありがとう、カレナ」

「あのさいしよう閣下とだなんておどろいたけど……あなたを見つめるひとみが優しそうだったから、ギリギリ許してあげる!」

「ふふっ! だれに対して許してるの? 私?」

「もちろん宰相閣下よ? 私の親友を妻にするのだから、それなりの人じゃないとね?」

 したり顔のカレナに、私はついプハッと笑ってしまった。

 天下の『鬼のパトリック』も親友からすればようやくきゆうだい点の、それなりの人、らしい。

「カレナに許してもらえてうれしいわ」

「……でも、文官として働くのでしょ? だいじよう?」

 親友にだけは、身分をかくして文官として働くことは打ち明けていた。カレナは私だけに聞こえるように、小声でささやく。

「うん、今から楽しみよ!」

「ふふ! それなら良いわ! がんばってね」

 私たちは両手を自分たちの胸の前でにぎり、握った手と額をコツンと合わせた。私たちの『幸運をいのる』というおまじない。

 なみだをにじませ喜んでくれているカレナに、実はこの結婚が契約婚であることに、少しだけ罪悪感がいた。カレナは私が本当に運命の愛を見つけたのだと思っているから。

 けつこん式は王族も出席する大規模なものだったが、私はほとんどしやべる必要などなく微笑ほほえんでいるだけで終わる。

 誰かが私に話しかけようとすると、レオン様が眼光鋭くにらみつつ笑顔で「クリスティーヌは私のですから、話しかけないでください」といんぎん無礼にも言い放っていたから、私はとなりほおを染め微笑むしかなかった。きっと、私が余計な仕事をしなくて良いようにという、彼なりのづかいなのだと思う。王族にもこの調子だったため、いつしゆんまいがしたが。

 この結婚式により「鬼のパトリック宰相はよめできあいしているらしい」といううわさがしっかりと広まっていったという。

 さすが、というべきかなんなのか。



「ここが今日からきみが住むひがしとうだ。私は基本的に王宮にいるためなかなか会うこともないと思うが、何か不自由があればいつでもしつに言ってくれ。もちろんほんていへの出入りも自由だし、そちらに住みたいようならそのむね執事に伝えてくれれば手配する」

 公爵家の本邸横、白いごうしやな建物は周りを薔薇ばらの庭園でおおわれていた。

「分かりました」

「では……仕事がかなりまっているため執務にもどらせてもらう。クリスティーヌ。自由に楽しくやってくれ」

 私の頬に軽くキスをして足早に去っていったレオン様。この結婚のための準備でさぞいそがしくしていたのだろう。馬車に乗りはやばやと出発してしまった。

 ぽつんとその場に立ちくし目を丸くしていた私は、くちびるが当てられた頬にゆっくりと手をえた。じわじわと頬が染まっていくのを感じる。

 名目上の妻だからこういうことはいつさいしないかと思っていたが……これは必要最低限のうちの一つなのだろう。けれどそういったことにまったくめんえきがない私は、れられたぬくもりとその顔がいつまでものうに焼き付いてしまい、あわてて頭をった。

 私に用意された東棟は、バスティーユ公爵家のしき内にあるべつむね……と言っても、かいろうでつながってはいる。レオン様は私が知っていた広大な領地以外にも小領地を所有していて、ここはその一つで王都のすぐそば。王都まで馬車で四十分程度だろうか。彼は職場である王宮にも部屋をもらっているため、ほとんど帰ることがないらしい。

 前公爵夫妻は五年前に事故でくなっているため、そこのお付き合いもない。

 そして──私たちの完全なる敷地内別居婚生活がスタートしたのだった。



「ミュラー。ここの数字、どこから出してきました?」

「過去五年分の統計から算出しました。ちゆうしやくと出典をせています」

「なるほど、それならいけますね。うん、ありがとうございます」

「あ、ミュラー! コモルの橋の予算案差しえってもう終わった?」

「はい、昨日終わりました。しんちよく表にさいしています。今は問答集の作成に取りかっています」

りようかい!」

 至る所でたくさんの声がひびき、多くの人がバタバタとせわしなく走り回るここは、財政省の九課。文官ひしめく財政省の中でも花形ではなくまつたんの部署であるけれど、私クリスティーヌことシャルロットが働くにはちょうど良い。

 昨今、ミドルネームはほぼ名乗る機会がない。

 が、レオン様が「パトリック」という名のみで呼ばれるように、私も「クリスティーヌ」だが、「シャルロット」というミドルネームを持っている。受験時は本名の『クリスティーヌ・シャルロット・ベッソン』ではなく、ミドルネームと母方のせいを使い『シャルロット・ミュラー』という名で合格し、文官として働いている。

 今は本当はバスティーユが姓だが、つうしようを使っても問題ないのだ。

 宰相閣下と大々的に結婚した私の顔を知っている人ももしかしたらいるかもしれないと思い、かみは無造作に一本に結び、分厚いくろぶち眼鏡めがねをかけ、さらに地味メイクをしている。

 まったくバレない上に、地味な子として完全に地位を確立しつつ、仕事は日々忙しくじゆうじつした毎日を送っている。

 夫であるレオン様とは、まったく会っていない。

 ──かれこれ一年ほど。

 えっと……つまり、すでに結婚して一年がちました。結婚式の後、しきを案内してくれたのが顔を合わせた最後です。たまにおくり物で花やほうしよくひんが届いたりするけれど、あやしまれないための工作だと思います。

 レオン様は多分、ほとんど公爵ていに帰ってきていないのではないだろうか。帰って来ても深夜なのだろう。私も日々つかれ果てすぐているので分からない。

 末端部署でこれだけの忙しさなのだから、それを束ねるトップの宰相閣下の忙しさがどれほどなのか、想像するに余りある。まったく会うことはないが、ゆうゆうてきにやらせてもらっている。こんな不思議なふうにもかかわらず、公爵家で働く人々は一切何も言うことはなく、私の地味変装にもそつせんして協力してくれる。

 そしてまったく顔を見ない我が夫の王宮での評判はというと。

「この前、陛下の前で宰相閣下が奥方のことをベタめしてたの聞いたぞ」

「俺も! 忙しくてほとんど帰れないのに、帰った時に見せるがおがたまらないとか……」

きついてくる妻が可愛かわいくて仕方ないとか」

おにの宰相閣下なのに……めっちゃ奥方溺愛してて、もう言葉も出ないわ」

「あの氷点下の笑顔で奥方にも微笑むんだろうか……こわすぎる」

 なんて話がたまに飛びう。

 ……うんうん。

 そう結婚の偽装溺愛は順調のようだ。抱きついたことも、帰った時にむかえたこともないけど。相変わらず口から出まかせがお得意なようで。

 そもそも出迎える以前に、仕事から帰ったら私はばくすいしている。なんなら湯船にかっている最中や、マッサージされながら寝てしまい、気づけばベッドに移動されていて朝なんてこともひんぱんにある。

 ──こうしやく家で働くみなさん。お世話ありがとう。

 でもね、私がおで寝てしまうのは、あなたたちのお世話が気持ち良すぎるからだっていうのを知っていてほしい。

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