第一章 恋愛至上主義へのささやかな反逆①

「クリスティーヌ。あなたのこんやくしや、またうわしてるわよ?」

 学院卒業まであと半年となったカフェテラスは、多くの人でにぎわっていた。

 親友であるカレナの言葉に彼女の視線を辿たどると、そこには私の婚約者であるロッシェはくしやく家令息フィリップが、昨日とはちがう女の子をうでにしがみつかせている。

「…………相変わらずね」

「あんなにとっかえひっかえする男にそこまでまんする必要ある? 今どき政略結婚なんて流行はやらないでしょ?」

「……それもそうよね。ほーんと鹿馬鹿しいわ。あいつもだけど、なんとなくで私との婚約を勝手に決めてそのまま放置してるお父様も」

 しばらくスンとした表情のまま名目上の婚約者のイチャつきっぷりをながめ、ふとひらめいた。

ひとあわかせてやろうかしら」

 フィリップを遠くに見ながらにやりと微笑ほほえんだ私に、カレナが少しあわてる。

「ちょっと、かなり悪い顔になってるわよ? 私……悪いことすすめたかしら」

「ううん、カレナのおかげよ。いいこと思いついたわ」

「絶対それ……良いことじゃないと思うんだけど」

 この時の私はフィリップやお父様、そしてこの国の現状に少しだけ……ほんの少しだけはんこうしてやりたいと──ただ、そう思っていた。

 ただ、それだけだった。



 我が国、スラン王国の現在の国王がまだ王太子のころ、平民の女性とこいに落ち結ばれて──早三十年。

 政略結婚というシステムはだいおくれのものとなり『自由に! 心のままに!』というれんあい結婚がもてはやされている。

 婚約者がいようとも「真実の愛を見つけたんだ!」と、この一言で解決する恋愛至上主義が主流なため、どちらかにその相手が見つかれば婚約はスムーズに解消できる。果てにはすでに結婚しているにもかかわらず、真実の愛のためならこんもやぶさかではない……という風潮には、もうかいしかない。

 婚約者のフィリップなど、このシステムで真実の愛や運命の愛をひたすら探し続けているのか毎日違う相手と遊び歩いていた。

 そして我が家は──五年前にお母様が運命の愛とやらを見つけたらしく、出ていってしまっている。それにより苦しんでいたお父様にも、すでに恋人がいるらしい。が、次世代の爵位がややこしくなるので結婚はしないそうだ。

 ──こんな関係がちまたにはあふれている。

 運命の愛以外は、ないがしろにしても何をしても良いというのだろうか。

 このようなじようきようでありながら昔世話になった人の子だからと、まだ私が八歳のころにフィリップとの婚約を勝手に決めて、もう十年。婚約者であるフィリップは、くつっぽい私とは真逆のタイプが好きなようで、日々運命の愛を求めさまよう。

 もともと後先考えない彼の言動が子どもっぽすぎて好みではないのに、コロコロ相手をえることをけんする私がフィリップに好意を持てるはずがない。そもそもこの婚約はたんしていることにようやく気づいた。

 な婚約を結んだままでいるお父様にも、ずっといきどおりを感じていたのだと──ようやく気づいた私は、行動に移すことを決めた。


 自宅にもどり、外が暗くなったころ。

 いつも選ぶことはない、身体からだにフィットした黒いドレスにえる。足首をギリギリまでかくしながらも左のスリットはひざうえまである、なかなか色っぽいドレス。

 ドレスもまだまだふんわりしたデザインのものが多くをめるが、細身のシルエットもチラホラ出てきた。

「おじようさま、本当にこちらになさるのですか?」

「えぇ。なかなか似合うと思わない?」

「たしかにお似合いですが、いささかねんれいが上に見えすぎるかと」

「今日はいいのよ」

 いろのストレートの長いかみをきれいにかし、右前にすべて垂らして左にかみかざりをさした。

「うんうん、大人っぽい。かわいい」

 困り顔のメイドはほうっておいて、自分の姿に自画自賛しつつ、こっそりと我がこうしやく家のしきけ出す。と言っても父に行き先を言わなかっただけで、街中まで使用人に送ってもらうのだが。

「お嬢様、本当にお一人でだいじようなのですか?」

 送ってくれた使用人は心配そうにこちらを見つめるが、いてもらっては困る。

「問題ないわ。あなたは先にお帰りなさい。ここまでありがとう」

 使用人に手を軽くり、私はスタスタと歩みを進め、きらびやかに光る屋敷の一角に入った。ライトアップされた庭園にはすでに大勢の大人たちが賑やかにだんしようしていて、むすめの私の場違い感はいなめず、少し足が止まった。それでもグッと顔を上げ、また歩き出す。

 今日の目的はしっかりと定まっている。

 王都で一番大きな社交場【ナイト・ルミエール】。

 私だって……恋愛してやるのだ!

 そして私からフィリップとお父様に「運命の愛を見つけたから婚約は解消させていただくわ!」と高らかに宣言してやる!


 連日連夜貴族の夜会がかいさいされ、招待状がなくとも参加可能な場所。

 それが【ナイト・ルミエール】。

 もちろんドレスコードがあり、質も見られるためお金がない人はまず入ってこられない。

 男女の出会いにはここがオススメだといううわさのソコに足をみ入れれば、異世界のようにまばゆい光があふれ、目がチカチカして痛い。ダンスフロアではドレスを着た女性と、礼服をまとった男性たちがおどる。

 音楽もはんきようする造りになっているのか音が大きい。周りの様子を観察すれば、どうやら奥のところで飲み物がもらえるようだ。分からないときに困った顔をする……など、我が家の家訓に反する。

 いつでもどこでもぜんと自信を持って、がモットー。

「シェリー酒、あるかしら?」

「かしこまりました。ご用意いたします」

 カウンターへ行き、少し前に家族で食事中に飲んだ白ワインの一種を店員にたのむ。席を勧められ座れば、横に座っていたぎんぱつの男性がこちらをジッと見つめている気配がした。

 そちらに視線を移すと、年上だがずいぶん整った顔立ちの男性がこちらを見ていた。

 い青のひとみは深い海のようにゆらゆらと光がれていて、目をうばわれてしまい胸が高鳴ったが、気取られまいとゆうかべて微笑む。すると彼は目を細め、フッと笑ってみせた。

 それがあまりに色気をふくんでいる気がするのに、けいはくさは感じられないという不思議なりよく。十歳くらい年上だろうか。

 彼はほおづえをつき、こちらを見つめながら口を開いた。

「結構だいたんだね?」

「え? ……なんとおっしゃったの?」

 周りの音が大きく、聞き取れなかった私に、銀髪の男性は私の耳元に顔を近づけ、先ほどより大きな声で話しかけてきた。それはのうずいひびくような低く甘い声。

「シェリー頼むなんてなかなか大胆だね、って言ったんだよ」

「え、どういう」

「お待たせしました。シェリー酒でございます」

 わたされたお酒にお礼を言い、彼は「じゃあひとまずかんぱいしようか」とまどう私をスルーして、グラスを合わせた。クイッと彼が飲むオンザロックの氷がカランと揺れ、慌てて自分もシェリー酒を口にする。

 一気にカァッと身体が熱くなり、あれ? こんなにこのお酒強かったかなと思えば。

 ──もうあっという間にぱらってしまったようだ。

 どうやら……家で飲んだものはジュースを混ぜてアルコールをうすめていたらしい。


「ですからぁー、もともといる相手を捨てちゃう『恋愛至上主義』なんて私は最低だと思うんですよぉー!」

「なるほど。それでクリスティーヌはその婚約者くんにひとあわかせたいんだね?」

「お父様にもです……っ! だってぇ、そんなの……婚約者にも結婚相手にも、誠実じゃないじゃないですかぁっ!」

「まぁそうだね? でもきみもれんあい相手を探しにここに来た、と」

 じゆんした私の言葉に、銀髪の男性はフフッと大人びた笑みを見せる。酔っ払った頭はホワホワとしていて、れつも回らない。

「恋愛相手……というかぁ、実はそのそう相手を探してます~」

 そう。

 私は本気で恋愛相手を探しに来たのではない。そのフリをしてくれる条件の良い人を探しに来たのだ。

 フィリップと父には、その人と真実の恋愛をしていますと婚約をしてやる。偽装相手とは、その後でやっぱり思ったのとちがったと父に言い、別れたことにすればいい。

 この作戦の問題点は、偽装恋愛相手と別れてしまえばまた結婚の話がどこからか上がって来そうなところだけど、それはその時にまた対応すれば良いのだ。

 真実の愛を見つけたという合言葉でホイホイ捨てられるような結婚など、そもそもしたくない。そして、母のように簡単に家族を捨ててしまうような恋愛など──もっとしたくない。

「あぁ、なるほど。婚約者くんと父上に一泡吹かせられればそれで良くて、実際に恋愛したいわけではないというわけか」

「まさにっ! その通りですぅー」

「恋愛にあこがれはないのかな?」

「まっっったくありませんっ! 人を裏切ってまでやることの方にけんかんを覚えますっ! もう、恋愛とか結婚とか……そんなのに振り回されるの、本当にうんざりですっ! しかもばつそくもないなんて……なんでみんなそれで良いと思えるんでしょうか」

 たとえ政略でも、その人とこんやくしたり結婚したなら、愛していようがいまいがほかの人とこいに落ちるなんて裏切りだ! と思ってしまう私は……だいおくれなのは分かってるけど。

 恋したことがないからそんなこと言えるんだよ、と皆は言うけれど。

「ずっとこの人といつしよにいたいって、一緒にいようっていうけいやくが結婚なんじゃないのですかぁ? 片方が心変わりしたからって、もう片方はただ泣きりするだけだなんてぇ~……」

 そもそも、三十年前に現国王が婚約者を捨てて平民の女性を選んだのがほつたん

 それを正当化するために、恋愛至上主義を持ち上げているだけではないのかとこっそり思っている。

 捨てられたらそれで終わり。

 結婚していたのに夫が心変わりをして、無一文で放り出される妻……なんてのもよく聞く。

 お父様だって、お母様が出て行った時はずっと落ち込んでいた。

「なるほど。ベッソン侯爵家の令嬢が、なかなかの考えだね。さすが学院首席」

「……あれ? 私、家の名前とか学院のこととか言いましたぁ?」

「全貴族の情報は頭に入っているからね」

「わぁ……レオン様、すごいですねぇ?」

 私のよく分からない賛辞にしようする彼は、レオンという名だ。

 この場は貴族しか入れないので、貴族であることに間違いはない。

「でもそれなら──好きな人ができたフリをして、実際にその人と結婚してしまった方が効果的じゃないか? 本当は好きでもないのに恋愛関係にあるんだと婚約者や家族をだまして結婚したら……おもしろいと思うよ」

「ふふふっ! それは面白いですね。でも……そんなことに付き合ってくれる人、いませんよ。それにその人に好きな人ができるかもしれないじゃないですかー。捨てられることにおびえながら結婚生活なんて送りたくないですから、私は結婚には向いてないです」

「もうしようがい独身でそういうのとはえんに生きていきますー!」なんて言いながら笑う私をやさしい目で見ながら、彼はお酒を少しだけ飲んだ後、ゆっくりと告げた。


「では──私と結婚しようか」


 グラスを片手にした銀髪の大人の色気たっぷりな男性が、少し首をかしげながら微笑ほほえんだ。

 とっくに酔っ払い、家訓の『毅然と、自信を持って』なんて遠くにほうり投げていた私が、レオン様の言葉にキョトンとしてしまったのは、悪くないと思う。

「結婚と言っても、完全な契約。偽装結婚だよ」

「偽装結婚……?」

「そう。結婚したらさすがに同じしきに住まないとあやしまれるけど、べつむねをまるっとあげよう。ふう同伴の社交もなし。最初の結婚式だけで、あとは自由」

 それはつまり……『結婚』という名のステータスだけもらうということだ。

「その代わり、おたがい相手に誠実でいること。裏切ったりしないこと。つまり、好きな相手ができたからと言ってえんするのはナシだ。もし好きな相手ができたのなら、とにかく私にも周囲にもバレないように気をつけてくれ」

 さらっとしやべるレオン様に、すっかり酔いがめてしまった。

 万が一好きな相手ができたとしてもそれは私にであり、自分には絶対あり得ない、という口調。

「そんなの、レオン様にはなんのメリットもないのでは?」

「いや、私も昨今の『恋愛至上主義』にはへきえきしていてね。周りを騙せればそれで良い。私は非常にぼうなため夫婦そろっての社交は当分不可能だし必要ない。不自由しない生活を約束するよ」

 私が無言のまま彼をじっと見つめていると、少し困った顔をして微笑んだ。

「そうだな……恋愛結婚のフリをした政略結婚、と思ってもらえば良い。その相手は多忙すぎてほとんど帰って来られないから顔を合わせる機会もないだろうけど……うわは絶対しない」

「……なぜ、私なのですか? レオン様なら引く手数多あまたでしょうに」

 彼のそうめいさは少し話しただけでも分かるし、落ち着いたふんりよく的。そのうえこの顔ならば、かなりの人がれるはず。

 しかも仕事がいそがしいということは、それなりの仕事についているということ。

「そうだね。一番は、恋愛と結婚についての価値観が同じだったこと。はっきり言ってめつにいないからね。しかも本当にしっかりとした政略なら相手を接待せねばならないだろう? きみ相手ならそれは必要なさそうだし。それに……最初にきみがさそっただろう?」

「誘う?」

「シェリーをたのんだじゃないか」

 にやりと笑う彼の言う意味が分からない。

 彼は私のかみをひとすくい持ち上げ、そこに口づけをした。

「シェリーを頼むのは『今夜はあなたにすべてをささげます』っていう意味だよ」

「……えっ!? そ、そそそんなの存じませんしっ!?」

 一気に顔に熱が集まり、完全に赤くなったのが分かる。

 我が家の家訓要素『ぜん』と『自信』はガラガラとくずれ去り、どうようしまくっている。

「ハハハッ! そうだろうとは思ったけどね。まぁきっかけなどさいなことだ。これでわずらわしいことから解放されると思えば……ね?」

<画像>

 こう言うからには、彼はきっと誠実でいてくれるのだろう。顔は合わせないらしいが。

 つまりここでいう『誠実』とは『あなたを愛します』ではなく、お互い結婚というステータスをもらって、可能な限り『恋愛とは無縁でいよう』ということだろう。

「異性関係じゃなければ好きなことをして構わない。家でゆっくりしていようが外で仕事をしようが、危険なことじゃなければ私は何もかんしようしない」

「……っ! 仕事をしても良いのですか!?」

「構わないよ。やりたいことがあるならやるべきだ」

 職業婦人も少なくはないが、まだそれを許さない家も多い。我が家もそのような家の一つであり、そこまで勉学にはげむ必要はないと言われてきたが……本当は文官に憧れていたのだ。

「私……本当は職業婦人としてバリバリと働くのが夢だったのです」

「いいんじゃないか? じやはしないしおうえんするよ」

 とっくにあきらめていたけれど、その条件ならば……!

「レオン様は……どちらのご家門の方でいらっしゃるのですか?」

「バスティーユこうしやく家の系列だよ。仕事は文官をしている。西のクラノーブルの方にそれなりの領地もある。でも管理はちゃんとした者に任せているから何もする必要はない」

 バスティーユ公爵家といえば、一族のまつたんまでゆうふくであり有能な文官をはいしゆつしてきた名門。

 西のクラノーブル地方は国内最大の穀倉地帯。そこの近くに領地があるということは、それなりに安定した収入もあるということだ。

 ──これは、断る理由がないのではないだろうか。

 私自身れんあいがしたいわけではないし、とはいえ結婚はしないと今後も色々言われるのは目に見えている。彼とそう結婚をすれば、結婚した後にまで運命の愛だなんだと言われて、煩わされることもない。結婚後に顔を合わせることがなくとも、かたきだけもらうと考えれば何も問題はない。

 しかも──夢だった職業婦人としての自由が手に入る!

 私の顔色を見て、りようしようの方向にかたむいていると気づいているのだろう。にやりと微笑んだレオン様は、それは美しく。

「卒業前日にクリスティーヌの家にあいさつに行こうかと思う。卒業したら本格的に結婚準備か、なんて思われているんだろう? それならその直前でぶちこわした方が──げきが強くて面白そうだ」

「……ふふっっ! 確かに! 分かりました。レオン様のお話、お受けいたします! よろしくお願いいたします!」

 私たちはがっちりとあくしゆわし、それまではこの話は秘密にすることをちかい合った。


 学院卒業までの半年で、家族にはないしよで文官の試験を受け、見事合格。

 職業婦人など……と元より反対の考えを示す父にバレれば試験自体を辞退させられることなど分かり切っている。そのため受験時より名前はじやつかん偽装させてもらい、祖父の協力のもと離縁した母方のせいを使わせてもらった。

 レオン様とはこれまでにも何度か手紙をやり取りしていたため、あの時の話がうそではないのだと信じることができ、き進めたというものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る