最終話 ここから始まる物語③
「おや、エルマかい……」
白金の髪を三つ編みにした少女が顔を出すと、ソーは、シワシワの顔をさらに皺くちゃにして笑み崩れた。
ラシュリとソーは残念ながら子供に恵まれなかったけれど、たくさんの弟子たちを育て、賑やかに暮らしてきた。
今は血の繋がらないこの少女を、ソーは本当の孫のように可愛がっている。
「じいちゃん、調子はどう? お粥、食べられる?」
エルマはそーっと部屋の中に入ってきた。彼女の手には木の椀があり、ホカホカと白い湯気が立っている。
体調を崩したソーのために、粥を作って来てくれたのだろう。
「そうじゃな……少しだけ、もらおうかな」
「うん!」
エルマは、部屋の傍らに置かれた椅子をソーの寝台の側まで持ってくると、椅子に座って椀の中の粥を木の匙でかき混ぜ、フーフーと息を吹きかけはじめた。
エルマはソーの養い子だ。
十三年前、赤子だったエルマを、ソーが山で拾ったのだ。
あの日、ソーは石の呼び声に導かれて、山の峰で草を食む
何の因果なのか、彼女はその小さな手に赤い竜目石を握っていた。
ラシュリと二人、あれほど探しても見つからなかった〈炎の竜目石〉を握っていたのだ。
エルマを見つけたときは、旅の途中で両親が亡くなったのだろうと思っていた。けれど、彼女の手のひらの中に赤い石を見つけた瞬間、そうではないとわかった。
ラシュリから学んだ〈
もしかしたら、巣立っていった弟子たちの誰かが、この赤子を送って寄越したのではないだろうか。
自分たちの手には余る、赤い竜目石を握る赤子をソーに託すために――――。
赤子だったエルマは、山の大自然に抱かれて健やかに育った。
この十三年間、ソーは幼いエルマにもわかるように、飛竜や竜導師の技について教えてきた。
元々の資質もあるのだろうが、エルマはその辺の竜導師には負けないほどの知識と技を身につけた。
ラシュリから習った神殿の教えをすべて伝えてきたつもりだったが、赤い飛竜と〈炎の竜目石〉にまつわる話だけは、どうしても伝えることが出来なかった。
「じいちゃん、そば粥、好きだよね?」
木の匙ですくった青菜入りのそば粥を、エルマがソーの口元に寄せてきた。
「あーん」と言いながら口を開けたエルマの顔が愛らしくて、ソーは思わず笑ってしまった。
口の中で香る蕎麦の味をゆっくりと味わいながら、ソーはエルマの顔を眺めた。
年老いた今、この少女の行く末だけが心配だった。
何事もなく一生を終えてくれればそれでいい。けれど、あの赤い石が新たな〈炎の竜目石〉であるならば、ラシュリと同じように、エルマの生涯もまた波乱に満ちたものになるだろう。
自分はもうじき寿命が尽きる。これから先、何が起きても助けてやれない。
そう思うと、ソーは今まで自分のしてきたことが本当に正しかったのか、疑問を持たずにはいられなかった。
エルマに〈炎の竜目石〉の存在を、その恐ろしさを話すべきだったのではないだろうか。ソーの心に生まれた不安は日に日に大きくなっていた。
「ソー老師、大丈夫ですか?」
エルマの粥を食べ終えて、寝台の上でボーッとしていると、黒髪の青年が部屋に入ってきた。
彼はソーの最後の弟子、アールだ。
十歳でソーの山小屋に弟子入りしたものの、竜導師の才能に恵まれず、半年経った頃に一度は手放そうとした。
もしもエルマを拾わなかったら、彼は今頃、全く違う人生を歩んでいた事だろう。
赤子の世話が出来るというアールの申し出を受け入れ、彼を手元に残した。
アール自身の地道な努力の甲斐あって、今は一人前の研磨士としてソーの仕事を手伝ってくれている。
頼りがいのある大人に成長したアールの、真っ直ぐな黒い瞳を見ているうちに、ソーの心の中にあった不安が小さくなっていった。
ソーは笑みを浮かべてアールを見た。
「あの……熱が出たと、エルマから聞きました」
「なぁに、心配はいらんよ。ちょっと風邪をひいただけじゃ」
「ですが……やっぱり医者を呼んできます!」
「アール!」
踵を返して部屋を出て行こうとするアールを、ソーは呼び止めた。
「わしは大丈夫じゃ。村のヤブ医者に出来ることは、わしにも出来る。それでも治らないようなら、それがわしの寿命じゃよ」
「そんなこと……言わないでください」
眉を寄せて辛そうな表情を浮かべるアールの姿に、十歳だった頃の小さなアールの姿が重なって見えた。
(あの時も、こんな顔でお願いされたなぁ……)
――――お願いです、ぼくを家に戻さないでください! どんな仕事でもやりますから。
(あれから、もう、十三年が過ぎたのか)
「そうじゃ。アール、机の引き出しから、紙とペンを取ってくれないか?」
「はい」
「それから、わしの体を起こしてくれ」
「はい」
「ありがとう。アール。用があるときは呼ぶから、仕事に戻っておくれ」
「……はい」
アールが部屋から出て行くのを見送って、ソーはペンを取った。
自分たちの時代は、もう終わった。
これから先、何が起ころうと、この年老いた体では助けてやることも出来ない。
新たな時代を継ぐべき若者たちを信じ、彼らにすべてを委ねようじゃないか。
(そうだろう? ラシュリ……)
四十代の若さで逝ってしまったラシュリは、いつまでも若いままだ。
(わしもそろそろ、そっちへ行くよ。ラシュリが迎えに来てくれると嬉しいんだがなぁ)
文字を書く手を止めて、ソーは微笑んだ。
了
ありがとうございました<(_ _)>ペコリ
あとがきを近況ノートに置いておきます。
https://kakuyomu.jp/users/reo-takino/news/16818093092333581280
王国に捧げる鎮魂歌 ~巫戦士ラシュリと飛竜乗りのソーの物語~ 滝野れお @reo-takino
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