ドッペルゲンガーの恋

多賀 夢(元・みきてぃ)

ドッペルゲンガーの恋

 初めて会った時の君は、まだ幼い女の子だった。

 この土地の人間とは違う、はっきりした目鼻立ちをしていた。

 まだ寒い春先の夜だったから、君の頬は純粋な桃色に染まっていた。輝く目であちこち見回して、あれは何、これは何と指さしていた。とてもかわいい仕草だったが、父親らしき大人が静かにしろと怒鳴り、君を追い立てた。

 君が泣いてしまうのではと心配したが、それはなかった。君は確かに口を閉じたけど、今度は僕をじいっと興味津々に見入った。あまりに見つめてくるものだから、笑うのを我慢するのが大変だった。

 面白い子をみつけたと思った。僕は、わくわくしていた。


 それからかなり時間が経った。

 次に君を見た時は、身体がかなり大きくなっていた。

 このあたりの小学生が着る、紺の制服を着ていた。どういうわけか表情は暗く、だけど瞳だけは相変わらず輝いていた。

 ある時、君は急に僕の方を振り向いた。と思ったら、急に近づいてこちらを深く伺った。

 そういうことは初めてではない。他の人なら良くあることだ。だけど君が近づくことは今までなかったし、君の視線はほかの人とは違って、なぜか僕自身を強く射抜いていた。

 君が何かを呟いた。だけど、通過する電車の音でかき消された。

 なんと言ったのだろうと悩む僕に向かって、君は強くうなずいた。困惑する僕を置いて、君は目の前から消えた。


 そして、更に時間は過ぎた。

 その頃の彼女は、毎日のように僕の前に現れた。着ている服は高校の制服のようだが、見慣れたものではなかった。最近できた新しい学校の制服だと分かったのは、しばらく経ってからだった。

 彼女の顔は、常に怒りを漂わせていた。時には強く、しかし時には傷ついていて、緩んだ表情は欠片もなかった。

 いつも誰か男子を連れていた。それがなんだかムカついた。だけど、たまに一人の時もいた。

その時も彼女は一人っきりだった。なぜか僕に背中を預けてきて、こちらを振り向きもせず、暗い声で話しかけてきた。

「ねえ。私ってそんなに悪い子供かな。ボロクソに言われて当然なほど、生まれつきろくでもない人間なのかな」

 僕は何も答えらえなかった。だけど彼女はそのまま続けた。

「大人の言葉って、確かにだいたい同じだよ。だけどそれ、本当に正しいのかな。もし正しいんだとしたら、その定義に当てはまらないのに働いている真っ当な大人って、真っ当じゃないってことなの?なんで彼らは差別されないの、実はされてたとしても、それは当たり前じゃあいけないことだよね?」

 難しい話である。僕は黙るしかできない存在だが、話せても返事はできなかっただろう。

「まだ大人にもなっていないのに、なんで私は『そんな大人にしかなれない』って決めつけられて、差別されてるの?親も教師も『人類みな平等』って真面目に言うくせに、どうして私だけ見せしめに使われるの?」

 君は静かに泣いていた。派手に泣けば誰かに届くだろうに、息を吞むようにして耐えていた。

 僕はできるか分からなかったけど、その肩へ背中越しに手を伸ばしてみた。手は、わずかに君に触れた。僕も驚いたけど、君も一瞬泣くのをやめた。だけど涙が止まらなかったようで、君はしばらくそこでじっとしていた。



 それからも君は僕の前に現れたけれど、ある冬になって急に姿を見せなくなった。

 次に現れたのは、まだ寒さが残る三月。君と初めて出会った季節。

 君は周囲をそっと伺った後、僕に近づいた。

「こんにちは」

 僕に挨拶する人は初めてだった。僕は驚き固まってしまった。

『相手を映し真似る』という僕の業が、きっと生まれて初めて止まった。

「今日はね、お礼とお別れを言いにきたの。『鏡』さん、いや、鏡の中の、私そっくりの誰かかな」

「――僕のこと、気づいてたの!?」

「だって、たまに動きが遅れてたもの」

 僕は恥ずかしくて黙ってしまった。僕は、もう50年以上前に作られて、小さな駅に置かれた鏡である。古い鏡は今のと違って像が歪みやすいので、ちょっと手抜きしているときもあった。職務怠慢を見抜かれては、恥ずかしくて顔も上げられない。

 君は落ち込む僕を見て、なだめるようにガラスをさすった。

「私ね。小さなころから、鏡のむこうにはこちらとそっくりな別世界があると思っていたの。この映ってる瞬間だけなぜかタイミングが合っているけど、見えないところではわたしそっくりの誰かが別の人生を生きているんじゃないかなって」

「そう、なのかな。確かに僕の後ろには、君の後ろと同じ風景が広がっているけど。風景も合わせて僕だから、別世界なのかはわからないな」

「へえ、そうなんだ!凄い、空間全てが貴方なんだ!」

 僕の答えに、君はキラキラと目を輝かせた。なんだか初めて出会った日を思い出す。

 彼女は楽しそうに笑っていたが、時計を見て顔を曇らせた。

「そうだ、今日はお別れも言いに来たの」

「そうだ、なんでお別れなの?」

「私、家を出るんだ。東京に行くの。――戻る、ていう方が近いかな」

「君、家を出るの!?東京って、戻るって」

「父の転勤でね、小さい頃にここに来たの。だけど私は一人だけ馴染めなくて。ここを故郷って思えなくて。色々言われたし悩んだけど、東京こそが私の故郷だから」

 東京。当然僕は見たことがない。遠い所だとしか思えない。

 しょんぼりする僕に、君は精一杯の笑顔を作った。

「この土地にはいい思い出ないけどさ、君だけが私を支えてくれたの。色々言われて泣いた時も、慰めてくれたのは君だけだった。君だけが私にとって友達だった。心配してくれてありがとう。本当にありがとう」

 駅にアナウンスが聞こえた。上り電車の案内だ。君は、悲しそうに笑った。

「もう、行かなきゃ。――私の新居の鏡には、きっと来れないよね。できれば、鏡の世界は全部繋がっていてほしかったんだけどな。――ごめん、さようなら」

「まだ行かないで!――君の新居の鏡には、きっと別の誰かがいるよ。できれば、世界中の鏡が繋がってほしいけどさ。――ごめん、じゃなくて」

 僕は、思い切って自分の言葉を叫んだ。


「またね!」


 君は目を潤ませた。そして何度もうなずいて、大きく叫んだ。


「またね!」


 そして、誰もいない駅に止まった電車へと掛けていく。見送りもいない、寂しい旅立ち。

 そうだね、こんな田舎は出て行ってもいい。でも捨てないで、いいことも少しはあったはずだから。忘れないで、君の友達はここにいるから。

 僕は命ある限り、ずっとこの駅にいる。たった一人、僕をみつけた君を待ち続ける。

 だから、さよならは言わないで。ガラス越しに、永遠に君を待つから。

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ドッペルゲンガーの恋 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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