第4話 私の戦闘服

ベイビーブーマーの爪に勇気づけられながら、私は今日も担当エリアの中小企業に向かう。初めてベイビーブーマーをしてもらって以来、色のマイナーチェンジをしながらネイルを楽しんでいる。このネイルでお咎めを受けたことはない。

 今日の会社は、比較的話を聞いてもらいやすい場所だ。初めての契約をとった思い出深い地でもある。

「あ、篠田さん」

 私は声をかけられて振り返った。

 三カ月ほど前に契約を取った佐藤さんだ。年配の男性で、この1年ほどは保険契約を交わした直後から、姿を見ていなかった。

「佐藤さん、お久ぶりです。てっきり異動でよその支店に移ったのだと思ったのだと」

「いやいや、実は休んでたんだよ。病気しちゃってさ」

 佐藤さんは穏やかな顔をしていたが、声を潜めて、うつになってね、と言った。

「うつになったら、保険は入れないんだっけ?」

「そう、ですね。会社にもよりますけど、うちでは、薬を飲まなくなってから5年経たないと、入れません」

「今入ってるやつはそのままの契約でいいんだっけ」

「おっしゃるとおりです」

「そっか。よかった。お礼言いたくて」

 私はぽかんとしたと思う。今の会話で、お礼を言われる要素が思い浮かばない。

「前に、保険すすめてくれたじゃない。あのとき入っててよかったなって思って。俺もう60になるんだよ。これからどうなるかわからないから、篠田さんにすすめられたとおき、思い切って入ってよかったって思ったの。ありがとうね。それだけ言いたくて」

 佐藤さんは残りの昼休みを過ごすためか、私の前から立ち去ろうとする。

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました!」

 一礼する私に、佐藤さんは鷹揚に手をふって、その場を後にした。


 後日。

 会社の全体朝礼で連絡事項が伝えられ、式次第の終わりも見えかけた頃だった。

「えー、最後に、共有する事柄があります。篠田さん、前に来てください」

 いきなりの指名に面食らったが、上司からの指示には逆らえない。フロアの全社員からの視線が突き刺さる。

 上司の前まできたものの、今度は全社員の前で爪を注意されるのではないかと身構えてしまう。ついつい手を後ろに隠すようにしてしまった。

「手を出して」

 恐る恐る、手を出す。ベイビーブーマーがほんの少しだけ主張している。

「はい、これ」

 つっけんどんに渡されたのは、白い封筒だった。

 宛先は、クリスタル生命。差出人は、佐藤とある。

「篠田さんが担当しているお客様から、感謝の手紙が届きました。感じがよく、保険に関しても適切にすすめてもらって感謝しています、という内容でした。みなさんもこのように、お客様との信頼関係を築いていってください」

 成績が悪かった私が、お客様からお褒めの手紙をもらうことに、釈然としないものを感じたのだろう。上司の顔は腑に落ちないようだった。

 朝礼の終わりが告げられ、私は席に戻る。

 封筒から便箋を取り出し、改めて内容に目を通した。

 悪くない、かもしれない。

 この仕事も。

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AMUZA NAILー私の戦闘服ー 香枝ゆき @yukan-yuki

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