第13話 ふ~ん……


 気がつくと、自分の部屋の天井が見えた。

 玄関入るとすぐの床の上に倒れ込んだはずだが、ちゃんとベッドの上に横になっていた。

 何度か瞬きをして、ゆっくり体を起こす。


「あ!! ごろちゃん! 大丈夫!?」

 よかった、よかった……と半泣き顔で、みかんが僕の首に抱きつく。小さなタヌキのふかふかの毛が、アゴをくすぐる。

「帰ってきてすぐに倒れて、そのままずっと……。だから、すごく心配で心配で……」

 そう言って、次の瞬間、みかんは、うわぁん、と大きな泣き声をあげた。

「ごめんね、ごめんね、ごろちゃん」

「なんで、みかんが謝るの? むしろ心配かけたのは僕やから、僕がごめんね、って言わなあかんやろ」

 みかんとその姉らしき人の会話を僕が寝たふりして聞いていたことを、みかんは知らない。だから、僕が倒れたのは、自分と姉のせいだと思ったのだろう。

「え、いや、だって」

 困ったようにしどろもどろになりながら、それでも、みかんは、僕がいつも通りにしゃべり始めたので、少しホッとしたようだ。


 僕は、不思議な白い部屋?の中でみかんたちの会話を聞いていたことを、みかんには話さずにいようと思った。

 なぜだろう。話すことで、何か、今の日常が変わってしまいそうで、それが少しこわかったのかもしれない。

 

 

「ごめんな。心配かけて。暑さにまいったんかもしれへんな。……みかん、ご飯、どうする?」

「そんなご飯なんかどうでもいいよ。それより、ごろちゃん、熱は? どっか痛いところとか、吐き気とか、頭痛とか、めまいとか、気持ち悪いとか? 」

 みかんは、思いつく限りの体の不調を表す言葉を並べて、僕に尋ねてくる。

「大丈夫やって。それより、なんか一寝入りして、むしろ、元気やし。なんかお腹も空いたし」


 窓の外は、日暮れ時ではあっても、まだ少し明るい。どうやら、僕が意識を失っていたのは、それほど長い時間ではなかったようだ。そばで、みかんは、心配そうに、じっと僕の顔をのぞきこんでいる。

 目を丸く見開いて不安げなタヌキに僕は笑いかけて言う。

「みかん。食事に行こうか? 何か作るより、今日は外食しよう」

「え? いいの? ごろちゃん、大丈夫?」

「うん。大丈夫。みかんも、そうめんばっかりじゃなくて、少し栄養のあるもの、食べた方が良いよ」


 アパートを出て、10分ほど歩いたところに、新鮮な野菜をたっぷり使った定食の店がある。小さな店で、年配の夫婦が営んでいる。8時までには閉まってしまうので、普段はなかなか行けない店だ。

 時計を見ると、6時50分。なんとか間に合いそうだ。店の前が狭いので、自転車で行くと邪魔になりそうなので、歩いて行く。メニューは日替わりと魚定食、肉定食の合計3種類のみ。どれを選んでも、外れたことはまずない。


「じゃあ、いつもの親戚の男の子モードね」

 一緒に買い物に行くときや、人前に出るとき、みかんは、僕の子ども時代の姿に化ける。

「OK?」

 くるっと一回りして、僕に姿を見せて確認する。

 前に一度、うまく化けたつもりで、しっぽが出たままだったことがあってから、出かける前にチェックする習慣がついた。

「OK」

 

 アパートを出て、2人でおしゃべりしながらてくてく歩いていると、少し前方に見覚えのある後ろ姿があるのに気づいた。向かっている方向は同じだ。もちろん、目的地が一緒とは限らないが。

 特に近づくこともなく、その後ろ姿をぼんやり視界の端に捉えながら歩いていると、急にその人が振り返った。そして、あ。という顔になった。


「あら、大畑先生」

 彼女は言った。満面笑顔だ。そういえば、いつもこの人は笑顔だ。

「三沢先生。こんばんは」

 僕も挨拶を返す。


 彼女は、同じ学年を担当している家庭科の教師だ。

「なんか楽しそうな話し声が聞こえるなあと思って振り向いたら……」

 そう言って、彼女はニコニコと僕とみかんに笑いかける。

「こんばんは」

 みかんが、少し緊張した顔で挨拶をする。

「こんばんは。弟さん? まさか、お子さん、ではない、ですよね?」

 三沢先生が、僕とみかんの両方を見比べるように言う。

「いえ、親戚の子で。時々、僕のところに遊びに来るんです。今日は一緒に外食しようってことになって」

「そうなんですね。どちらまで? あ。もしかして、この先の定食やさんに?」

「そうですそうです」

「あら~、私も今から行くところ。っていうか、帰るところ」


 彼女の目が、陽気に輝く。

「え? 帰るって……」

「私の両親がやってる店なんです」

「え~そうなんですか。知らなかった~」

「学校の先生方には、言うてへんの。うちの店、結構利用してくれはる先生もいてるから、うちの両親にも先生方にも気ぃ遣わせへんでいいように、内緒やの。やから、大畑先生も内緒で、ね」

「あ。もちろんです」


 安心したようにうなずくと、三沢先生は、みかんに話しかけた。

「三沢ハルです。大畑先生と同じ学校で家庭科を教えてます。お名前はなんていわはるの?」

「みかん、です」

 神妙な面持ちで、みかんが応える。

「わあ。元気なイメージの、カッコいいお名前やね」

『可愛い』と言わずに、『カッコいい』と言ったのは、みかんが男の子の姿だから、気を遣ったのかもしれない。


 男の子に合う名前かどうかはちょっと微妙だ。でも、わざわざ別の名前も思いつかなかったのと、姿によって呼び名を変えると混乱しそうだったので、『みかん』という名前で通している。

 といっても、これまでみかんと会話したことがあるのは、アパートの家主のおばあちゃんと、スーパーの店員さんくらいだが。


 ニコニコしながら、三沢先生が続ける。

「みかんくん? ちゃん? は、何が好き? お肉? 魚?」

「……ちゃん、でいい、です。どっちも好きやけど、野菜の方がもっと好き」

 みかんが、ちょっとおとなしめな口調で応えている。

「そう。野菜好きなん? いいね。私も~。今日の日替わり何かな~。でも、どれ食べても、きっと美味しいからね。いっぱい食べてね」

 店が近づくと、三沢先生は

「じゃあ、一足先に行きますね」

 そう言って、僕たちに手を振り、小走りで先に行った。


「同じ学年の先生や。僕より、3つ年上」

 僕がつぶやいた情報に、

「ふ~ん……」

 みかんは、少し投げやりに聞こえる返事を返してきた。

 そして僕の手をぎゅっと握った小さな手には、さっきより力が入っている。気のせいかもしれないけど。

 

 

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話せば長いことなので。 原田楓香 @harada_f

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