向けられた剣
※2話にわたってラルフ目線が続きます
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「……怒ってたな」
痩せた少年の背中が見えなくなると、ラルフはつぶやいた。
「うん、怒ってた」
シャルワーヌが同意する。
「初めて意見が会いましたね、シャルワーヌ将軍」
「客観的事実だから、仕方がない」
さもいやそうにシャルワーヌが応じる。
「おやおや。嫌われたものですね。貴方は認めたがらないかもしれないが、我々はよく似ているのですよ」
「似ている? エドガルドを欲している点がか?」
深いため息を、ラルフはついた。
「栄光を求めている点です」
「栄光……」
「金にも地位にも名声にも頓着しない貴方は、しかし、焼けつくような思いで栄光を欲しがっている。だから、高い能力を持ちながら、オーディン・マークスの下に甘んじているのだ」
うっとりとラルフが口ずさむ。つかみどころのない、ぼんやりとした目をしている。
シャルワーヌが口の端を上げた。
「俺は、彼の才能を信じている。オーディン・マークスは必ず、偉大なことを成し遂げる男だ。歴史の暗闇の中で、その栄光が、彼の下の俺自身をも照らしてくれることを望んでいる」
「彼に殺されそうになったのに?」
ラルフは呆れた。
この男、毒殺されそうになったのに、全然堪えていない。
「結果として、生きることを許された。その上、俺が生きていることを知りながら、マークス将軍は、次の矢を放ってこない。それで充分だ」
話す声は、真摯だった。心の底からそう信じている声だ。
ラルフは首を横に振った。
「貴方という人は!」
不意に、シャルワーヌに生気が戻った。皮肉な目をしている。
「では君は、どのような栄光を求めているのか、リール代将」
「橋渡しですよ。平和への橋渡し。悲惨な戦争はもう、たくさんだ。ユートパクスとアンゲル王国との間の戦争を終わらせ、真の平和をウアロジア大陸に齎したいのです」
「君と俺は似ていると?」
「煎じ詰めれば」
ふっと、ラルフの口元に笑みが浮かんだ。彼は、オーディン・マークスが栄光を得ることも、ましてや部下にそれを齎すことも、全く信じていなかった。
だって、オーディンはそれほどの器ではない。武官としての技量、経験、麾下の兵士たちからの信頼の点においても、シャルワーヌの方が、ずっと格上だ。
「ところで、シャルワーヌ将軍。貴方の姉上は王の血を引いておられますね? そういう噂がある」
シャルワーヌの顔が青ざめた。
「どこでそれを!」
「我々の情報収集能力を甘く見て貰ったら困りますね。あなたがロワネの地方貴族の息子であることも、ロワネがとんでもない山奥であることも、従ってあなた方一族が、貴族とは名ばかりで常に手元不如意であることも、調べようとすれば、何でも知ることができるのです」(*1)
「姉さんに手を出すな。いいか。余計なことをしたら、ただじゃおかないからな」
「噂だけで充分です。革命政府から、彼女は狙われている。貴方という存在がなければ、とうの昔に処刑されていたでしょう。言い換えれば、あなたが亡命貴族ではなく、革命政府軍の将校であるからこそ、彼女は、無事でいられるのです」
軍においてどのような高位に上り詰めようと、王族である姉の存在は、シャルワーヌにとって危険であるはずだった。
彼は、常に、政府から派遣されてきたスパイたちの疑惑の的だった。ほんの少しの言動の逸脱でさえ、王党派と見做され、政府への裏切りと糾弾される。現に彼には、二回ほど、逮捕されかけた過去がある。二度とも、麾下の兵士達が楯となって、上官を守ったらしい。
あるいは……ラルフは思う。
シャルワーヌがこうまで無茶な戦いぶりを示すのは、革命政府に対し、自身の忠誠を誇示する為ではなかろうか。戦いの負けは、指揮官の怠慢、あるいは敵との密通を疑われる危険がある。たとえ死の危険があろうとも、シャルワーヌは、常に軍の最前線で勇敢に戦い続けねばならないのだ。
そしてまた、彼が、オーディン・マークスの傘下に下ったのは、この姉の存在が大きかったのだと、ラルフは思う。常に戦争に勝ち続けるオーディンは、政府からの信頼が厚い。政府要人との太いパイプも噂されていた。オーディン麾下とあらば、革命政府もうかつには手が出せない。
彼はもちろん、王家の血を引く彼の姉へも。
シャルワーヌが俯いた。
「俺は、エドガルドに誓った。前世のエドガルドに。一日も早く戦争を終わらせると。王党派とか、革命政府軍とか。同じ国の国民が分断され、互いに血を流して戦うのはもう、たくさんだ」(*2)
「だから、我々は似ていると言ったのです、シャルワーヌ将軍。貴方も私も、こいねがうものはただ一つ。ウアロジア大陸の平和だけだ。それが貴方の、そして私の望む栄光の正体ですよ。あなたの勇気の陰には……」
言いかけた言葉をラルフは飲み込んだ。姉の話は、シャルワーヌを追い詰めるだけだ。
今はまだ。
「剣舞の話をしましょう」
がらりと話題を変え、ラルフは言った。
「剣舞?」
「上ザイードに私が訪れた時、……あの時は私はまだ、エドガルドのことをジウ王子だと信じていましたが……、彼の舞った舞です」(*3)
言われてシャルワーヌは思い出したようだ。俄かに苦々し気になる。
「客人の前で肩脱ぎをするという、破廉恥なあれか」
「破廉恥?」
ラルフはきょとんとする。
「まあいい。俺が止めたから」
「あれは芸事でしょ! せっかく肌を見せてくれるというのに、途中で止めさせて。全く貴方の無粋さときたら!」
「ダメだ!」
一言で切って捨てる。むべもない言い方だ。
ラルフは肩を竦めた。
「まあ、あそこには、他の兵士達もいましたしね。ところであの舞では、抜身の剣を客人に突き付ける、という場面がありました。後から知ったのですが、それには意味があったのです」
剣を突き付けられ、客が動じなければ、その客は主、即ちウテナ王に永遠の忠誠を誓ったと見做される。あの場にウテナ王はいなかったから、暫定的に忠誠の受け手は、舞い手であるジウ王子だったはずだ。
だが、もし少しでもよけたりのけぞったりしたら、その人は、一夜の客に過ぎない。
「私の前から彼をひっさらって、貴方は自分の前で踊らせたのでしょう? どうでしたか? 貴方は彼の剣をよけましたか?」
シャルワーヌがジウに剣舞を舞わせたことを知ってから(翌朝、憤慨しきったアソムから聞いたのだ)、ラルフはどうしても、そこが知りたかった。
シャルワーヌは、彼の剣をよけたのか。ジウ、もとい、エドガルドが突き出した真剣を。
「ちょっと待ってくれ。剣を突き付けた? そんな場面があったかな」
シャルワーヌは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。
「まさか、忘れた?」
「いや、剣舞のことはよく覚えている。ジウの奴、俺の前では嫌がって……リール代将、君の前では平気で脱ごうとしたくせに」
「脱ぐ前に、貴方が拉致したんでしょ?」
「当たり前だ。あんたに肌を見せるなど、俺が許すわけがない。だが……剣を突き付ける? ……?」
しきりと考え込んでいる。本当に忘れているようだ。
常に前衛で敵に切り込む彼には、剣を突きつけられるなど、日常茶飯事なのだろうか。それとも、ジウの弱々しい剣さばきなど、取るに足りないということか。
「……ああ! そういえば、確かにそんな場面もあったような……」
不意にその顔が綻んだ。
「思い出したよ。そういえば、ジウらしくないと感じたんだ。高貴なプリンスらしさがまるでなかった。でも、可愛かったな。俺に向けた剣の先がぷるぷると震えて。本当にあれは、愛らしかった」
「………………」
まじまじと、ラルフはシャルワーヌを見つめた。
「では、彼の剣をよけなかったと?」
「なぜよける必要が? あんなに可愛いのに」
……痴れ者か。
ユートパクスの名高い将軍は阿呆なのかと、本気でラルフは疑った。自分に突き付けられた剣を、愛らしい、なんて。
「それが何か?」
「いや、なんでもありません」
ラルフは答えなかった。代わりに別の話題を持ち出す。
「剣繋がりになりますが、アソムが使った短剣についてお聞きしたい」
「おう、何なりと聞くがいい」
年下の異国の将軍は尊大に構えている。その無理をしたような背伸びが、ラルフにはおかしかった。
「さっきアソムが剣を向けた時、貴方は我が身を省みず、エドガルドに覆いかぶさりました」
「君だって、銃を構えたじゃないか。その前には、素手で侍従を取り押さえようとした」
「……」
「どうした?」
黙り込んでしまったラルフに、不審気な眼差しを送ってくる。観念してラルフは口を開いた。
「いえ。正直に申し上げれば、最初、侍従を取り押さえた時、私は、剣に毒が塗ってあるとは知らなかったのです」
「知らなくても無理はない。あれは、ムメール族のイサク・ベルが造らせたものだ。以前、アソムが言っていた。まだ上ザイードにいた頃……あっ!」
不意にシャルワーヌが飛び上がった。
「なな、何です?」
ラルフは驚いた。
「あれは、イサクの送ってきたプレゼントだ! 部下が不埒を働いた詫びだとか言って(*4)。アソムめ、すぐに俺の目から隠しやがって。だから今まで気がつかなかったのだ。くっそう、イサク・ベルの奴! 毒を塗った剣をジウに与えた上に、俺を殺すように唆しやがったな! くそ、俺はあいつに、上ザイードの統治権を与えたというのに」
「あなた方ユートパクスの軍人は、本当に、くそがお好きですね」
冷たい声が割り込んだ。
「くそ? 別に好きじゃないぞ」
「よく連呼しておいでです。あなたも、ワイズ司令官も」
「下らないことを覚えているなあ」
「ええ、下らないことばかり聞かされるものですから」
「ふふふ……」
不気味にシャルワーヌは微笑んだ。
「見ろ。エドガルドは俺を殺さなかった。ああっ!」
今度は髪を掻き毟っている。豊かな濃い色の髪が抜け散るくらいの勢いだ。
「イサクが言ったのは、そういう意味だったんだ。最後に会った時、イサクの奴、彼はそこまで俺を嫌っていない、なんてぬかしやがった。少なくとも俺はまだ生きているから、って。あれは、そういう意味だったんだ!」(*5)
「シャルワーヌ将軍?」
もう、ラルフは不審でいっぱいだ。わけのわからないことばかり喚き散らして、様子がおかしい。この将軍は発狂したのではなかろうか。
不意に、シャルワーヌは頭を掻き毟るのを止めた。再び微笑を浮かべている。限りなく不気味だった。
「ははは、ざまあみろ。イサク・ベルの思い通りにはならなかったぞ。俺は生きているからな。彼は俺を殺さなかった!」
いよいよ笑み崩れる。
「ほほほ。エドガルドは俺を選んだわけさ。ムメール族の
「貴方のお話は、さっぱりわからないのですが……」
「つまり、俺の大勝利ということだ。俺はまだ生きてるからな。イサクから毒を塗った剣を渡されても、彼は俺を殺さなかった」
全く、あちこちでよく、命を狙われる男だ。
「毒の剣の話を総合して判断すると、」
気を取り直し、ラルフは分析を始める。
「イサクという人がエドガルドを唆したのではなく、エドガルド自身が、イサクに相談を持ち掛けたように思えますが」
「相談?」
シャルワーヌはきょとんとした。
「そうです。エドガルドはオーディン・マークスを憎んでいました。オーディンの信頼する部下、そして愛人であれば、貴方のことも殺したいと思ったはずです」
「愛人ではない!」
「はいはい。今やエドガルドは非力な少年ですからね、身体的には。貴方という人は、正面から立ち向かって討ち取れる相手ではないと判断したのでしょう」
「それはつまり……。彼がイサクに持ちかけた相談というのは……」
「シャルワーヌ将軍、貴方を殺すにはどうしたらいいか、と相談ですよ、もちろん」
ふらり。
シャルワーヌが立ち上がった。
「おや、どうなさいました?」
「帰る」
「はあ」
「船から降ろせ。俺は、マワジの司令部へ戻る」
「さんざん人のプライドを傷つけておいて、それですか」
「それはこっちのセリフだ! 知らなくてもいいことを暴き立てて、俺を奈落の底に突き落としたくせに」
「理論に基づいて推理しただけです」
「だが、イサク・ベルの言うことにも一理ある。つまり、上ザイードでは、機会はいくらでもあった。俺は、エドガルドの前で無防備に眠りこけてしまったことさえある。なにしろ、彼と一緒にいると、安心できたからな」
「一緒に? 安心? なんてことだ。許せない」
「何?」
「ひとり言です」
「紛らわしいから、アンゲル語でひとり言を言うな。俺が無防備な上に、エドガルドは、有力な武器を持っていた。イサク・ベルから贈られた毒を塗った剣だ。それなのに俺を殺さなかったということは、つまり……」
うふっ、とシャルワーヌは笑った。さっきまで帰ると言っていたくせに、立ち直りの早い男だ。
「つまり、エドガルドは俺を生かしておきたかったのだ。これは、希望があるぞ。転生してからも、俺を好きでいてくれてるんだ!」
「彼の記憶から、貴方の存在は、すっぽりと抜け落ちていますが」
「………………」
饒舌だったシャルワーヌは、黙り込んでしまった。
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*1 Ⅰ章「捕らえられた亡命貴族」でシャルワーヌ自身が言及しています
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666466449271
*2 Ⅰ章「初めて」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666467386579
*3 Ⅰ章「拉致?」「月下の舞」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666195359467
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666195648498
*4 Ⅰ章「罰が必要」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666091442842
*5 Ⅱ章「回想:特別になりたい/イサク・ベルとの友情」
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330667138955219
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