罰が必要

 シャルワーヌがジウ王子に罰を与えることはないだろう……。

 アソムの見立ては、半分当たって、半分外れた。


 数日後。何の前触れもなく、シャルワーヌが俺の部屋を訪れた。驚き、そして例によって激しく震え始めた俺をちらりと見て、彼は露骨に嫌な顔をした。


「そんな風に怯えなくてもよいではないか。何も取って食おうとしているわけではない」

「はい」


 しかし体の震えは止まらない。かつてジウ王子は、シャルワーヌに、よほどひどい目に遭わされたことがあるのだろうと、俺は勘ぐった。


「ところで君は、タルキア語を話すようだな」


 シャルワーヌが尋ねる。思わず俺は、口ごもった。

 ……何と答えるのが正解だろう?

 王族が教養として習うのは、ユートパクス語だ。タルキア語は、必須ではない。そしてここには、アソムがいる。祖国ウテナの宮廷で、ジウ王子はタルキア語を学んだのだろうか?


「どうして僕がタルキア語を話すなどと思われたのですか?」


 慎重に尋ねた。たどたどしくはあるが、俺はタルキア語を話せる。けれどそれはあくまで、前世の知識、エドガルド・フェリシンとしての能力だ。だからシャルワーヌやアソムの前では、タルキア語を使ったことはない。


「イサク・ベルと、随分話し込んでいたそうだな」


 暑い砂漠の館が、一気に氷室になったような気がした。それほどシャルワーヌの声は冷たかった。


 イサクのテントから帰ってから、俺は、文字通り、上から下まで、医者の診察と手当てを受けた。下着を外して、前へ屈むことさえ命じられた。もちろんシャルワーヌは席を外していたが、屈辱だったことに変わりはない。だがこれで、俺とイサクの間には何もなかったことは証明されたはずだ。

 それなのに、彼はまだ、こだわっているというのだろうか。いったいなぜ?


 すぐそばで控えていたアソムが、幽かにみじろいだ。

「王族にとって外国語の習得は、教養の一部です。ジウ王子は特に語学のセンスが優れていらっしゃいます。タルキア語の他にもいくつか、外国語を学んでおられます」


一層冷たい目でシャルワーヌは俺を見据えた。

「イサクの使いが、これを持ってきた」

言いながら、テーブルの上に何かを置いた。


 息が止まりそうになった。

 あの箱だ。毒を塗った小刀が納められている……。


「部下の不埒の詫びだそうだ。使いに来たのは小さな少年だったので、詳しい話は聞けなかった」

そう言って、箱を押しやる。


「将軍は、箱を開けてごらんになったのですか?」

震える声で俺は尋ねた。彼がもし、ほんの少しでも、刃に触れていたら……。

「いいや」

シャルワーヌは首を横に振った。

「これはイサクから君への贈り物だ。俺はただ、取り次いだだけだ」


 テーブルの中ほどまで押しやると、まるで不快なものであるかのように爪の先で弾いた。つるつるした天板の上を滑り、箱は俺の前で止まった。


「確かに渡したぞ」

「はい」

「君にとって、俺と過ごす時間は、拷問にも値するようだな」


 俺の体の震えは、一向に治まっていなかった。皮肉な口調で彼は言った。

 その通りだと思う。誰が王を裏切った革命軍の将軍と同席したいものか。まして彼は貴族だったという。貴族なら貴族らしく、王に従い、革命政府と戦うべきだ。


「君は言いつけを破り、勝手に館の外へ出た」

「それは!」

シャルワーヌが言いかけたのに、アソムが割って入る。

「思春期の好奇心だというのだろう? 貴方の話は聞いている」

アソムの言い訳を、シャルワーヌは、簡単に封じてしまう。

「ジウ王子には罰が必要だ」

「しかし!」


「黙って、アソム」

俺は忠義な侍従を制し、こうべを下げた。

「総督の命令を破ったこと、重々お詫び申し上げます。非は全てわたくし、ウテナ王子ジウにあります。なんなりと罰を賜りますよう」


 総督に逆らって、アソムを巻き込むことはできない。もし万が一、ウテナの国にまで累が及ぶことになったら、大変だ。

 項垂れた首の両側に、さらさらと髪が流れた。うなじが空気に晒される。

 息を呑む気配がした。


「君に命じる。俺に、タルキア語を教えてくれ」

 咄嗟に意味が取れなかった。あまりに意外過ぎて。

「は?」

「だから、俺はタルキア語がわからない。このままでは、この先、交渉の場で不便だ。だから教えて欲しい。そのう。君に」


 掠れた声だった。まるで緊張しているように聞こえる。


「将軍。僕はあなたに、罰を求めたのです。ユートパクスとタルキアとの交渉は、僕には全く無関係です」


 タルキア語がわからなくて、思いっきり不利な条約を結ぶといい、と心の中で呪いつつ、俺は応えた。

 語学を教えるとなれば、シャルワーヌと会う機会は増えるだろう。とんでもないことだ。


「だって、君は震えるだろう? 俺と向き合うと。そんな君にとって、俺と二人きりで過ごす時間は苦痛であるはずだ。これは、君への罰なのだ、ジウ王子」

「二人きりですって?」


 横やりを入れたのは、アソムだった。あまりのことに、俺は、理解が追い付けないでいた。


「とんでもないことです。仮にも王子ですぞ? 来客中、侍従たる私が席を外すなどということはあり得ません」

「だから言っただろう? これは罰だと」

「ですが!」


 暫くの間、アソムは粘り、ついに屈した。なんといってもこちらは捕虜で、相手は総督だ。その上、軍の将軍でもある。しかも、非はこちらにある。


「よござんしょう」

ぜいぜいと肩で息をし、アソムは言った。

「『授業』の間中、私は、続きの部屋で控えさせて頂きます。ドアを開けたままね!」


「仕方がない。だが、ドアは半開きだ」

同じく息を切らせながら、シャルワーヌが応じた。

「シャルワーヌ将軍!」

「これでも譲歩したのだ!」

「譲歩したのはどっちですか!」

「ジウ王子に、俺を見て震えてもらっては困るのだ」

「なぜですか! プリンスは、貴方の捕虜でしょうが。ましてやまだ、少年です。敵の軍人に怯えて、何が悪いのです?」

「敵? だって俺は……」


 彼を好きになってくれと、ベリル将軍は言った。寂しがり屋で、軍の中にしか居場所がない、孤独な男だから。彼は、兵士達を愛し、自分の軍を、家族だと思っている。だから同じ軍にいる以上、彼を嫌わないでやって欲しい……。


 でも俺は彼が怖い。俺が、というより、俺の体ジウは彼をひどく恐れている。好きになるなど不可能だ。


 何か言いかけていたシャルワーヌが、慌てたように咳ばらいをした。

「ジウ王子には、やってもらいたいことがあるからな。君は非常に有能だ」


 思がけない言葉だった。俺が、この非力なジウ王子が有能だと? 

 以前シャルワーヌは、俺のことをただの捕虜じゃない、と言った。彼はいったい、何をやらせようとしているのだろう。それとも単に、ウテナ王子としての身分が必要なのだろうか。

 そう考え、ひどい疎外感を味わった。

 疎外感? 


 アソムが咳ばらいをした。

「そうそう。将軍は、この部屋に忘れ物をしていかれましたね?」

「忘れ物?」

「春の花の色のストールです」

「ストール? はて」

「カシミヤの」

「ああ!」


理解の色は、すぐに狼狽に取って代わられた。

「あれは……その……」

「サリ大尉には、特別、罰を与えられてはおられないようですが?」

しれっとアソムが付け加える。


 先日、邸内にジウ王子の姿がないと、最初に騒ぎ出したのは、シャルワーヌだ。そう彼の副官がアソムに教えた。しかしシャルワーヌ自身はこれを否定した。そして、嘘の証言した副官を、罰すると宣言したのだ。

 が、あれから今に至るまで、サリは元気に屈託なく過ごしている。彼が罰せられた気配はない。


「それは、その……」

しどろもどろとシャルワーヌが言い澱んでいる。ずばり、アソムが指摘した。

「貴方が最初に、王子の不在に気づかれたのだ。カシミヤは、王子への贈り物でしょう? それを渡しにこの部屋に来て、貴方は、王子がいないことに気がつかれたのです」


「お返しします」

 思わず脊髄で反射してしまった。

 俺の余りの剣幕に、シャルワーヌも、そして、アソムも、ぽかんとしている。

「僕には、貴方からいかなる贈り物も受け取るつもりはありません。僕は貴方の捕虜です。敵の将校なら、もっとしゃんとなさい!」


「お、贈り物などではないぞ」

気の毒なくらい裏返った声で、シャルワーヌが言った。

「君に風邪を引かせたらまずいと思って。ウテナ王に顔向けできないからな」


「寒いくらいで、風邪を引いたりしません。そのストールは不要です」


 ぴしゃりと俺は言い放った。裏切り者の貴族将軍には、いくら冷たく言っても足りないくらいだ。

 血色の悪いシャルワーヌの顔が、はっきりと青ざめていく。


「いや……。つまりその……」


「ストールは、私が貰いましょう」

 助け舟を出したのは、意外なことにアソムだった。

「なるほど、王子はお若いから気ならないでしょうが、老骨に、砂漠の夜の寒さは堪えます。よろしいですかな、シャルワーヌ将軍」


「勝手にするがいい」

言い捨て、シャルワーヌは立ち上がった。

「だが、語学学習は実行するからな。覚悟しておくことだ、ジウ王子」


 覚悟? 覚悟って?

 足音荒く、彼は立ち去っていった。




 「あまり軍人を刺激してはなりませぬぞ、プリンス」

ドアの外までシャルワーヌを見送ってきたアソムが言った。


「だって!」

「それに、ストールくらい、貰っておけば良いのです。あれは高価な品です。カシミヤに罪はありません」

「ユートパクスの革命軍から、いかなる品物も受け取るつもりはない!」

思わずきつい声が出た。

「……」


 驚いたように、アソムが俺を見つめている。つい、前世の気持ちが出てしまったようだ。俺は慌てた。


「あ、その。つまり、シャルワーヌは僕にひどいことをしたに違いないと思って」

「ひどいことを? したに違いない?」


ダメだ。言えば言うほど、墓穴を掘ってしまう。


「総督を見ると、僕は、震えが止まらないんだ。胸の鼓動が激しくなり、脈も増えて、とても苦しくなる」

「逆だと思いました」

ぽつりとアソムは言った。

「逆?」

「……いえ」

首を横に振り、侍従は微笑んだ。

「ジウ王子。ここへ来てから、いつだって私は貴方を見守ってまいりました。あの将軍が貴方に手を出す隙は皆無だったと、誓って申し上げます」

「そう」


 そうすると、ジウ王子の体が無垢であることは間違いない。心の底から、安堵した。このおとなしい少年が、悪辣なシャルワーヌの餌食になったかと考えると、たまらない気持ちだったからだ。

 安心感は大きかった。だから、気が回らなかった。アソムはなぜ、俺が純潔であると証言したのだろう。それは、が一番よく知っていることなのに。


 テーブルには、シャルワーヌの持ってきた箱が置き去りになっていた。イサクからの贈り物だ。

 毒を塗った小刀。シャルワーヌを殺す為の武器。


 正確には俺は、彼の妾になったわけではない。部下の不埒の詫び……シャルワーヌはそう伝言した。

 いいや、違う。ムメール族のベルにとっても、シャルワーヌの死は望ましいに違いない。俺とイサクは、同じ穴の貉だ。贈り物は、彼からの援助だ。受け取っておいて、悪いことはない。


「これは、僕が持っていよう」

 テーブルから、素早く箱を取り上げた。

「それはなんです?」

アソムが首を伸ばす。

「大したものじゃない。小刀だよ。護身用の」

さも何気なさそうに答える。

「小刀!」

アソムは驚いたようだ。俺は慌てて付け加えた。

「きれいな宝石で飾られているんだ」

「ああ」

装飾品のたぐいだと、彼は理解したようだ。

「ムメール族のベルからの贈り物は受け取るくせに、今現在庇護下にある総督からのは、あんなに激しく拒否して。全くプリンスは……」


 ぶつぶつと、アソムがつぶやき始める。彼の小言が始まらないうちに、俺は、寝室へ引き上げた。







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