拉致?
……少し痩せた? ねえ、ラルフ。相変わらず、暑く乾燥した地方で戦い続けているんだね。
……でも、飄々としているところは昔と同じだ。ほっとしたよ。
ラルフが眉を上げた。
「ほう、この子がウテナ王子? きれいな子じゃないか」
俺がエドガルドだとは微塵も思っていない。俺たちは、恋人だったというのに。そうだろ、ラルフ。
「
「さらったとはお言葉ですな」
温厚な性格のロットルは、穏やかに躱す。
「ウテナ王が自発的に、ご子息を捕虜として差し出されたのです」
「だが彼は、王の長男だろう? つまり、王太子だ。そんな王子を、捕虜として差し出したりするのかな」
「上陸したのは我々シャルワーヌ師団です。ウテナ王は、完璧に、我々を信頼してくれました」
「砲撃しておいてか?」
「必要以上の砲撃はしていない!」
ロットルの声が大きくなる。だが彼はぎりぎりのところで踏みとどまり、ベリルの二の舞を避けた。皮肉な口調で続ける。
「ウテナ王はむしろ、
「否定はしない」
けろりとしてラルフが応じる。
ほらみたことかと言わんばかりに、ロットルは肩を竦めた。
「ですからウテナ王は、王子をこのままウテナに置いておくより、人格者のシャルワーヌ将軍に託した方がよっぽど安全だと、判断されたのです」
「人格者の」というフレーズに、俺は首を傾げて見せた。それに気づいたラルフが、おかしそうに俺に目を向けた。
「ジウ王子。君は幾つだ?」
「16歳です」
「ふうん。シャルワーヌ師団に預けっぱなしということは、オーディン・マークスは、美しい少年には興味がないわけか」
「総司令官殿は、清廉潔白なお人柄だ。弱いものに付け込んだりは、断じてなさらない!」
またも憤然として、ロットルが抗議する。
そういえばラルフは、目上の人を怒らせるのが得意だった。ロットルは目上ではないが、仲良くした方がいい相手であることに変わりはない。
……そういうところはちっとも変っていないんだな。
「清廉潔白? すると、シャルワーヌ将軍はそうでもないってことだな」
「そんなことは……」
言いかけて、ロットルは口をつぐんだ。
シャルワーヌの軽薄な性格は、参謀からも信頼されていないようだ。
さらにラルフが追い打ちをかける。
「
ぐっとロットルは言葉に詰まった。
「参謀長! ロットル将軍!」
その時、部屋の向こうで呼ぶ声がした。
「くそ、交代だ。シャルワーヌ将軍が書類仕事を逃げてばかりだから、みんなで交代して司令部への報告書を書いているのです」
気まずさから逃れられたとばかり、ロットルが立ち上がった。今の会話も報告するのだろうか。
「私のことは、良く書いておいてくれよ。君らの司令部がいい印象を持ってくれるように」
ぬけぬけとラルフが言い放つ。軽く肩を竦め、ロットルは離れて行った。
「
この思いもかけぬ僥倖を見逃すわけにはいかない。藩笑いを浮かべて
「なんだい、ジウ王子」
「二人きりでお会いしたい」
「二人きりで?」
ラルフが目を剥いた。
「嬉しいお誘いだが、そんなことをしたら、俺はシャルワーヌ将軍に殺されるんじゃ……。ベリル将軍が言うには、君は、」
「『君らも公開処刑を見に行くのか』」
意味不明なことをつぶやくラルフを遮り、一言、俺は囁いた。初めて彼と会った時に俺が口にした言葉だ。
ラルフの顔色が変わった。
「どうしてそれを?」
「詳しく説明している時間はありません。僕を信じて、」
「ああ、こんなところに、ジウ王子!」
アソムがやってきた。息を切らしている。
「そろそろお支度をなさらなければ」
「支度? 何の?」
無遠慮にラルフが問う。今の驚愕が嘘だったかのように、彼本来の飄然とした顔に戻っている。
「剣舞のでございます」
アソムは、島国アンゲルを、野蛮人の国だと思っている。いっそ慇懃無礼な横柄さで返した。
「ささ、参りますぞ」
「ちょっと待って。リール代将、あの、」
このチャンスを逃したくない。
「そういえば、」
一際大きな声をラルフが出した。
「シャルワーヌ将軍が言ってた。今夜俺に、彼のハーレムを解放してくれるんだと。俺は今夜は一晩中、彼のハーレムで過ごすわけだ」
ひえびえと冷たい眼差しでラルフをひと睨みし、アソムはその場を立ち去っていく。彼のいる所で、これ以上のことを口にすることはできない。悄然と俺は、彼に続くしかなかった。
途中で振り返ると、ラルフが真剣な眼差しで俺を見ていた。
「なにをしていらっしゃる。ジウ王子! 早く!」
仕方なく
会場に五弦の楽器が奏でる調べが響き渡った。
聞きなれない旋律に、ざわめいていた軍人たちが、きょとんとする。
五弦の奏者はアソムだ。しわがれた渋い声で、彼は、ウテナの
王と姫の悲恋物語だ。二人が初めて出会う場面で、俺は座の中央に舞い出る。
期せずして、歓声が上がった。短い拍手を送る者もいる。人々の視線を十分に集めてから、手に持った剣の鞘を、さっと払った。
ここにいるのは、全員、兵士だ。それも実戦経験を積んだ、熟練の将校達だ。観客が息を呑むのがわかった。
滑るようにフロアを渡り、俺は、今宵の賓客、ラルフの前で足を止めた。抜身の剣を、ぴたりと彼の鼻先に据える。
ウテナにおいて、これには意味があった。客が動じなければ、その客はこの場の主、即ちウテナ王に永遠の忠誠を誓ったと見做される。もし少しでもよけたりのけぞったりしたら、その人は、一夜の客に過ぎない。
剣を突き付けられ、ラルフは大きく後ろへ身を避けた。剣は、真剣だ。当たり前の反応だと思う。
それにここはウテナではない。この場の主はシャルワーヌだが、ラルフが彼に永遠の忠誠など誓うわけもない。
落ち着き払って、俺は剣を引いた。空いている方の片腕を大きく後ろへ引く。この勢いで衣装の襟をずらし、肩から胸にかけて、肌を露出させるのだが……。
「ダメだ!」
誰かが叫んだ。
……え?
「脱ぐな!」
片肌を脱ぐこの場面は、最初の見せ場だった。衣装と剣を上手く扱わなければならず、難易度が高い。
舞いに集中していた俺は、何が起きたのか、さっぱり理解できなかった。そのまま踊り続ける。
襟を緩め、肩をわずかに覗かせた時だ。
突然、目の前が真っ暗になった。頭から布を被せられたのだ。思わず、剣を落としてしまった。
俺は蒼白になった。
舞いの最中に、剣を落とすなんて……。
「来い」
ごわごわした布越しに、誰かが耳元で囁いた。しかもこの布、なんだか湿っている。
場は、しんと静まり返っている。いったい何が起きたというのか。
「おやおや。私への最高のもてなしではなかったのですか?」
皮肉な声は、ラルフ・リールだ。誰かが俺の頭越しに答える。
「貴殿には、別の楽しみを差し上げたろう? それで我慢してくれ」
「ああ、貴方のハーレムね。でも、芸術はまた、別でしょう?」
「堪忍してくれ!」
切羽詰まった声だった。
「芸術がいいなら、おい、ピカール、お前、踊れ」
「ええっ!」
のけぞらんばかりの声が響いた。
「前に、酔っ払って踊ってたじゃないか。あの裸踊りを披露して差し上げろ」
「いや、ジウ王子の剣舞と兵士の裸踊りでは雲泥の差が……」
「すまんな、
これは、シャルワーヌの声だ。
普段言葉少ない彼らしく、不器用に「ダメ」を繰り返す。
ぐい、と引き寄せられた。
わずかなその香りを察知し、息が詰まりそうになった。
「彼はウテナ王からの大切な預かり物だ。人前でみだりに肌を晒させるわけには、断じていかんのだ!」
言い終わる前に、有無を言わさぬ勢いで、ぐいぐい引っ張られた。が、剣舞の衣装が邪魔をし、思うように歩けない。
「ジウ王子! ちょっと! 王子をどこへ!」
遠くにアソムの叫び声が聞こえる。
ほぼ両脚が地についていない状態で、俺は宴席会場から連れ去られた。
【後書き】
※ここでは英語に倣い、海軍将校をアドミラルとします。
陸軍の総督に対し、海軍では提督となります。海賊上がりのラルフが栄えある提督になれるわけもなく、彼は、メドレオン海の、それもタルキア帝国周辺に限定された提督代理です。なので彼は、代将(コモドール)です。呼びかけるときは「コモドール・リール」になります。
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