拉致?


 ……少し痩せた? ねえ、ラルフ。相変わらず、暑く乾燥した地方で戦い続けているんだね。

 ……でも、飄々としているところは昔と同じだ。ほっとしたよ。


 ラルフが眉を上げた。

「ほう、この子がウテナ王子? きれいな子じゃないか」

 

 俺がエドガルドだとは微塵も思っていない。俺たちは、恋人だったというのに。そうだろ、ラルフ。


君たちユートパクス軍が、ウテナの王子をさらったという情報は入っている。てっきり彼は、首都マワジにいると思っていたよ」

「さらったとはお言葉ですな」

温厚な性格のロットルは、穏やかに躱す。

「ウテナ王が、ご子息を捕虜として差し出されたのです」

「だが彼は、王の長男だろう? つまり、王太子だ。そんな王子を、捕虜として差し出したりするのかな」

「上陸したのは我々シャルワーヌ師団です。ウテナ王は、完璧に、我々を信頼してくれました」

「砲撃しておいてか?」

「必要以上の砲撃はしていない!」


ロットルの声が大きくなる。だが彼はぎりぎりのところで踏みとどまり、ベリルの二の舞を避けた。皮肉な口調で続ける。


「ウテナ王はむしろ、アンゲルお国の侵略を心配していましたよ。ウテナ島は、メドレオン海の交通の要衝ですからね。アンゲルとしては、喉から手が出るほど欲しいんじゃないですか?」

「否定はしない」


 けろりとしてラルフが応じる。

 ほらみたことかと言わんばかりに、ロットルは肩を竦めた。


「ですからウテナ王は、王子をこのままウテナに置いておくより、人格者のシャルワーヌ将軍に託した方がよっぽど安全だと、判断されたのです」


「人格者の」というフレーズに、俺は首を傾げて見せた。それに気づいたラルフが、おかしそうに俺に目を向けた。


「ジウ王子。君は幾つだ?」

「16歳です」

「ふうん。シャルワーヌ師団に預けっぱなしということは、オーディン・マークスは、美しい少年には興味がないわけか」

「総司令官殿は、清廉潔白なお人柄だ。弱いものに付け込んだりは、断じてなさらない!」


 またも憤然として、ロットルが抗議する。

 そういえばラルフは、目上の人を怒らせるのが得意だった。ロットルは目上ではないが、仲良くした方がいい相手であることに変わりはない。


 ……そういうところはちっとも変っていないんだな。


 懲りない男ラルフが、してやったりとばかり、にやりと笑った。


「清廉潔白? すると、シャルワーヌ将軍はそうでもないってことだな」

「そんなことは……」


 言いかけて、ロットルは口をつぐんだ。

 シャルワーヌの軽薄な性格は、参謀からも信頼されていないようだ。

 さらにラルフが追い打ちをかける。


清廉な総司令官オーディン・マークスの目が届かないのをいいことに、シャルワーヌ将軍は、ハーレムまで囲っているようだから」


 ぐっとロットルは言葉に詰まった。


 「参謀長! ロットル将軍!」

その時、部屋の向こうで呼ぶ声がした。


「くそ、交代だ。シャルワーヌ将軍が書類仕事を逃げてばかりだから、みんなで交代して司令部への報告書を書いているのです」


 気まずさから逃れられたとばかり、ロットルが立ち上がった。今の会話も報告するのだろうか。


「私のことは、良く書いておいてくれよ。君らの司令部がいい印象を持ってくれるように」


ぬけぬけとラルフが言い放つ。軽く肩を竦め、ロットルは離れて行った。


リール将校アドミラル・リール


この思いもかけぬ僥倖を見逃すわけにはいかない。藩笑いを浮かべて参謀長ロットルを見送っているラルフに俺は声をかけた。


「なんだい、ジウ王子」

「二人きりでお会いしたい」

「二人きりで?」

ラルフが目を剥いた。

「嬉しいお誘いだが、そんなことをしたら、俺はシャルワーヌ将軍に殺されるんじゃ……。ベリル将軍が言うには、君は、」


「『君らも公開処刑を見に行くのか』」


 意味不明なことをつぶやくラルフを遮り、一言、俺は囁いた。初めて彼と会った時に俺が口にした言葉だ。

 ラルフの顔色が変わった。


「どうしてそれを?」

「詳しく説明している時間はありません。僕を信じて、」


「ああ、こんなところに、ジウ王子!」

アソムがやってきた。息を切らしている。

「そろそろお支度をなさらなければ」


「支度? 何の?」

無遠慮にラルフが問う。今の驚愕が嘘だったかのように、彼本来の飄然とした顔に戻っている。


「剣舞のでございます」

 アソムは、島国アンゲルを、野蛮人の国だと思っている。いっそ慇懃無礼な横柄さで返した。

「ささ、参りますぞ」


「ちょっと待って。リール代将、あの、」

このチャンスを逃したくない。

「そういえば、」

一際大きな声をラルフが出した。

「シャルワーヌ将軍が言ってた。今夜俺に、彼のハーレムを解放してくれるんだと。俺は


 ひえびえと冷たい眼差しでラルフをひと睨みし、アソムはその場を立ち去っていく。彼のいる所で、これ以上のことを口にすることはできない。悄然と俺は、彼に続くしかなかった。

 途中で振り返ると、ラルフが真剣な眼差しで俺を見ていた。


「なにをしていらっしゃる。ジウ王子! 早く!」


 仕方なく侍従アソムに続き、俺は与えられた控室に向かった。




 会場に五弦の楽器が奏でる調べが響き渡った。

 聞きなれない旋律に、ざわめいていた軍人たちが、きょとんとする。


 五弦の奏者はアソムだ。しわがれた渋い声で、彼は、ウテナのうたいをうたい始めた。

 王と姫の悲恋物語だ。二人が初めて出会う場面で、俺は座の中央に舞い出る。


 期せずして、歓声が上がった。短い拍手を送る者もいる。人々の視線を十分に集めてから、手に持った剣の鞘を、さっと払った。

 ここにいるのは、全員、兵士だ。それも実戦経験を積んだ、熟練の将校達だ。観客が息を呑むのがわかった。


 滑るようにフロアを渡り、俺は、今宵の賓客、ラルフの前で足を止めた。抜身の剣を、ぴたりと彼の鼻先に据える。

 ウテナにおいて、これには意味があった。客が動じなければ、その客はこの場の主、即ちウテナ王に永遠の忠誠を誓ったと見做される。もし少しでもよけたりのけぞったりしたら、その人は、一夜の客に過ぎない。


 剣を突き付けられ、ラルフは大きく後ろへ身を避けた。剣は、真剣だ。当たり前の反応だと思う。

 それにここはウテナではない。この場の主はシャルワーヌだが、ラルフが彼に永遠の忠誠など誓うわけもない。


 落ち着き払って、俺は剣を引いた。空いている方の片腕を大きく後ろへ引く。この勢いで衣装の襟をずらし、肩から胸にかけて、肌を露出させるのだが……。


「ダメだ!」

誰かが叫んだ。


 ……え?


「脱ぐな!」


 片肌を脱ぐこの場面は、最初の見せ場だった。衣装と剣を上手く扱わなければならず、難易度が高い。

 舞いに集中していた俺は、何が起きたのか、さっぱり理解できなかった。そのまま踊り続ける。


 襟を緩め、肩をわずかに覗かせた時だ。

 突然、目の前が真っ暗になった。頭から布を被せられたのだ。思わず、剣を落としてしまった。

 俺は蒼白になった。

 舞いの最中に、剣を落とすなんて……。


 「来い」


 ごわごわした布越しに、誰かが耳元で囁いた。しかもこの布、なんだか湿っている。

 場は、しんと静まり返っている。いったい何が起きたというのか。


「おやおや。私への最高のもてなしではなかったのですか?」

 皮肉な声は、ラルフ・リールだ。誰かが俺の頭越しに答える。

「貴殿には、別の楽しみを差し上げたろう? それで我慢してくれ」

「ああ、貴方のハーレムね。でも、芸術はまた、別でしょう?」

「堪忍してくれ!」

切羽詰まった声だった。

「芸術がいいなら、おい、ピカール、お前、踊れ」


「ええっ!」

のけぞらんばかりの声が響いた。

「前に、酔っ払って踊ってたじゃないか。あの裸踊りを披露して差し上げろ」


「いや、ジウ王子の剣舞と兵士の裸踊りでは雲泥の差が……」

「すまんな、リール代将コモドール・リール。彼は、ダメなんだ」


 これは、シャルワーヌの声だ。

 普段言葉少ない彼らしく、不器用に「ダメ」を繰り返す。

 ぐい、と引き寄せられた。

 わずかなその香りを察知し、息が詰まりそうになった。


「彼はウテナ王からの大切な預かり物だ。人前でみだりに肌を晒させるわけには、断じていかんのだ!」


 言い終わる前に、有無を言わさぬ勢いで、ぐいぐい引っ張られた。が、剣舞の衣装が邪魔をし、思うように歩けない。


「ジウ王子! ちょっと! 王子をどこへ!」

遠くにアソムの叫び声が聞こえる。


 ほぼ両脚が地についていない状態で、俺は宴席会場から連れ去られた。









【後書き】

※ここでは英語に倣い、海軍将校をアドミラルとします。


陸軍の総督に対し、海軍では提督となります。海賊上がりのラルフが栄えある提督になれるわけもなく、彼は、メドレオン海の、それもタルキア帝国周辺に限定された提督代理です。なので彼は、代将(コモドール)です。呼びかけるときは「コモドール・リール」になります。








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