初めて


 貴族であるエドガルドは、複雑な形に紐を結び、服を身に着けていた。召使がいなければ着替えることさえ難しかろうに、いったいどうやっていたのだろう。


 考える余裕などなかった。この手の紐は、シャルワーヌにもなじみがあった。舌打ちし、布の合わせ目を思い切り左右に引っ張った。あまりの力に、木綿を撚った紐でさえ、ぷちぷちと音を立ててはじけ飛んだ。


 現れた肌は、驚くほど白かった。洞窟の入り口から差し込む昼の光に、ほの白く浮かび上がっている。

 かっと頭が熱くなった。


 男の恐慌は、シャルワーヌの手が下穿きの紐に罹った時に最高潮に達した。

「本気なのか!」


 本気に決まってる。服の上からその部分を掴んで、わからせてやった。

 勃起していた。


「初めてじゃないな」

低い声でシャルワーヌはつぶやいた。

「当たり前だ」

 乱れ、動転しているくせに、男は平然と答えた。

「だが、下になるのは初めてだ。以前、揉めたことがある。俺は最後まで譲らなかった」


 そんなことは言うべきではなかったのだ。

 次の瞬間、最も丈夫な腰ひもが、音を立てて裂けた。ウエストが緩んだ下穿きをずり下げ、シャルワーヌは遮二無二そこを目指した。


 悲鳴が上がった。


「だから下は初めてだと言ったろう! もっと優しく、」

「誰が優しくなどするか。お前の足腰を立てなくするのが目的だ」

「なんだと! これは拷問だったのか!」

「違う。愛だ!」


 それは、無理矢理だった。けれどエドガルドの体の中にいて、泣きたくなるくらいの安堵をシャルワーヌは覚えた。

 エドガルドの目の焦点が失われた。シャルワーヌの下で突き上げられ、彼は甘い嬌声を上げ始めた。


 銃殺隊に号令を掛け、自分の死をコントロールしようとさえした男のあられもない姿を前に、そして彼をそうさせているのが自分だという事実に、シャルワーヌは深い喜びに包まれた。




 「今度こそ、いなくなるなよ」

白い体を抱きしめ、シャルワーヌは言った。

「ここでしっかり養生するんだ。体が元通りになるまで、しっかりと太るがいい」

「こんな目に遭わせておいてか?」

低い声でエドガルドは笑った。一層強く、シャルワーヌは彼を抱きしめた。

「お前を繋ぎ留めておくためだ」

「やり方ってもんがあるだろう」

「これしかなかった」

「……」


 エドガルドは答えなかった。荒い息をついている。


「さっき、お前は言った……」

シャルワーヌはためらった。

「俺が? なんて?」

「初めてじゃないって」

「初めてだぞ。こんなひどい目にあったのは」

 茶化すような声だった。

 思わず、シャルワーヌは深い吐息をついた。

「その前だ。つまり……」


「男とやったのは、初めてじゃない」


 言い澱んでいると、きっぱりとエドガルドが言い放った。寸分のためらいも、予断を許す余地もなかった。


「誰だ、そいつは」


 反射的に尋ねた。過去の関係を質すなんて、自分はひどく恥ずかしいことをしているとわかっていた。だが、どうしようもなかった。


「士官学校の頃の話だよ。相手は同級生で……、攻防の果て、俺が勝った。年齢が2つ、下だったからな。あの年代の2歳差は大きい」


 2歳下の、士官学校の同級生。

 シャルワーヌはしっかり、記憶に刻んだ。


「そいつとは、今でも連絡があるのか?」

 みっともなくも、さらにシャルワーヌは尋ねた。

 答えはあっさりとしたものだった。

「ないよ」

「そうか」

ほっとした。

「だが、もし、再会したら……」

焼けぼっくいに火、ということもありうる。


「絶対にない」

 エドガルドは言い切った。

 暗い目をしていた。

「だってそいつは、革命軍として国に残ったから。君と同じだ、シャルワーヌ。君の方こそ、」


複雑な眼差しになった。プラチナ色の瞳がゆらゆらと揺れている。苛立たし気に彼は続けた。


「いったい何なんだ? あのサリって男は!」

「サリ?」

「君に抱き着いていた」


「ああ、あれ!」

ようやく思い出し、シャルワーヌは笑った。

「あの子は誰にでもああなんだ。特にあの時は、精神的に不安定だったから。俺のことを保護者だと思っているんだよ」


 そんな細かいことをエドガルドが覚えていたのが意外だった。

 ……まさか、嫉妬?

 

 鋼色の瞳でシャルワーヌの様子を窺っていたエドガルドが、慌てた様子で付け加える。

「将校にあるまじき態度だ。あんなが兵を率いているとは、革命軍も先が見えてるな」


 前に、ゲリラ戦にばかり明け暮れて情報を得ることを疎かにしている亡命貴族軍に勝ち目はない、と言われたことへの意趣返しだ。

 今回は自分の負けだな、シャルワーヌは思った。負けではあるが、自分との会話を心に留めていてくれたエドガルドが、彼には嬉しい。


 サリの上官は、ウィスタリア帝国軍仕込みの厳しい人だと、シャルワーヌは話した。


「俺はあの子を、副官に引き抜こうと思っている」

「副官に?」

再び尖った声。


 ……嫉妬だ。間違いない。彼はサリに嫉妬している!

 それはつまり、彼の気持ちが自分に傾いているからで……。


 満ちたりた思いと幸せを感じつつ、シャルワーヌは説明した。

「サリは、事務能力が高いんだ。俺は、文字を書くのが苦手でな」

 低い声でエドガルドは笑い出した。





 苔の生えた洞窟に毛布と寝袋を運び込み、軍の糧食を分け与えた。政府から特別に配給されたワインも、こっそり持ち込んだ。


 にもかかわらず、エドガルドが完全に回復するまでには1ヶ月近くかかった。昼夜を問わず、時間さえ取れればシャルワーヌが抱いたせいだ。


 もちろん、嫌だと言ったら控えるつもりだった。だがエドガルドは、決して彼を拒絶しなかった。シャルワーヌの熱をぶつけられ、回復しかけていた彼の健康は、あっという間に元の状態に戻ってしまう。


 そんな日々が続いていた。


 最終的にエドガルドを解放したのは、皮肉なことに革命政府だった。シャルワーヌの師団に移動命令が出たのだ。


 もちろん、エドガルドを連れて行くことはできない。

 逃げてきた王党派を救助することを、戦友や麾下の兵士達は見て見ぬふりをしてくれる。だが、規律に厳しいリーノ師団の、特に派遣議員が見逃してくれるわけがない。まずいことにエドガルドは、彼らに顔を知られている。


 かといって、洞窟に一人で置いておくには危険すぎた。食料や飲料の調達もままならない。


 掌中の珠ともいうべきエドガルドを、シャルワーヌは解放せざるを得なくなった。



 「ほら。これ」


 明日は移動という夜、シャルワーヌはエドガルドに一枚の紙片を手渡した。

 通行証だった。彼の身分を完全に保証し、革命政府から守るための書類だ。


 差し出されたままさっと一読し、エドガルドは眉を顰めた。


「君の署名が入ってる。もしものことがあったら、巻きぞえを喰うぞ」

「もしものことなんてないさ」


ゆったりとシャルワーヌは答えた。意地悪そうにエドガルドは頭を振った。


「俺が君を裏切ったら?」

「君は俺を裏切らない」


 きっぱりと言い切った。

 うっすらと笑みを浮かべ、エドガルドはシャルワーヌの署名入り証書を受け取った。


「どこかでもう一度、君に会いたい」


 シャルワーヌは言った。我ながら、ひどく甘えた声になってしまった。そういえばエドガルドは、彼より1つ、年上だった。


「そうだな。革命軍とか王党派とか……そんなのが終わったならば」

「終わらせるよ」


シャルワーヌは言った。まるで、その日一番の挨拶のように軽やかに。


「は?」

エドガルドが目をそばだてる。


「俺が終わらせる。再び君と会う為に」


「君とは戦いたくない」

掠れた声で、そこに秘められた思いを悟らせまいとするかのようにエドガルドは告げた。

「俺は君を殺せそうにないから」


「君は俺を殺さないよ」

絶対の自信を持って、シャルワーヌは応じた。







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