脱走
エドガルドとは、すっかりわかり合えたと思った。あまつさえ、彼によって許されたとさえ感じた。
王を奉じず、国に残ったことを。
革命軍として、戦い続けてきたことを。
エドガルドは、ひどく消耗していた。何日もまともな食事を摂っておらず、ろくに眠ってもいないようだった。シャルワーヌは彼に自分の隣にテントを与え、休むように勧めた。
体調が回復したら身元を保証する通行証を発行して、解放するつもりだった。
今までも王党派を、何人もそうやって保護してきた。主に、革命軍の弾圧に身の危険を感じ、ユートパクス国内から逃げてきた貴族達だ。
エドガルドは国外から密入国してきたわけだが、革命政府に追われていることに変わりはない。だったら同じ保護を与えるだけだ。決して特別じゃない。
シャルワーヌは自分に言い聞かせた。
もちろん、こんなことが政府に知れたら大変なことになる。
政府に逆らう者は、中でも軍の将校は、常に疑惑の目に晒されていた。特に国境警備軍では、何代もの総司令官が忠誠を疑われ、処刑されている。
恐怖政治派のロスピは処刑されたが、新政権がどうなるか、わかったものではない。油断はできなかった。
捕まえた王党派を逃がすのは、政府の意に反する行為だ。だが戦友たちは、決してシャルワーヌを咎めることはしなかった。政府から派遣されている議員ですら、中央へ報告することを控えた。
彼らもうんざりしていたのだ。同じユートパクス人を殺すことに。憎しみは何も生まない。同じ民族の争いは、不毛なだけだ。
本当は、エドガルドを自分のテントに休ませたかった。見守っていれば、彼も無理をせず、しっかりと体を休めるだろう。
下心はない。
いや、本当になかったのか?
ともかくシャルワーヌは、エドガルドを、自分のテントに休ませることはしなかった。
それが仇になった。
数日後のことだ。山頂近くを偵察していたシャルワーヌ師団は、北からやってきたリーノ師団と合流した。
「おお、久しぶりだの、シャルワーヌ!」
年配のリーノ師団長は、かつて傭兵としてウィスタリア皇帝に仕えていた。革命の精神に感銘を受け、ユートパクスに戻ってきたという。
ウィスタリア軍は厳しい規律を課すことで有名だ。その習性に倣い、リーノ将軍は麾下の将校、兵士らに対して厳格だった。あまりの厳しさに耐えきれず、軍を辞めてしまう者も多かった。
「ところでお前、失態を演じたな?」
白い眉の下から、リーノがシャルワーヌを見据えている。
「はい?」
思わずシャルワーヌは首を竦めた。
実は、リーノの補佐官サリを勧誘中だった。サリは、とにかく事務処理能力が高かった。中央への報告書や指令書など、師団長にはとかく、雑務が多い。この方面に有能なサリを、なんとか自分の副官に引き抜こうと、あの手この手で、シャルワーヌは画策中だった。
ご多分に漏れず、サリも、リーノの厳しさに辟易していた。もうあと一押し、というところだ。
この密談が、リーノに漏れたのだろうか。
だが、リーノが持ち出したのは、意外な方面だった。
「お前、王党派の亡命貴族に逃げられたろう?」
「……」
シャルワーヌは絶句した。
今、彼が匿っている王党派は、一人しかいない。
「エドガルド・フェリシンとかいう」
逃げた? エドガルドが?
だが、エドガルドとはわかり合えたのではなかったか? 彼は自分を理解してくれたのではなかったか!? その彼が、なぜ?
「安心しろ。俺の兵士がひっ捕らえてやったわい」
「……彼はどこに?」
尋ねる声が掠れた。
「どこ? 処刑なら、サリに任せた。この辺りの傾斜はきついからな。射撃隊と一緒に、山頂の広場へ向かっている」
目の前が真っ暗になった。
処刑? 射撃隊?
リーノはエドガルドを射殺するつもりなのだ。政府から命じられた通りに。
シャルワーヌは大きく息を吸った。ここで取り乱したらダメだ。エドガルドは、本当に殺されてしまう。
「リーノ将軍の射撃隊を煩わせるまでもありません。彼は、私の捕虜です。私の師団で処刑しましょう」
声帯が縮み、思うように声が出ない。それでもなんとか平静を装い、シャルワーヌは申し出た。
「君が?」
リーノは目を丸くした。
「そうしたいのなら、構わんが」
そこで彼は声を潜めた。背後を気にしつつ、シャルワーヌの方へ身を寄せる。
「実は、サリが不安定なんだ。同じユートパクス人を殺すことに耐えられなくなっている。だが、ほら、あいつがいるだろう?」
リーノは顎をしゃくった。
隊列の中ほどに、政府から派遣された議員の姿が見える。将校の裏切りを探り、中央政府に密告するのが彼の役目だ。
「銃殺隊の指揮をサリに、と命じたのは、あの男だ。なんとかサリから引き離してここまで連れてきた。だがここで彼が王党派の処刑に失敗したら、大変なことになる。君が引き受けてくれるのならありがたい」
わざと処刑を失敗させたのだと言いがかりをつけられ、サリ自身、処刑されてしまう可能性がある。
「もちろん。というか、そもそも私がやらなければならない任務でしたから」
密かにシャルワーヌは安堵の息を漏らした。
なんとかなりそうだ。
サリ達銃殺隊と別れてから、小半時が経つとリーノは言った。シャルワーヌは急ぎ、山道を登り始めた。
◇
目隠しを、男は拒んだ。
樫の木の根元に佇んでいる。一切の気負いも悲壮感もなかった。まるで散歩の途中で一休みしているようだ。
こんな勇敢な男を、自分は殺すのか。
サリの心は乱れた。貴族ではないが、裕福な市民階級の出身である彼の実家は、貴族との付き合いも多かった。サリも子どもの頃は、貴族の子どもたちと遊んだりしたものだ。
貴族が悪い人ばかりではないことは知っている。それどころか、思いやり深く、志の高い人が多いということも。なにより彼らは、自分と同じユートパクス人だ。
「君は疲れているようだな。号令は俺が掛けよう」
樫の根元の男が言った。
どこまでも勇敢な男だった。自分の死の号令を、自分で下すなんて!
銃撃隊は、全部で5人いる。誰かが外しても、誰かが彼を仕留めるだろう。失敗はあり得ない。
いやだ、サリは思った。
殺したくない。同じ血の流れる同胞を!
「銃撃用意!」
静かな山頂に、若々しい張りのある声が響き渡った。
さっと、5人の兵士が跪く。
「構え」
かちゃ、と、一斉に撃鉄の起こされる音。
周囲の木立から鳥が飛び立った。
「待て!」
その時、背後の木立から誰かが躍り出てきた。長く伸ばした濃い色の髪、ぼろぼろの外套を羽織っている。もとから艶の悪い顔色は、真っ青だった。
「シャルワーヌ将軍!」
サリは叫んだ。
自分を勧誘してくれている師団長だ。厳しいリーノ将軍の支配から、この身を解放してくれようとしている。
「うえーーーん、シャルワーヌ将軍!」
士官にあるまじき声で泣きながら、サリはその人の胸に飛び込んでいった。
◇
サリが不安定だというのは本当だった。
処刑は自分の師団で引き受けたからと言って、なんとか彼と5人の銃撃兵に山を下らせた。リーノ師団はシャルワーヌの師団と合流し、山の中腹でビバークしている。
彼らの姿が見えなくなると、シャルワーヌは歩き始めた。後ろから、エドガルドがついてくる。さっさと逃げ出せばいいのに、律義なことだと、シャルワーヌは思った。
軍がいる斜面とは反対の斜面に洞窟がある。前年の戦いで見つけた。今回も、兵士や同僚など人と接するのに疲れた時に、シャルワーヌは時折、そこへ身を隠していた。
広々とした洞窟に、エドガルドは驚いたようだった。
「座れ」
シャルワーヌは言った。
自分の足元に、防水布を貼ったクッションが置かれているのを見て、男は目を丸くした。それでも素直に腰を下ろす。
対面にシャルワーヌも座った。
「なぜ逃げた?」
「隙があれば、逃げるに決まってる」
「お前は俺を……俺を、わかってくれたのではなかったか?」
「俺は王に忠誠を誓った。その誓いは破れない」
「お前は……」
引っかかり、声がしゃがれた。
「お前はあくまで、俺の敵だというのか。俺と戦うつもりなのだな?」
「ああ。お前が革命軍の将校である限り」
厳密にいえば、シャルワーヌは、純粋な革命派ではなかった。王と王妃の処刑には、行き過ぎを感じた。
それは、他の革命軍の将校・兵士達も同じだった。王族や貴族、革命政府に逆らう者の処刑。それも、一日に何千人もだ。殺人鬼ででもない限り、あの狂乱の時期を容認できる者などいはしない。
ただ、シャルワーヌは貴族出身だ。殊更に革命派であることをアピールする必要があった。さもなければ、前王の落胤である彼の姉は殺されてしまうだろう。貴族である母も、守りきれないかもしれない。
「どうしても行くというのか? 王党派の仲間の元へ!」
シャルワーヌが行けなかった場所。兄と弟、従兄弟や叔父達のいる……シャルワーヌを決して許さぬ、親族たちの元へ。
「行く」
「ダメだ」
シャルワーヌはエドガルドに襲い掛かった。柔らかい苔の上に押し倒し、その体にのしかかる。
突然の行為に、エドガルドは驚いたようだった。反撃に時間がかかった。
その隙に、シャルワーヌは彼に口づけた。噛みついたとしか思えない、烈しいキスだった。
唖然としたまま彼を受け容れ、次の瞬間、男は激しく抵抗した。両手を使い、本気になってシャルワーヌの額を押し上げた。
「何、何を勘違いしてるんだ!」
勘違いなどではなかった。
シャルワーヌはエドガルドが欲しかった。それはもう、ずっと。出会ったその日から。
勇敢で気高く誇り高い彼。死に臨み、目隠しを拒否し、処刑号令さえ自ら発するという……破天荒な男だ。
そして、彼は、美しかった。疲れ果て、力尽きなんとしている時でさえ、凄絶な色気がある。
「さんざん人を煽っておいて……今更だ!」
「全く心当たりがない。って、おい、止めろ! 人が優しく言っているうちに、止めるんだ!」
後半は、ざらざらした顎に噛みついて黙らせた。
このきれいな男を自分の元に留めておくには、方法はひとつしかないと、シャルワーヌは思った。
自分のものにするのだ。
それも徹底的に抱きつぶして。
彼が動けなくなるまで。
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