2話 僅かな休息

 「調子はどうだ?」


 俺がコーヒーを飲んでいると突然話しかけてきた人物がいた。軍服姿のその男はきつい顔をしており無精髭と目に縦に走っている傷跡が目立つ。


江慈えじ司令官。何か用ですか」

「お前がなんの報告にも来ないからな。俺から出向いてやったというわけだ」


 目の前の男はこの中部戦線前線基地の全権を任されている俺たちの司令官だ。


「暇なんですね」

「馬鹿を言うな。報告も立派な任務の一つだ。それを怠ることは俺が許さん」

「全員が全員わざわざ報告してるってわけじゃないですよね」

「そんなことはない。報告をしてこないのはお前みたいないかれた奴ぐらいだ」


 いかれた奴か。何度もそう言われてきた俺にとっては全く持って心に刺さることはない。


「こんな世界じゃいかれなきゃ生きていけません。地獄ですからね」

「地獄、か。まだ我が国はましなほうだろう。我が国が大戦に参戦して11年しかたっていないんだ。他国では安全に歩ける土地などないと言われているぐらいだからな」

「11年やってまだこれだけってやばいですね。これこそ資源の無駄ですよ」

「引くに引けなくなっているんだろう。我が国は島国ということもあり攻めにくい。そのおかげで資源も他国に比べれば豊富だ。耐えればなんとかなるさ」

「……知りませんでした。江慈司令官がそこまで楽観的な思考の持ち主だとは。いくら島国でも空からの攻撃は防ぎようがありませんし、耐えるっていってもどのくらい耐えればいいのか見当もつかない。司令官が言ったことを他の者たちに言えば軽い暴動が起きますよ」

「……それもそうだな。だが、そう考えたいと思ってしまったんだ。耐えればこの地獄から抜け出せると。これでは司令官失格だな」


 ちらっと司令官の様子を見るがその佇まいはいつもと変りなく堂々としたものだったが、どこか弱気だ。何故だろうか。


「どうなされたんですか。あなたらしもない」

「ま、最後の言葉の一つだと思ってくれ」

「…………」


 最後の言葉の一つ?


「どういう意味ですか」

「先程帝都本部から指令が下った。中部戦線前線基地の者を総動員して敵軍を打ち滅ぼせとのことだ」

「総動員、ですか。ということは……」

「ああ、これには女、子供、老人の全てが含まれ、この基地にいる者全てを指す」

「我々は捨てられたのですか?」

「簡単に纏めてしまえばそういうことだな」

「本部はこの基地がどれだけ重要か理解しているのですか」


 この基地を捨てるということは敵を帝都に近づけることを意味する。それはすなわちこの国が敗北に一歩近づくということだ。

 正気の沙汰とは思えない。


「理解は一応はしているはずだ。本部は軍のトップの集まりだからな。有能な者達で構成されている」

「有能であればこんな作戦は思いつきませんし、たとえ思いついたとしてもそれを通すなんて馬鹿な真似はしません」

「勝算があるのではないか?」


 そう言って俺の方をじっくりと見てくる。


「俺、ですか」

「ああ、単独部隊のお前ならあんな奴ら造作もないだろうってな」

「無茶を言いますね。いくら俺が一国を滅ぼせるほどの力をもっているとしてもそれは精々小国に限った話です」

「小国なら滅ぼせるならできるのではないか。相手はただの軍だ。国ではない」

「無理です。小国を滅ぼすときも条件がうまく噛み合ったらの話ですし、なにより滅ぼせた試しがありません。一国を滅ぼすほどの力を持っているというのはあくまでも噂ですし、単独部隊にもそれぞれ得意分野があります」

「……まあ、殲滅ですが」

「なら、問題ないということなんじゃないか?上もお前がいるからこの作戦を通したんだろう」


 そんなことを言われても無理なものは無理だ。言ったはずだ。

 俺の得意分野は殲滅であると。


「俺の得意分野は殲滅ですよ。つまり、他の者がいると機能しなくなるか巻き込むかの二択です。一緒にいた者が軍の者ならまだ大丈夫です。彼らは機転が利きますから、巻き込まれないように動いてくれます。ですが、それ以外の者たちは邪魔でしかありません。だから、無理なんです。まあ、もう一つ理由がありますが」

「なるほど、殲滅の邪魔になると。この作戦では不用意に戦死者を出すだけだな。……それで、もう一つの理由とは何だ」


 それは至極当然のことだ。敵を殲滅する力がなんの代償もなしに使えるわけがないのだ。


「充電が持ちません」

「充電?」

「はい、エネルギーの方が正しい表現かもしれませんね。敵を殲滅するためにはそれなりのエネルギーがいります。そのエネルギーの溜め方は人それぞれですが俺の場合はコーヒーを飲んだり寝たりすればある程度は回復します」

「では、いけるのではないか?」

「作戦決行日はいつですか?」


 数秒の沈黙が訪れる。


「……明日だ」

「だと思いました。だから無理なんです。俺は今日もかなりのエネルギーを消費しましたので」

「いつもはどうしていたんだ?」

「普段の作戦ならば問題ありません。数が数ですから。ですが、明日は違います。多すぎます。いくら俺でも持ちません」

「……なるほど、な」

「たとえ戦えたとしても全てをやりきるのは厳しいです。力を使い果たした後俺は恐らくその場に倒れます。その後はどうなさるおつもりで。誰か俺を守りながら敵を殲滅できますか?」

「……娘がいる」

ひじりです、か。たしかに彼女も俺と同じ単独部隊です。ですが最悪の選択ですね、親として」


 江慈聖えじひじり。江慈司令官の実の娘にして俺と同じ単独部隊で現在この中部戦線前線基地に配属されている。


「確かに親としては最低だが司令官としては正しい選択だと直感している。どのみち死にに行くのだ。僅かでも生きる可能性が生まれるのであれば娘とて死地に送ろう」


 その顔は俺が今まで見たことがない、優しい我が子の無事を祈る親の顔と冷酷無比な司令官の顔が両立していた。


「まあ、生きる道は生まれますね。でも彼女が得意とするのは治療です」

「ああ、だがそれでも並みの兵士よりは強い。打開してくれるだろう」

「賭け、ですか」

「ああ、司令官としては最悪な行為だな。これだからギャンブルは嫌いだ」

「俺もですよ。上からの指令は決定事項なんですか?」


 俺は確認のため改めて聞く。

 すると帰ってくる返事は当然――


「ああ、これはすでに決定事項だ。何者にも覆すことはできない」


 であるならば、俺も覚悟を決めるとしよう。

 明日がターニングポイントだな。


「分かりました。謹んで拝命いたします」


 俺は立ち上がり司令官に向かって敬礼をする。


「すまんな」

「司令官が謝ることではないかと。なにも悲しいわけではありませんから」

「そうか、

「このことはいつ伝えるおつもりで?」

「今から一時間後だ。他の幹部とも話をしてくる」

「分かりました」


 司令官は用が済んだのか踵を返し他の上官がいるであろうテントへと歩を進める。

 俺は座り直しコーヒーを一口飲む。と、そのとき江慈司令官から去り際に言葉がかけられる。


「コーヒーは貴重だからほどほどにしておけよ」


 司令官は俺の返事を待たずにまた歩みを再開した。

 まあいいか、と思いまた一口飲む。


「やっぱ、苦いな」


 コーヒーの苦さがいつも以上に強く感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦場に英雄はいない 紫山カキ @yosshi411

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ