あしあとを追って

偽物

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仕事をクビにされた。


"お前は冷たすぎる。"


"この仕事に向いてない。"


そう言われた。


昔から私は感情が小さい。


映画を見て強い感動を覚えたり、本気で誰かに恋をしたり、我が子を強く愛したり。


そういう経験がまるでないのだ。


早朝の、まだ薄暗い部屋の中にはテレビの青白い光が揺れている。


適当につけたテレビ番組ではコピー&ペースト症候群について話をしていた。


"機械の親に育てられた子供の感情はとても弱くなってしまう"というもの。


子供の頃の記憶はほとんどないが、まさに私は実験的に機械に育てられ、感情を失ってしまった失敗作の子供なのだ。


一般常識やら知識、人の顔や名前なんかは問題なく記憶できるのだが、感情と強い結びつきのある、思い出や幼い頃の記憶のようなものはほとんど覚えていない。


ただ事実として、自分がこれまでどのような道を辿って生きてきたのかを知っているだけ。


今の夫となぜ結婚したのか、子供にどんな想いでマルという名前をつけたのか、それすらも覚えていないのだ。


でも、それに対して悲しさや寂しさを覚えることもない。


ある意味、病んだこの世の中を生き抜く上ではとんでもなく有用な能力なのかもしれない。


幸いにも、私は顔立ちだけは良く、結婚はできたし、子供もいる。


主人の稼ぎはそれなりに良い方だし、今後生活に困ることはないだろう。


そのうえで、今後私はどうしていこうか。


ふと胸ポケットに入っている写真を取り出した。


大人と子供が写っている。


大人の方は私、子供の方は私の娘。


名前はマル。今年で5歳になる。


この子の子育てに専念するか、新しい就職先を探すか。


この子の今後のためなら貯金はあればあるほどいいとは思う。


それに、私みたいな冷たい人間に育てられたら、子供まで冷たくなってしまいそうだ。


テレビにまた意識を向けると、今度はAIのシンギュラリティの話をしていた。


AIが人間と同じような心を手に入れるケースが最近まれにあるらしい。


ただでさえ能力は圧倒的にAIのほうが高いのに、さらに感情?


ただの私の上位互換。


働いて稼いだお金で、子守りロボットでも買ったほうがよっぽどマシなんじゃないだろうか。


AIに仕事を奪われてしまう人間も増え続けており…


空気の読めないテレビの電源を消すと、テレビの縁で光っていた小さな緑色のLEDランプがゆっくり消えていった。


…またクビになるのがオチか。


そんな暗い考えをブツブツと一人脳に巡らせていると、気づかぬうちに外は明るくなっていた。


時計の針はすでに8:00を指していた。


「マル、そろそろ起きなさい、もう保育園に行く時間よ。」


呼んでからしばらく待ったが、返事は無い。


「マル?」


不安になり、子供部屋へ様子を見に行くことにした。


明るい日差しの差し込む部屋。


ベットの方に目線を送る。


そこにはめくれた毛布があるだけで、マルの姿は見当たらなかった。


「マル?」


返事は返ってこない。


様子がおかしい。家中名前を呼びながら探し回ったがどこにもマルの姿は無い。


家を勝手に出てしまったのだろうか…?


ウチは防犯設備はかなり高い方だ。


誘拐はとても考えられない。


ならどこへ行ってしまったのだろう…


事態は急を要する。


「…探しに行こう。」


私は玄関から飛び出した。



もしマルがどこかへ行くとしたらどこを目指すだろうか。


マルが好きな場所…公園?


いつもよく遊びに連れて行く近所の公園。


あそこにいるのかもしれない。


公園に着くと、まだ朝の8:00を過ぎたばかりなのもあってほとんど人はいなかった。


小鳥がさえずるその公園は、暖かい日差しに包まれている。


鮮明には思い出せないマルとの記憶を辿る。


光景がぼんやりと見える。


明るい日差しに照らされた少女が公園を駆け回る。


でも、どんな表情をしていたのかは思い出せない。


…よくすべり台で遊んでいたのを思い出した。


滑り台の方へ歩いていくがやはりマルの姿そこに無かった。


公園の端の方に目をやると、ベンチにスーツ姿で座る暗い表情の男がいた。


「あの、すみません。ココらへんで5歳ぐらいの女の子を見ませんでしたか?」


俯いていた男はこちらに目を送ると、チッと舌打ちをして冷たく答えた。


「んなもん知らねえよ。知ってたとしてもお前らに答える義務なんかねぇ。」


「そうですか。ありがとうございました。」


異常なまでに態度の悪い男。


なにかと巻き込まれると厄介なので淡々と感謝だけ告げ、公園を後にした。


公園にはいなかった、なら一体どこにいるんだろうか。


思い浮かんだのはマルの好きな果物であるオレンジだった。


近所の果物屋へ駆けた。



店内は少し暗く、天井から下がるオレンジ色の弱めの光は一昔前のアンティークショップを彷彿とさせる。


「店主さん、ここにオレンジが好きな5歳の女の子が来たりしませんでしたか?」


レジカウンターで読書をしていた店主に話しかけると突然話しかけられたせいか少しビクッと体を跳ねさせた。


「5歳の女の子…?来てないねぇ、迷子かい?朝からあなたも大変だねぇ。」


「そうなんです。もし見かけたら連絡していただけますか?」


わかったわ、と店主が答えるとまた店主は読書に戻った。


…他にいるとしたらどこだろう。


……そういえばあの子はアイスクリームが好きなんだ。なら、アイスクリーム屋に行ってしまったのかもしれない。


急がねば。あの子に何か起きてしまう前に。



アイスクリーム屋は流石に朝の9時ということもあってかなり空いていた。


店内に入るとロボットの店員がカウンターの前に立っていた。


いらっしゃいませ。という挨拶は冷たい機械音声ではあるものの、自然な発音やイントネーションのおかげで逆に可愛げや優しさを感じる。


ロボットのこめかみでは、ロボットと人間を区別するために付けることを義務付けられている小さなLEDライトが緑色に光っている。


「いらっしゃいませ。ご注文はいかがなさいますか?」


「ごめんなさい。今日はアイスクリームはいらないの。5歳くらいの女の子を見なかった?アイスクリームが好きな子で、もしかしたらここに来ているのかもと思ったんだけど…」


「すみません。今日はまだ5歳くらいのお客様は一人も来ておりません。ご協力できずすみません。」


「そう…」


静かに私は店を後にした。



外へ出て、次はどこを探そうかと考えようとした。


…が、その時異変に気がついた。


街の様子がおかしい。


木や草の揺れ、忙しなく飛び交う運搬用ドローン、騒がしく走る大型トラックとその排気ガスの嫌な臭い、色鮮やかな花々に、暖かい太陽の日差し。


…いや、これは街がおかしいんじゃない。


私が変わっているんだ。


私は今、焦っている。困っている。恐れている。


私の母性が、マルがいなくなってしまうことを、心から恐れている。


感情。


空を見た。


どこまでも広がる青い空。


ゆっくりと流れていく白い雲。


世界はこんなにも…


「…って違う!今はマルを探さないと!」


気づくと私は駆け出していた。


目的地もなくただマルを探して街中を走り回った。


「マル!マル!どこにいるの!」


一生懸命名前を叫び、必死に走り回った。


ある一つの車が目に止まった。


黒色のセダン、女が運転している。


助手席を見た。


「マル…!」


胸ポケットの写真を取り出した。


あれはマルで間違いない。


「マル!!!」


走っていく車を必死に追いかけた。


だが、流石に車には追いつけず、ついに車を見失ってしまった。


「マルは途中で攫われてしまっていたんだわ…!早く助けを呼ばないと!!で…でも…誰に助けを…そうだ…夫に助けてもらおう…!」


すぐに私は家へ向かった。



ガチャッ!!と大きな音を立て家の玄関を開くと、そこには朝ごはんを食べている夫のラグロがいた。


「おや、アイおかえり。」


時計を見ると針はすでに10時を指そうとしていた。


「マルが…!!マルが攫われているの!!助けに行かないと!!!」


「マル…?えーと…誰だったかな…?」


冗談のつもりなんだろうか、緊急事態というのに!


「…何言ってるの?!?!あなたと私の子供でしょ?!?!それでも父親なの?!?!」


「…?何を言ってるんだ?」


…何か…様子がおかしい?


「…この子よ!娘のマル!!」


そう言って胸ポケットに入れていた写真を見せた。


「えーと…どの子がマルかな…?」


「何言ってるの?!子供の方に決まってるでしょ?!?!」


さらに声を荒げた。私はこんなにも焦っているのにふざけているのか?


「いや…子供がたくさん写ってるから、どの子がマルなのかな?」


「…は?」


写真を見た。


そこには私とマル以外にもさらに十数人の子どもたちが写っていた。


「…え?さっきまでは…こんな子どもたちは写ってなかったのに…」


「それにその写真はこないだまで君が勤めていた保育園で撮った集合写真だろ?」


今まで経験したことのない感情。だがそれが動揺だということはすぐにわかった。


「いや…でも…この子の好きなものを知ってるの…少しだけだけど思い出もある…」


「思い出?」


「公園に…そう、公園によく遊びに行ってたの!!グリーン公園よ!!!」


「グリーン公園?それこそ保育園のお散歩でよく行くところじゃないか。」


曖昧だった記憶。ぼやけた光が消えていく。


「あ…アイスクリームが好きなの…」


ふと手元の写真にまた目線を落とした。


マルは…アイスクリーム柄の服を着ている。


「え…」


思わず写真を落としてしまった。


「違う…違う違う違う…これは偶然…そう…そうよ…!子供部屋だってあるじゃない!ほら…あそこ…」


指を指した先にある部屋の扉にはstorage room 物置部屋と書かれた看板が下がっていた。


扉を開くと中は暗く、ホコリを被ったベッドがそこにあった。


「それに僕達は結婚なんか…」


ラグロが言い切る前にアイは既に玄関を飛び出していた。


…違う…違う違う違う!!マルは私の子供なの!!!


マルは一体どこに…!!!


そうだ、一人で保育園に行ってしまったんだわ!!!!そうに違いない!!!


全力疾走で私は保育園に向かった。


名前はオレンジ保育園。


"オレンジが好きな女の子"


「クソッ…!」


保育園の柵を飛び越え、マルを探した。


中庭へ出ると、砂場に子供の影が見えた。


「…マル?」


名前を呼ぶと、影はこちらに振り返った。


「マル…!!ここにいたのね…!勝手に保育園に来ちゃだめじゃないの!!」


マルに近づこうとすると保育園の中から先生が出てきた。


「え…アイ先生…?なぜここに…?」


…無視した。


「…こんなところいちゃ駄目だわ、マル。早くおかあさんといっしょに帰りましょう。」


マルの腕を掴んだ。


「…おい!その子の手を離せ!」


銃を構えている。大袈裟だ。


でもこっちに撃たれる筋合いはない。


「あなたたちにうちの子供は任せられません。もう辞めさせてもらいます。」


そう言って、マルの腕を引っ張り歩こうとした。


「何を言ってるんだ?!お前はその子の親じゃない!…こないだクビにしたのを根に持ってるのか…!」


無視して歩き出す。


「それでは失礼します。」


保育園の門に手をかけた瞬間だった。


住宅街に銃声が響く。


電線に溜まっていたカラスが一斉に羽ばたいていった。


気がつくと、私は地面に倒れていた。


痛みは…感じない。


「撃たれた…の…?」


マルの方を見た。泣いているが、怪我は無さそうだ。


「…マル…マル…大丈夫よ…お母さんがあなたを守るから…大丈夫…大丈夫よ…」


私の目の前に誰かの気配を感じる。


多分私を撃った先生だろう。


きっとさぞ後悔していることだろう。私に泣き言でも言うのだろうか。


「…だからAIには保育なんてできないと言ったんだ。」


そう口を開いた。


…え?


……私が、AI…?


………あ。


考えると、おかしなことばかりだった。



私は、朝の8:00から10:00まで全力疾走し続けていたんだ。



いろんな本物の記憶だと思ってたものも全部私が都合よく勝手に書き換えた幻覚。



"AIに仕事を奪われてしまう人間も増え続けており…"


"んなもん知らねえよ。知ってたとしてもお前らに答える義務なんかねぇ。"


公園の男は、AIのせいで失業してたんだ。


私がAIだったから、あんな態度だったんだ。



果物屋の店主も、急にロボットに話しかけると思ってなかったから、あんな素振りを見せたんだ。



じゃあラグロは…?


…そうか。


……彼が私の開発者だ。



全て思い出した。


私の名前はAIアイ、試験的に作られた子守り用AIロボット。


保育園をクビにされ、存在意義が消えたせいでエラーを起こしたんだ。



マルとの記憶を隠していた逆光は消え、友達と楽しそうに遊ぶマルの笑顔が見えた。



「それでも…私は…あなたの…」



乱れた髪の隙間で光っていたLEDランプは、ゆっくりと消えていった。


倒れたロボットの横で泣いていた少女は泣きながら先生のもとへ駆けていった。

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