終、『台風一過は別れの挨拶』その3
「――君と同じ、十七歳の頃にね」
東京国際空港国際線旅客ターミナル。
トランクの類を預けて身軽になった転法輪は、見送りに来た星見に話を切り出した。
「当時僕は名家である転法輪家の嫡男の名に恥じぬよう日夜神秘を研鑽する、典型的な魔法使いの家で育ったドラ息子だった。当然魔法が使えない連中を蔑んでいたし、クラスでどんなに浮こうとも馬耳東風でやり過ごす碌でもない奴だった」
「大して、今と変わんねぇじゃん」
「それがね、ある日突然変わった」
タマの耳を引っ張りながら顔色一つ変えず、転法輪は語る。
「学校から帰宅したら、普段僕を出迎えてくれる両親がそれぞれ犬と猫に変わっていたのさ。最初は敵対する魔法使いの仕業かと思った。呪いで両親を動物に変えたのではないか、とね。しかし冷静になって考えてみると、それだけでは説明の付かない思考の穴が僕の中に幾つかあってね。それらを繋ぎ合わせて、僕は一つの結論に辿り着いた」
不安げにこちらを見つめる星見 恵那。
普段の長髪に混じる不揃いな三つ編みが、警戒した猫の尻尾のように張り詰める。
一拍間を置き、転法輪は言った。
「最初から、両親は犬と猫だったんだよ。僕だけが気付かなかっただけで、周りはみんな知っていた。マーフィー・マーが僕のことを
肩を竦めて戯けてみせるが、その眼と口が渇いていたことを星見は見逃さなかった。
「更に碌でもない事に、転法輪なんて家は何処にも存在しなかった。当然、魔法使いの名家でもない。それを調べてくれた人の見立てでは、悪意を持った魔法使いが僕を使って何か大がかりな実験をしていたらしいが、そんな事は当の僕にとってはどうでもいい事だった。家族と矜持、二つを一瞬にして打ち砕かれたんだから。我ながらよくもまあ、自殺しなかったと思うよ。尤もその後は、適当に外国を放浪して死に場所を探していたけれどね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そういう訳で、僕は誰とも繋がっていない存在となった。この世界に、僕はたった独り。僕がどんな手段を執っても遺産を相続させる事に拘るのは、別に仕事に対する誇りや使命感じゃあないのさ。繋がっているのが、ちょっとばかり羨ましいんだ」
そう語る転法輪の貌は、今まで見た事もないような複雑な貌であった。
端から見ればそれは柔和な貌であったが、よくよく凝らすと取り繕って綻びが生じている。手入れを怠り傷だらけの能面のような、そういう貌であった。
「これが君の知りたがっていた、僕の正体だ。自分が何者かさえよく分からない、生きながら死んだ木偶人形。よく迷える魂は四ツ辻の迷路を彷徨っていると言うけれど、僕は正にそれ。あの日から迷子なんだよ、ずっとね」
そんな転法輪に対し、星見はどんな言葉を投げ掛けていいのか分からない。
優しい言葉は毒になる。
哀れみは拷問。
それをよく知る彼女だからこそ、言葉が紡げず口籠もる。
「ちなみに転法輪ってのはね、仏教用語で説法を意味すると同時に、破邪を打ち砕く聖なる武器の
「・・・・・・どうして、いつも魔法を使って戦わないの?」
辛うじて絞り出した星見の問いに対し、饒舌であった転法輪の口がぴたりと閉じる。
一拍間を置いて、遠くに見える愉しげに談笑する親子に視線を向けた。
繋がっている事が、羨ましい。
先程の言葉が、じわりと星見 恵那の胸を蝕んだ。
「持っている物がね、もう魔法しかないんだよ」
転法輪は後頭部を掻きながら哀しげな表情で笑った。
「そんな大事な宝物をたかが人殺しの手段に使ってしまえば、今度こそ僕は何もかもを亡くしてしまう。信念とかじゃなくて、怖いのさ。箒で空も飛べないくらいにね」
「そう――」
「けじめだと思ってね。
ああ・・・・・・この人は、と星見 恵那は思う。
十七歳のまま停まって迷っているのだ、転法輪 循という人間は。
達観している大人の顔は仮面で、その奥底は少年のまま泣いている。故に歪で、危なっかしく、触れたら霧散しそうな儚さを孕んでいた。
以前、星見 恵那はひょっとしたら転法輪 循は魔法が嫌いなのではないかと考えた。今なら、それは違うと確信する。
あの日、空中遊園地であんな風に祖父を語った彼が、魔法を嫌う訳がない。
しかし、それは呪いと紙一重。彼の背負う、重い荷物の一つ。
事実、あの空中遊園地で己の命が危うくなった時さえ、転法輪 循は全く魔法を使えなかった。
瞬く間に建造物を修復し、沢山の花火を打ち上げる程の力を持つ彼が。
神聖視するが故に、重い枷に捕らわれる。
それは転法輪 循最大の弱点であり、また世間から逸脱した彼に僅かに残された人間らしさのようでもあった。
計算でやっていたなら、まだ許せる。
こういう自覚のない不意打ちが、一番腹が立つんだ。
「まあ謹慎と言っても、本社のあるノッティンガムだから。ネット環境も整ってるし、タマが拗ねることもないだろう」
「おう、最高だぜノッティンガム。素晴らしきかな、ミニチュアの楽園。あとオイラはタマじゃねぇって言ってんだろう」
「せっかく見送りに来てくれたのに、とんでもなく重い話をして済まなかったね。じゃあ、息災で」
「わたしもッ!」
だから。
踵を返そうとした転法輪を星見は大声で呼び止めた。その声は本人の予想外に大きく、往来を行き交う人々が振り返る。
「わたしも遺産を相続したのだから、魔法使いになるわ! そうすればきっと――」
「相続したからって、魔法使いになる義務はないんだよ」
星見の言葉をやんわりと制し、転法輪は言った。
「幾ら離れていたからといって、君の置かれている境遇はノルベルト・クナイフェルの耳にも届いていた筈だ。それでも君を引き取らなかったのは、何も家の問題だけではない。魔法使いになるということは、真っ当な生活を送ることを放棄する事を意味する。背負わなくてもいい罪と罰を背負い、架せられなくてもいい
「でも、貴方は繋がれって・・・・・・」
そういうのじゃあない。
正論なんて、聞きたくないんだ。
中身は子供のくせに、大人ぶるな。
「後継者になる事だけが、繋がることじゃあないよ。初めて逢った時、君は言ったろ? 自分の葬式の為にコツコツお金を貯めるのは馬鹿馬鹿しいって。違うんだよ、自分の為じゃあないんだ。遺された人の為に、お金を貯めていたんだよ。葬式に展墓。遺された人達が繋がっている事を形として実感する為に、遺産というモノは存在するんだ。相続した魔法はきっかけに過ぎない。あの遊園地で感じたノルベルト・クナイフェルの想いを君が僅かでも繋いでいけば、それでいいんだ」
「ねぇ――」
距離を縮めるように、一足飛び。
履き慣れないヒールにバランスを崩しながら、星見は転法輪へ顔を近づけた。
「貴方の想いをわたしが繋いでいったら、それは貴方も繋がっていることになるんじゃない?」
予想外の反応だった。
赤面するか、呆れられると思っていた。
そんなに子供が色気づくなと、諭されるんじゃあないかと震えていた。
「それは・・・・・・ああ、気付かなかったな――――」
本当に思い至らなかったようで、転法輪は目を丸くする。
僅かな沈黙の後、彼は少し頬を緩めて安堵するように息を吐いた。それは、登山客が荷物を下ろして一時の疲れを癒やす貌によく似ていた。
星見は、安堵する転法輪を観察する。
ずっと、背負って歩いてきたのだろう。未熟な子供の心のまま、疲れ切った大人の軀で、杖も水筒も持たず。その様子がとても切なくて、どうしようもなく愛おしくなった。
「人には偉そうに宣うのに、自分のことは全く気付けないのね」
こちらの感情を悟られないよう、胸の痛みを押し込めてわざと棘のある口調で星見は言う。
「仕方がない。姿を映す鏡だって左右反転しているし、幽体離脱でもしない限り自分で自分を見つめるのはとても難しいんだ。だから皆、軀が魂を離れる死に際でしか、自分の事に気付けない」
「そういう所が、偉そうなのよ」
「それは性分だから、仕方がない」
苦笑し、転法輪は自分の右手を星見の頭へ乗せた。
やっぱり、子供なんだ。わたしは。
「魔法使いになろうがならなかろうが、それは全て君の人生だ。性急に決めないで、色んな世界を見るといい。それでまだ魔法使いになりたいのなら、僕はそれを止めやしないよ。けれどもそれが君が君を
「馬鹿」
短く、低い声で星見は言った。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿」
淡々と言葉を繰り返す度、強くなる星見の声。
最後の言葉を言い終える頃には、転法輪の真新しいトレンチコートを掴んでいた。
「分かっているくせに、知っている癖に、そうやってはぐらかして煙に巻く。言えばいいじゃない、子供には興味ないって。腹が立つのよ、そういうの」
トレンチコートを握る小さな手が、言葉を一つ呟く毎に小刻みに震える。
「分かんないの、わたしだって。馬鹿馬鹿しいと思っていたのに、なに発情してんだって蔑んでいたのに、いざ自分の立場になったらどうしたらいいか分からない。もしかしたら刷り込みかもしれない、あの日救って貰ったから。でも、それが本当か分からない。堂々巡り。そういうのを含めて腹が立つのよ、とても」
語る薄い唇にはリップが引かれ、耳に付けた小さなシルバーのイヤリングが揺れていた。
「好きなの、どうしようもなく。だから一緒に居たいし、あの日のように遊びたい。貴方がとても重い物を背負っているのであれば、それを少しは持ってあげたい。貴方にどう見られるか気になるし、どう見られたいか気にしてる。今だって、馬鹿女みたいな計算が頭の中を巡っている。だから魔法使いになることも苦にならないし、それがわたしの時間を留める行為だとしても全然後悔なんてない」
言葉の濁流は力となって、星見 恵那の口を通して荒れ狂う。
「先日貴方が言ったように、理性と倫理の牢獄をぶっ壊してみた。感情の爆発が、魔法の本質なんでしょ? もう無理して敬語なんて使ってやるもんか、年が離れているからって臆するもんか。周囲や空気なんて、どうだっていい。好きだって気持ちが貴方にこれで伝わるのならば、何遍だって言い続けてやる。好きなんだ、星見 恵那というわたしは。転法輪 循という男のことを!」
「・・・・・・おい」
唐突に、今まで静観していたタマが口を開く。
「お前、そろそろ腹括った方がいいんじゃあねぇの? コレ、そのままにしておくにはヤベェやつだぜ。念の為に言っておくと、彼処に居るご婦人方の視線が痛いとか通報とか、そういうレベルは突き抜けてるからな。天元突破ぐらい」
「・・・・・・そうだな」
頷き、転法輪は星見の頭から右手を退け、目を逸らすことなくしっかりと星見へ視線を向けた。
「君の気持ちは、とても嬉しい」
「前置きはいいッ! イエス・オア・ノー!!」
「い、イエス。好きです」
「お前、本当に情けねぇな・・・・・・」
星見の迫力に気圧される転法輪の肩に乗ったまま、タマががっくりと肩を落とす。
「・・・・・・けれどね、だからといって君が僕の色々を背負って留まるのであれば、僕は自ら身を引くよ。僕は君の枷にはなりたくないからね。例え君がそれでも構わないと言っても、僕の矜持がそれを許さない」
「面倒くさい人」
「これでも魔法使いだからね、一応」
苦笑し、人差し指で星見の涙を拭う。
そこで初めて、彼女は自分が涙を浮かべていることを知った。
「本当に嬉しかったんだよ、僕は。さっき君に繋がっていると言って貰えて、あの日に停まった時間が今ようやく動き出したんだ。僕が君を救ったっていうけれど、僕は君に何もしていない。反対に君が救い出したんだ。たった今、ね。出口のない永遠に続く四ツ辻の迷路で、君の言葉が一里塚のように道標になってくれたのさ。ありがとう」
転法輪は微笑み、踵を鳴らす。
「だから僕は、前に進もうと思う。もう、迷うことも停まることもない。君はどうする? 世界は面白いよ、恵那。放浪してきた僕が言うんだ、間違いない」
「死に場所を探していたくせに」
自分で涙を払い、星見は笑った。
「でもいいな、それ。世界を巡るには、その前に英語が必要ね。他にも、勉強しなければいけないことが沢山。困ったな、あんな高校すぐ辞めようと思っていたのに」
それが終わったら、と星見は転法輪の胸の中へ飛び込んだ。
近くでブタ猫が下卑た笑みを浮かべている。構うものか、勝手に野次を飛ばしていろ。
「必ず、循の元へ行く。今度はわたしから、会いに行く。世界は、二人で見たいんだ。その方がずっと愉しいと思うから」
映画で見たように背を伸ばして両腕を首に回し、星見は口付けをする。
それは幼さを含んだ
「ああ、待ってる。簡単だよ、追い付くのは。僕はちょっと先にいるだけだから」
「別に、そう焦ることはねぇぜ。ゆっくり自分のペースで、歩いてくればいい。コイツは謹慎の常習犯ではあるが、クビになる事は絶対ねぇ。今回だってコイツは手元に置かないと何するかヤベェってんで、本社で謹慎になったんだ。コイツをクビにして野放しにするってのは、文字通り戦争の猟犬を解き放つ事だからな。魔法が表に出ることを厭う埋葬協会が、そんな愚挙を起こす事はねぇ」
それより、とタマは気持ちの悪い貌を星見へ向ける。
「オイラにはキスとかねぇの? あ、おっぱいでもいいぜ。くれよおっぱい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
タマを見る穿つような星見 恵那の視線には、様々なものが渦巻いていた。
それは怨念であり情念であり、有り体に云えば殺意であった。
「ふふん、いつまでもオイラがビビると思ったら大間違いだ! おっぱいを愛でるは、抗えぬ
「アンタにはコレで十分よ、ブタ猫!」
どさくさに紛れて頬ずりしながら胸元へ飛び込むタマを引き剥がし、星見はその顔面へ緑色の布地を叩き付ける。
それは一見ハンカチのようであったが、広げてみると腕を通す小さな袖があり、前を止めるボタンが縫い付けられていた。
「初めて見た時から、」
「好きでした」
「殺すぞ」
「・・・・・・はい」
両耳が垂れる。
その名状しがたい殺気に、流石の破廉恥猫も押し黙った。
「寒そうな格好だな、と思ったのよ。裸の王様みたいだって。だから餞別代わりに外套を作ってみたの、下手糞だけれど。厭なら捨てて良いわ」
「こんな素晴らしい贈り物、捨てたら
外套に袖を通し、タマは裾を翻す。それは丁度、転法輪の仕草によく似ていた。
「一度やってみたかったんだよ、コレ。コイツだけが格好付けてるのは腹が立つからな」
「良かったじゃあないか、タマ」
「だから、タマって呼ぶんじゃねぇ」
「・・・・・・じゃあ、そろそろ行くよ。名残惜しいけどね」
抗議するタマを肩に乗せて、転法輪 循は踵を返す。
それがあまりにも自然な仕草だったので、星見 恵那は余計に孤独を感じた。
本当に、行ってしまう。
自分を置いて、遠い異国に。
どうして魔法使いは皆、わたしを置いて行ってしまうのだろう。
一筋の不安が、星見の頬をヒリヒリと通り過ぎる。
今朝見た、あの夢のせいだ。
「――ああ、言い忘れていた」
わざとらしく歩みを止め、転法輪 循は振り返る。
「謹慎でノッティンガムまで行くけどさ、あくまでも僕は日本支社の社員なんだ。名刺にも、ちゃんと書いてあるだろう?」
「それって――」
「さあ、どういうことでしょう?」
悪戯っぽく微笑むと、転法輪は手を振って悠々と消えていく。
まるでショーを終えたマジシャンのように。
不思議と、もう孤独は感じない。
今朝の悪夢は、白むように消えていく。
ああ――――本当に、魔法使いだったんだ
外套の代わりにトレンチコートを身に纏い、杖の代わりに銃を持つ風変わりな魔法使い。香草の代わりに消煙が漂い、地面へ魔法円の代わりに銃痕を刻む人。
しかし彼は、誰よりも魔法使い然としていた。
「今度会うときまでに、箒で空を飛ぶ練習ぐらいしなさいよ。魔法使いが飛行機なんて、格好悪いでしょう」
くすりと笑い、星見 恵那も踵を返す。
足取りが不思議と軽い。
きっと、魔法使いが掛けた魔法の所為だ。
Tale of ErraticWarlock & LecherousCat is The END !!
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