何でも教えてくれる宇井木さんVS絶対に答えられない質問をする鉄我くん

etc

第1話

「説明しよう! わたくし宇井木は、みんなの悩み事に必ず答えるかしこいかわいい女子高生なのだ! 分からない所があったらよろしくねっ」


 ニコッとスマイルして席につく。静まる教室にトコッと椅子の鳴る軽い音。喋りだすまで、大きな丸メガネでお下げの地味子って印象だったのに。

 高校2年生のクラス替え。とんだ変人と同級生になった。しかもこの僕を差し置いて、何でも答えるだなんて言うとは、いやはや。

 自己紹介の順番が回ってくる。わざと咳払いして注目を集める。


「どうも、僕は学年1位の鉄我てつがだ。何でも答えるとか言う子がいたが、まずはこの学年1位の僕に訊くと良い!」


 メガネのツルをスチャッ!として席につく。静まる教室にガタッと鳴る椅子の音。あれっ、なんだか教室の空気がやけに冷たい。

 次に学級委員長を決めることになったので、すかさず挙手をする。一年時は首席で入学して入学の挨拶も任されたから、すんなり委員長になった。

 今回もそうだろうと思って、先生の指名を待たずに立ち上がり、いざ登壇というところで。


「はいっ! わたくし宇井木も立候補しよう!」


 予想外の人物が現れた。これから選手宣誓でもしそうな美しい挙手だ。

 そうして投票となった。投票方法は挙手形式だ。当然、選ばれるのは学年1位の僕、鉄我に決まっている。

 多数決の結果、教室の全員が宇井木さんの名前で挙手し、先生は鉄我という名を呼びもしなかった。


 ううっ、なぜだ!?



 ◆



 それから1ヶ月。

 高2になって数学は一段と難しくなったし、選択科目の物理や生物は覚えることが増えて大変になった。

 もうすぐ中間テストだと言うのに、誰も聞きに来ない。それどころか、宇井木さんの周りには今日も人がいる。挙句の果てに人間Wikipediaとあだ名まで付いている。


 甚だ気に食わない。その枠は元は僕のモノだったのに。ストレスで親指の爪がギザギザになる程だ。

 ……だが、チャンスはまだある。

 宇井木さんの周りに出来た人集りを分け、机にドンと手を置く。


「急にどうしたのだ、鉄我くん?」


 おどろいた顔をコチラに向ける。

 近くで見ると整った顔をしているし、黒髪はツヤツヤだ。

 いや、だからなんだ。


「おい宇井木。のんきに居られるのも今だけだ。GW明けの中間テストで、僕とお前、どちらがこの教室の相談役に相応しいか決めようじゃないか」


「なるほど、順位で勝負であるかっ。うむっ、面白い! わたくしは正々堂々、勝負を受けようぞ!」


 宇井木さんはスポーツマンシップに則ったような爽やかな握手を要求してきた。

 だが、そんなものは無視する。

 これはどちらの格が上なのか決める戦いだからだ。


「勝負しようってわけじゃない。せいぜい今を謳歌するがいいさ。僕が分からせてやる」


 今に見てろよ、と去り際に目をやった。

 宇井木さんは「がんばろう!」とガッツポーズを送ってきた。バカか。目にもの見せてやる。



 ◆



 中間テストが終了し、廊下に学年順位が張り出された。

 このGWすべてを勉強に費やし、当然のごとく獲得したのは栄えある「学年1位」の座。

 だったのだが。


「どうしてっ! 宇井木さんも1位なんだよ!!」


 人が集まる廊下で膝から崩れ落ちた。

 なぜか周りの人たちに距離を取られ、冷たい視線を浴びせられる。

 一方、目の前で周囲のあたたかい称賛を受ける宇井木さん。


 チクショー! どこで差が開いたんだっ!?


 宇井木さんがコチラに気づいて近づいてくる。

 盛り上がっていた生徒たちも声を潜め、僕と宇井木さんを囲む円形の人壁が出来た。


「ははっ、憐れみか? それとも見下しに来たのか?」


「鉄我くん、どうしたのだ? 共に1位だったではないか!」


 バシッと肩を叩かれる。

 宇井木さんは見下しもしないし、憐れみもしない。

 それどころか一緒に喜びを分かち合おうとしてくるなんて。


「や、やめろ。僕はお前を出し抜こうとした立場。一緒に喜ぶなどできるわけないだろう」


「わたくしは感謝しているのだ。鉄我くんが競争相手だったから、いつもより力が出た! ハハハッ、ありがとうなのだ!」


「それは……」


 僕もそうだった。過去最高の点数を取った。あれだけ授業も勉強も難しかったのに、負けられない一心で自己ベストを更新できた。


「ん!」


 宇井木さんは手を差し出す。むろん、握手だ。

 僕は躊躇なくその手を握り返した。


 僕らを取り囲んでいた生徒たちから「オオッ」と歓声が上がった。

 もう視線に冷たさを感じなくなっていた。



 ◆



 放課後、人が居なくなった廊下で、順位表を仰ぎ見る。

 昼間は宇井木さんの勢いに押されて一時的に納得したが、結局まだ僕はクラスの相談役を彼女に取られたままだ。

 どうしたものか。


 教室に戻ると、宇井木さんと、彼女にテストの解答で質問する生徒が残っていた。

 あの場所は僕のものだったのに。やっぱり悔しい。


「説明しよう! 数学における漸化式は、各項がそれ以前の項の関数として定まるという意味で数列を再帰的に定める等式である!」


 どうやら数Bの数列問題について解説しているようだ。

 話し方がいちいち全力なので、聞く生徒側も「はい!」と合いの手を入れていた。


 1人目の質問が終わると、さらに他の生徒も質問を始める。


「説明しよう! 校則違反にならない髪型の中で友人間で被らないようにするなら、まず前髪からアレンジしていくのが効率的である!」


 いやいや、地味メガネ女子で、黒髪おさげに訊く質問でもなかろうに。質問者の女子は「分かってるけど前髪が一番むずかしいんだよお!」と喚いていた。

 このように彼女は決して解答が上手いわけではない。

 だが、どんな質問でも答えてくれるから、クラスメイトは彼女を「人間Wikipedia」と呼ぶ。


 もし宇井木さんが答えられない質問をしたら、彼女の評価はどう変わるのだろう。


「ねえ、宇井木さんはなんでも答えてくれるのか?」


「そうだな! 答えられることなら、できるかぎり答えよう!」


 腕組みしてあっさりと解答してくれた。


「わかった。それなら毎日、宇井木さんにも答えられない質問を用意してくるよ」


「うむ! ……うむ? なぜなのだ?」


 一瞬、理解したような返事をしたが、神妙な面持ちになって小動物みたいに首をかしげた。

 頭いいのにアホっぽい。そういうところが可愛いと男子の間では評判だ。

 つまり、ガリ勉の僕とは大違いってこと。一目見た時は同類だと思ったのに、裏切られた気分だ。

 だから僕は宇井木さんの下位互換にはなりたくない。


「僕は宇井木さんのことが……」


「わ、わたくしのことが?」


「鼻持ちならないんだよ。みんなの頼れるクラスの相談役は僕のものだ」


 そうして、何でも教えてくれる宇井木さんVS絶対に答えられない質問をする僕の構図が出来上がったのだ。



 ◆



 たとえそれが5月の気持ち良い休日の朝であっても。

 土手でジョギング中の宇井木さんに全速力で追いついて質問する。


「ガレッティ先生失言録とは?」


「おはよう、鉄我くん。それでは説明しよう! ガレッティ先生はヨハン・ゲオルク・アウグスト・ガレッティというドイツの歴史学者、地理学者だな!」


 はぁっ、はぁっ。

 急いで来たから息が切れてきた。

 宇井木さんは解答を続ける。


「ギムナジウムの教授をしながら生涯に渡り多数の歴史書や教本を執筆した。その講義中に残した数々の失言が広く語り伝えられているのだ!」


 はあ~、はあ~。

 意識が遠のいてきた。

 宇井木さんは滔々と続ける。


「ベルリンの書店から1868年に約400の失言を収めた『ガレッティアーナ 1750 - 1828』と題する印刷本が刊行され、その後1909年に『ゴータ王立ギムナジウム教授ヨハン・ゲオルク・アウグスト・ガレッティ先生の心ならずも口にせし失言録』という銅版画入りの豪華本が刊行され、以後これが底本となったのが『ガレッティ先生失言録』なのだ!」


「お、お見事……」


 土手の斜面に僕は崩れ落ちた。


「休憩か! わたくし先に行っているぞ!」



 ◆



 たとえそれが雨の日の昇降口でも。

 放課後、宇井木さんが一人で立ち呆けていた。

 どうやら傘を忘れたみたいだ。


「もし質問に答えられたら傘を貸してやる。テネレの木とは?」


「もう帰りかい、鉄我くん。それじゃ、説明しよう! テネレの木はニジェール中央部のテネレ砂漠に1本だけ立っていた木なのだ」


 もう6月だから制服も夏仕様になっていて、宇井木さんの華奢な腕がセーラー服の半袖から伸びている。

 彼女はそんな腕をさすって解答を続けた。


「地球上で最も孤立した場所に立っていた木として知られ、最も近い他の木から200km以上も離れた場所に立っていたのだ」


 うん、うん、とうなずく。

 マジでWikipediaで調べてきたが、この木はそれだけではない。果たして答えられるかな?


「この木は酒を飲んだリビア人の運転するトラックによってなぎ倒されてしまった。それから木のあった場所には金属製のモニュメントが建てられ、新たな目印となった。篠原勝之がこの地を訪れ、『風の樹』という新たなモニュメントを建立したが、その後風に倒されてしまったのだ」


 現代の寓話まで知っているとは。


「ぐぬぬ。これやる!」


 傘を渡す。


「また明日!」


 休日に宇井木さんと走っているので、家まで一瞬で帰ることができた。

 シャワーを浴びて今日も開くのはWikipedia。



 ◆



 たとえそれが夏休みの市民プールであっても。

 プールでもメガネを外さない生粋のメガネっ娘仕草を見せながらも、その魅惑に寄せ集まる男たちが居た。

 宇井木さんと一緒に来ていた女子もナンパ男に掛かっているようだったが、そんなの僕には関係ない。


「宇井木さん! 6÷2(1+2)は?」


「て、鉄我くん!? こんな時でも質問するのかい?」


「おや、もしや答えられないのか?」


 ナンパ男に「なんだガリ勉ヤロー!」と押しのけられ、メガネが吹き飛ばされてしまった。

 いきなり手を出すとは卑劣な奴め。そう目をやると、男はチッと舌打ちしてどこかへ立ち去った。

 運が良かった。喧嘩になってたらボコボコにされていたところだ。


「ありがとう、鉄我くん。それにしても、そんな素顔をしていたのだな……」


「それがどうした! さあ、答えたまえ!」


「待て待て、そっちは監視塔だぞ、鉄我くん! しょうがない、説明しよう! その答えは『9』」


 声のした方へ振り向く。

 ふふ、これは引っ掛け問題なのだ。アンフェアかもしれないが、観点を変えると答えが2つになる。


「あるいは、『1』の2つの答えが解答されうる。インターネット上で広まった数学の問題で、数百万人ものネットユーザーが回答するほど話題になったのだ」


「ぐぬぬ、なぜ知ってるんだ。本当になんでも答えられるというのか?」


「なんでもは答えられないのだ。ほら、メガネだ」


 目の前から声がしてメガネを掛けてもらう。

 超至近距離に宇井木さんの姿があった。

 心なしか、顔が赤いような気がする。


「おい、あまり見つめるな」


 あわてて目線を逸らすと、それはそれで魅惑のボディがあった。

 うぐう!


「盤外戦術とは卑怯なり! ウオオオオ!」


 引っ掛け問題を出したバチが当たった。

 冷水に浸かって頭やら何やら冷やさねば!


「こらー! 鉄我くん、飛び込みは危ないのだ!!」



 ◆



 夏休みが明け、校内の運動会が始まった。

 そんな中、僕は借り物競争で借り物として宇井木さんに受付まで連れてこられる。


「宇井木さんのせいで体操着の袖が伸びたじゃないか。手を繋げ、手を」


「う、うるさいぞ、鉄我くん! ほら、受付さん、借り物のお題だぞ」


 二学期に入ってから様子のおかしかった宇井木さんは、素直に僕の手を引けばいいのに体操着の袖を引っ張ってきた。

 そんな僕らのやり取りを見ていた受付の女子は、借り物のお題が書かれたらしい紙を見つめ、「合格! やっぱり二人ってそうなんだよね!」と笑うのだった。


 なぜ笑うのだろう?


 僕は未だに宇井木さんが答えられない質問をできてない。

 宇井木さんだって人間Wikipediaの名前は学年外にも伝わっているほど。

 純粋に疑問が浮かぶ。


「宇井木さん、借り物のお題は何だったの?」


 その何気ない質問に、宇井木さんは顔を赤くするばかりで答えなかった。

 おや、待てよ。

 もしかして、これが答えられない質問だったというわけか?


「おやおやおや? 宇井木さん、まさか、答えられないのか?」


 煽ってみる。

 耳まで赤くなってしまった。


「わたくし、これは答えられない……」


 ……おお。

 ……おおおお!!


「うおおおお!!!!」


 僕は歓喜の雄叫びを上げた。


「きた! これ! 勝った!」


 喜びすぎてガイウス・ユリウス・カエサルみたいな言い方になった。

 ちょっとそれで我に返ったところ、あれ?

 宇井木さんの姿がない。


「宇井木さん? どこだ? いや、良いか。もう難しい質問をしなくても良くなったんだし」


 自分で言って、ズキッと胸が傷んだ。

 喜びも薄れ、心がおかしくなった。あれほど勝ちたくて、勝ってせいせいした気持ちになりたかったのに。

 今はグチャグチャして、モヤモヤしていた。


 ……僕は目的を果たした。だからもう宇井木さんに質問しなくなるってことだ。


 それが何か嫌だった。

 考えれば簡単だ。つまり、宇井木さんに話しかける理由が無くなったことを意味している。

 それが嫌だ。なんでだ? まさか僕は宇井木さんのことを?


 じっと俯いていると、肩を叩かれた。

 その方へ向くと受付の女子が「これ見て!」と怒り気味に、借り物競走のメモを長机に叩きつけた。


「……!」


 僕は全速力で走る。

 他の生徒にぶつかり、階段を駆け抜け、廊下で転んだとしても、宇井木さんが居るはずの教室へ走った。



 ◆



「宇井木さん!」


 体操着の宇井木さんが窓辺に立っていた。

 おさげが髪に揺れて、夕暮れの逆光の中にいる。

 だから表情はよく見えない。でもどんな顔をしているか確かめるには、シンプルな方法が一番だ。


「この勝負、僕の勝ちだ! だから、今度は宇井木さん質問してこい!」


 僕は宇井木さんの元に歩み寄り、手を差し出す。

 むろん、握手。

 宇井木さんはおずおずと手を差し出してきたので、それを奪うようにして握り返した。


「良い勝負だった」


「うん、良い勝負だった。では、わたくしの1個目の質問なのだ」


「ああ」


「……鉄我くんは好きな人いますか?」


 繋いだ手をそのままに僕は答える。


「居る。宇井木さんが好きだ」


 少しの沈黙の後、宇井木さんが笑った。


「ふふっ、答えられてしまった。この勝負、わたくしの負けなのだ」

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