後
翌日、やけに重たい胃を引きずりながら私は台所に立っていた。今日を休暇にしておいてよかった。まだ胃の中に本物の食材が残っているような、自分から血や緑が香るような気がして嫌になる。空腹を覚えるまでに、何度歯磨きをしたかわからない。
今月分の牛蒡を入れたタッパーを開く。土と繊維の香りが漂って、ようやく私は息が出来たと思った。やはり、食べ物はこうでなくてはならない。牛蒡のささがきのように平たく茶色く。押しても何も出て来ず、色味なんかどこにもない。
今日はさっぱりした昼食にしようと、昨日の夜から決めていた。天の牛蒡をフードプロセッサーに入れ、「蕎麦のもと」なる粉と混ぜ合わせる。それを「麺生成器」に入れ、スイッチを「蕎麦」に合わせてレバーを引けば牛蒡蕎麦の出来上がり。麺を茹でながら、自家製牛蒡味噌で味噌汁を作る。具はシンプルに牛蒡のささがき。ふと、昨晩飲んだシャンパンが恋しくなった。しかしあの味を思い出そうとすると、本物の食材の強引な味まで一緒にぶり返して来る。それを牛蒡茶でかき消して、私は食卓を整えた。
そうだ、デザートにケーキを作ろう。「ケーキのもと」なる粉は先日買ったばかりだ。「生クリームのもと」なる粉も準備がある。私は土と繊維の香りがする蕎麦をすすりながら、そんなことを考えた。牛蒡を思うと心が躍り、腹が減る。牛蒡さえあれば、私の食卓は一気にレストランに早変わり。
テレビをつけると、昼のワイドショーが天の牛蒡特集を放送していた。幾分俗っぽい、よくあるオカルトじみた話題。
『天の牛蒡の根元は、地中はマントルまで伸び燃え続けているそうです。一方、先端は宇宙からでも全貌が見えず、幾重にも分かれた先端は辿るうち消えてしまいます。今や日本の食生活を支える天の牛蒡ですが、その安全面を危惧し自給自足の生活を選択した人もいます。彼らは、このように主張します』
『本物の食材でも健康を維持出来る。牛蒡だけならまだしも、正体不明の“何々のもと”なる粉を摂取し続けるのは不健康だ』
『子どもたちが本物の食材を知らずに育つのは看過出来ない。彼らには知る権利があり、“食事”ときちんと向き合うべきだ』
『そもそも、あの巨大物質が飛来した謎さえ解明出来ていない状態で、なぜ食用利用が解禁され疑いもなく受け入れられたのか。その点が甚だ疑問である』
例え彼らが何と言おうと、きっと私は天の牛蒡を食べ続けて死ぬことを選ぶだろう。蕎麦をすすりながらぼんやりと思う。ぎとぎとした血の残る脂も、ばさばさした立体的な野菜も、口にし続けるにはあまりにも。
私にとっての食べ物は天の牛蒡だけ。それで、食生活は十分事足りる。
「チャンスは残り三回です」
牛蒡削り器の楽しげな声が、耳の奥で鳴っていた。
天の牛蒡 矢向 亜紀 @Aki_Yamukai
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