天の牛蒡

矢向 亜紀

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。その声は私の声だったかもしれないけれど、今のところはそうではない。


 天気のいい水曜。今日は絶好の牛蒡ごぼう削り日和だ。私の密かな自慢は、勤務先のアパレルブランドがデザイン協力した限定品の牛蒡削り器。力が無くても片手で持てる重量、シンプルな円筒形なのに、一人暮らし一か月分の牛蒡を削って収納出来る優れものだ。

「その削り機、どこで買えますか?」

 予約した十四時に牛蒡のふもとで削り機を使っていると、何度もそうやって声を掛けられた。私は愛想よく返事してから牛蒡を見上げる。青空に向かって、先が見えないほど高くそびえ立つ牛蒡。およそ十年前に東京都を押し潰した三本の飛来物は、今や日本で暮らす多くの人々の食生活を支えている。

 被災者への支援金支給が決まるまでは何年もかかったくせに、牛蒡削りの料金システムだけは早々に整備された。私のような牛蒡孤児で一人暮らしの場合、一か月分の牛蒡を削ってかかる費用は五百円。これを本物の食材で賄うとしたら、一体いくらになるだろう。

「チャンスは残り三回です」

 楽しそうな声の主は、私の牛蒡削り器だ。一年分の牛蒡削りの予約は、全部牛蒡削り器に登録してある。牛蒡削りにとって、牛蒡を削る“チャンス”が残り三回あるのは喜ばしいことらしい。牛蒡削り器は気が合う良き相棒だ。



『ハンバーグ 簡単』

 そうやって検索すれば、インターネット上で該当するレシピは山のように見つかる。検索キーワードに「牛蒡」を入れないのは、それが当たり前のことだから。

 フードプロセッサーで天の牛蒡を細かくして、「ハンバーグのもと」なる粉を水と一緒に投入してこねていく。牛蒡にはないはずの脂っけが出て生地がまとまったら、形を整えてフライパンで焼く。ジュージューと透明な脂が鉄の上で跳ねて、火が通ったら出来上がりだ。付け合わせは、牛蒡のささがきで作ったグラッセ。こちらは先月の余りものだが、冷凍すれば長持ちするので重宝している。

 少し前に、三本の牛蒡それぞれに味や栄養、美容効果に差はあるのか、なんて話題が盛り上がった。結果はどの牛蒡も成分に違いはなく、どの牛蒡を食べても構わないという味気ない結末を迎えた。でも、それでいい。牛蒡があればそれで。だってほら、見て。


 ハンバーグのつるりとした表面にナイフを入れるだけでわかる幸せの予感。ふんわりとした感触と一緒に、色のない脂がとろりと流れ出る。濃厚な牛蒡ソースに絡めて口に運べば、滑らかな舌触りと鼻を抜ける牛蒡の香りが心地よい。ソースのレシピは、料理上手な同僚に教えてもらったものだ。牛蒡の苦みを活かした大人向けのソース。これは牛蒡のグラッセにも合うし、ただの牛蒡パンでさえごちそうに変えてしまう奥深い味わいだ。そしてこういう脂っこい料理には、さっぱりした牛蒡茶が欠かせない。牛蒡さえあれば、私の食卓は一気にレストランに早変わりする。


 日本人はよく、生真面目で和を貴びすぎるあまり創造性に欠けるなんて言われる。しかしこの評価は間違いだ。日本人は、持ちうる創造性の多くを食べ物に向けがちなだけ。それは台所で完結してしまうから、対外的に目立ちにくい。

 私が最後に本物の食材を食べたのは十一歳の時。天の牛蒡が完全栄養食だと発表されて以降、私は多くの人と同じく牛蒡ばかりを食べている。しかし、日本人の創造性のおかげで牛蒡を使ったレシピも「何々のもと」も尽きる気配がない。私にとっての食べ物は天の牛蒡だけ。それで、食生活は十分事足りる。

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