エピローグ
誘拐事件で静が痛い思いをした上に着物と帯がダメになったので、一心はおねだりされ浅草の呉服店を訪れていた。
その店とは長い付き合いで気心も知っていて、小物類も殆どそこで揃えているので良心的な価格で着物と帯をあれこれ見せてくれている。
「これどうかいなぁ」
一心は繰り返し聞かれても良く分からないので
「ああ、良いんじゃないか」
紋切型で答えてしまう。
その繰返される答えに不満だったのか静は途中で美紗を呼びつけた。
美紗が来てから一心は椅子に腰掛けて待つこと二時間、ようやく決まったようだった。
――女の買い物はどうしてこう長いんだ? ……
締めて五十万円程の出費……痛い!
――まぁ、しゃーないか……犯人に損害賠償して欲しいわ……
「おおきに、大切に着させて貰うさかいな」
満面の笑顔の静を見ると、あ~買って良かったと思う。
……惚れた弱みってやつだ。へへっ……
結局、帰り道甘味処にも寄ることになって、一心もお汁粉を食べる羽目になってしまった。
――たまに甘いものも良いが、帰ったらビール飲もう……
對田建設工業(株)の株主総会は結構もめたらしい。
とは言っても過半を對田竜二が持ち、四割強を持っている村岩吉郎が對田に委任状を預けたので、その他の株主から意見は出ても決定権は對田にあるので、提案通り議決された。
鳥池を役員報酬と退職金等は無しで解雇、對田と村岩の二人は非常勤の役員となって新役員の對田弥生と村岩正二郎をサポートする立場に回ったのだった。
ただ、贈収賄事件はまだ特捜部の内偵が続いていてどうなるのかはまだまだ先の話らしい。
総会の後に開いた役員会議で社長には平役員の時田耕三(ときた・こうぞう)が指名された。對田の後輩で娘の弥生や専務の息子の正二郎を子供の頃から知っている営業畑の男だ。
同じく専務には平役員の占地綱紀(しめじ・つなき)が指名された。彼は長く監査部門を経験した謹厳実直を旨とする男だ。
そして對田弥生は監査部門担当、村岩正二郎は経理部門担当となった。
それと鳥池常務の横領した額は七億八千万円と確定しそれを相続人の代理人弁護士から全額返金すると通知を受け既に五億二千万円は会社に返却されたとのことだ。
残りは鳥池常務の自宅や有価証券を売却して翌年三月末までには返却できるという話のようだ。
事務所を訪れた弥生と正二郎がそんな風に近況を伝えてくれた。
一心がにこにこしながら気になっていたことを訊いてみた。
「お二人は付き合ってるの?」
二人とも顔を赤らめて顔を見合わせて照れ笑いを見せながら首肯した。
――やっぱりな、そうだと思ってたんだ。結婚式に呼んでくれるかなぁ、楽しみだ……
一心はその笑顔を見て幸せを少し分けて貰ったような気がした。
「そうかぁ、幸せにな。でも、二人の肩に会社の将来がかかってるんだから頑張ってな。応援してる」
「せやなぁ、今回ほんに二人に美鈴ちゃん親娘が救われたんやさかい、……あの執念みたいなもんがあらはったらしっかりやっていけるんとちゃうかなぁ」
静の言う通りだ。
――ホントに危機一髪だったからなぁ……
そう言えば、誘拐された美鈴は救出後二週間ほど学校を休んでから、母親の美富が学校への送り迎えして通い始め、そのうち二人のクラスメイトがちょっと遠回りにはなるが家まで送り迎えしてくれるようになって前より元気そうに学校に通い続けているそうだ。
美富からそう聞いて静とふたりホッとしたのであった。
家出した藤岡麗は母親と連絡を取り合って、宇都宮にアパートを借りて一緒に住むことにした、と手紙が来た。
父親とは相変わらず一切連絡をとっていないらしい。
――まぁ二人で働けば何とかやっていけるだろう……
人伝に聞いたところによれば、父親の藤家陽三は妻の楓が家を出てからは家政婦を雇って身の回りの世話をして貰っていて家には寝に帰る程度、食事はすべて外食で酒を飲んで帰る日々が続いているらしい。
離婚届を引き出しに仕舞っていていずれ帰って来るものと決めつけている、という話しだ。
未練たらしい奴だ。
また、猫のルージュが家出? したと暮林博美が言ってきた。
即、一助を捜索に出す。これまでは大体三日目に捕獲しているのだが、ルージュの方から一助に寄ってくることが殆どのようだ。ひょっとしたら、ルージュは一助と遊びたいのかもしれないなどとふと思ったりする。
―― 三日後と言うと大晦日じゃないか。もう仕事納めにしたいのに……
猫の捜索手続きをしているところに、火災現場から赤ん坊を助けられた淡野恵が一緒に元気な姿を見せてくれた。
家族全員で出迎え、可愛い、可愛いと代わるがわりに赤ん坊を抱っこして事務所の中で大騒ぎ。
「いや~、静、赤ん坊って可愛いなぁ。……俺らの孫は何時できるかなぁ」
一心はそう言って数馬と美紗を見る。
「せやなぁ、数馬と一助には恋人いるさかい案外早いかもしれまへんな。けどなぁ、美紗は刑事さんに好かれとるんに相手をあまりせぇへんから、どないなことになるやら……心配どすわ」
静もじっと美紗をみていると、
「ごちゃごちゃうるさい。俺の事はほっとけ」
男言葉の美紗に見込みは無いかも知れないと一心は改めて感じてため息をつく。
一心は燃える建物の中へ飛び込んだ時の、あの時の恐怖は未だに夢の中に出てくるほど強いものだが静にも言わず耐えていた。
しかし、こうして元気な子供の姿を見るとやっぱり命をかけても助けて良かったとつくづく思う。
一心がそんな感慨にふけっていると、
「ごめんくださ~い」高齢の夫婦が深刻な顔をして事務所の入口に佇んでいる。
「は~い、どうぞ、座って」そう言って一心は対座し名刺を差し出す。
「俺が、岡引探偵事務所の所長の岡引一心です」そう名乗って、
「今日はどういうご用件でしょうか……」と、訊く。
静がお茶を淹れて二人に勧め同席する。
「え~、じ、実は……」
夫の方が訥々と話始めた。
話を聞きながら一心はふと心の中で、
「あぁ、今日も忙しい……」とぼやくのであった。
そんな一心の目の端に、窓外で白いちらちら舞っているものが映った。
「あ~寒いと思ったら雪だ~ちょっと暖房いれるね……」
――今年も仕事納めが年末になるだろうから、せめて仕事始めは人日の節句に七草粥食べてからにしたいなぁ……。
探偵は忙しい きよのしひろ @sino19530509
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