第8節

 大妖討伐が完了してからの日々は忙しなく過ぎていった。


 負傷者の治療、戦闘情報の分析、海の生態系調査、報告書の作成等々、大妖討伐後にやるべきことは沢山あった。燈子と亜鈴、そして亜鈴の従者達はそれらを片端から片付けていく毎日を送った。


 燈子が亜鈴に自身の力と境遇、士族の間で流布する噂について打ち明けられたのは、人魚討伐から一日後の深夜のことだった。


——亜鈴であれば私のことを知ってもきっと拒絶しない。


 そう確信しつつも、燈子の中には不安と恐怖が確固として蟠っていた。それ程に今まで燈子を取り巻いてきた境遇もまた、平穏ではなかったのだ。亜鈴に語り聞かせる時の燈子の声は、僅かに震えていた。


 結果として、燈子が話を始める前に感じていた不安や恐怖は、全くの杞憂に終わった。

 亜鈴は最後まで一言も発さず、静かに燈子の話へと耳を傾け続けてくれた。そして燈子が自身の全てを曝け出してから一分の後、決然と言い放った。


『貴方が抱える事情も、その悪評も確かに理解しました。しかし、私は貴方への態度を変えるつもりは一切ありません。顔も知れない誰かが流した評判などではなく、緑川燈子という人間が示した信念と行動、その在り方を私は信じます』


 燈子の抱える罪を知っても、亜鈴が燈子を見限ることはなかった。亜鈴はこれからも友人として親交を深めていきたいと、そう言葉をかけてくれた。それが燈子にとって何よりも嬉しかったことは今更語るまでもない。

 燈子は白崎亜鈴という人間に出会えて本当に良かったと、心の底から思った。



 その後も『海洋生物釜茹で事件』や『亜鈴先生による熱血授業(式神術入門編)』など些細な出来事がいくつか起こりはしたが、日々は概ね滞りなく過ぎていった。


 そして人魚を討伐してから一週間後、燈子が零幻島を去る日を迎えた。


 太陽が中天まで昇りきった正午。燈子が零幻島で最初に足を踏み入れた西の砂浜に、燈子と白崎家の面々は集まっていた。燈子は海岸線を背にして、見送りに来てくれた亜鈴、そして四人の従者達と向き合っている。燈子の後ろでは、他の四人の従者達が小船の出港準備を行ってくれている。


「ありがとう、亜鈴。帰るための船を貸してくれて。しかも操船のための人員まで出してくれて。ただでさえ人手不足なのに」

「気にしないで下さい。今回の大妖討伐戦では貴方にたくさん助けられましたから。私達からのささやかなお礼と思って下さい」


 亜鈴の表情は穏やかで、その言葉が社交辞令ではなく本心であると伝わってくる。


「それじゃあ遠慮無く厚意に甘えるね。あ、そうだ。手紙、近い内に寄越してね。亜鈴の式神を伝書鳥に使う関係上、まず貴方が手紙を出してくれないと私の方からも手紙が送れないんだから」

「分かっています。仕事の合間を縫って早めに出します。それと、手を出してください、燈子」


 そう言って亜鈴は掌大の、白く発光する正五面体の結晶を差し出してきた。燈子は疑問顔を浮かべながら、両手でそれを受け取った。


「これは?」

「生命結晶と呼ばれる品で、私の呪術を用いて作った特殊な鉱石です。これがあれば私が飛ばした式神が迷うことなく貴方の元へと辿り着けます。式神用の道標と思って下さい。ですのでくれぐれも失くさないように。私に向けて手紙を送る時は式神を空へと放ってくれるだけで大丈夫です。そうすれば勝手に私の元へと向かって飛んでいきますから。

 あと最後に、式神術の鍛錬は決して疎かにしないで下さいね。あれは毎日の反復鍛錬が重要です。時間はかかるでしょうが、私と同じく他者の命を扱う貴方であれば、きっと習得が可能な筈ですから」


 燈子は三日前に瞳を輝かせながら式神術の何たるかを熱心に語っていた亜鈴の姿を思い出し、苦笑いを浮かべながら「分かったわ」と頷いて結晶を懐へと仕舞い込んだ。


 丁度そこでタイミングを見計らっていたかのように、燈子の後ろから出港準備が整った旨の声がかけられた。


「そろそろ行くね、亜鈴。時間が出来たら、本土の方にも足を運んでね。案内役は私が引き受けるから」

「はい、必ず。それと貴方には無用な言葉かもかれませんが、ぜひご壮健で、燈子」

 燈子と亜鈴は別れを惜しむようにお互いに視線を交わし合った。本心では亜鈴を思いきり抱きしめたいと思ったが、それが叶わないのが少しだけ残念だった。



 こうして燈子は零幻島を後にした。砂浜で彼女を見送る亜鈴は、船が水平線の彼方にその姿を隠してもなお、名残惜しそうに海の向こうを眺め続けていた。

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桜の姫 榎本 慎一 @Shin-ichi_Enomoto

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