あとがき (あるいは、『前提』論)

反省しています。

多分、これを読んで悩む人はいるのではないかな、とは思ったのだけれど。


『パクリ』というのは、“他者から盗作すること”。

書き手の自発的な意思を伴う行動。

そして、他者から仕入れたものを、自分の考えとして発表すること。

それは『自分のなにか』ではない。


つまり、本作は『自分の作品を書いている皆さん』には、そもそも関係のない話です。


混乱させたならごめんなさい。




◇◇◇


●“先達の模倣”は『具体的な目標の設定』。


●“先達へのオマージュ”は『自身に感動をもたらしてくれた作品やその作者への敬意』。


●“作品を読んでインスパイア”されることは『作る力(やる気)の触発』。


●“人気作のテンプレート”を研究することは『自作品をより多くの人に読んでもらう研究の一環』。


●先達の作品を自身の作品内で“パロディ”として用いることは、ただの『パロディ』。風刺だったり、ジョークだったり、過去の踏襲だったり。


●偶然の一致は『ただの偶然の一致』。お互い知らずに書いていたらそんなこともある、という話。


そのように捉えています。

少し要約のし過ぎかも。



すでに実力のある人はともかく、「まだまだだ」と自分で感じている人は、模倣やテンプレート研究はどんどんやった方がいいと思うし、オマージュやインスパイアの対象があることは素晴らしいこと。

パロディだってやりすぎなければ楽しい。

偶然の一致があるくらい感性の近い書き手仲間は、得難き存在になるかもしれない。


でも、『パクリ』はダメ。

前提が崩れる。

『自分の作品を書く』という前提が。


前記●のいずれにしても、言葉の意味は『パクリ』とは全く懸絶したもの。

自発的な盗作である『パクリ』の言い訳に、これらの言葉を用いることは


『自分の作品を書いている皆さん』には、これで伝わると思います。

これで伝わらない方がいるのなら、どうしたらいいのか分からない。




◇◇◇


『パクリ』はある種の“技術論”を伴って、社会の中に浸透しているように思えます。


具体例を書くことははばかられますが、なにかしらの仕事をしたことのある人はやられたことがあるかと思います。

『上司や同僚からのパクリ』。

もしかして、やったことがある人もいるのかも。


「じゃあ、創作でもやっていいのか」


これは、ただそれだけの話になります。




◇◇◇


あとがきって、初めて書きました。


もしも、まだ悩む人がいたなら、読んでほしい著作があります。


三島由紀夫著『作家を志す人々の為に』

大塚明夫著『声優魂』



ただ、この二作は前提として『様々な可能性に満ちた人たち』へ向けてのものです。

“それ以外の人たち”は、ここからさらに先へ進むために自分で考え続けなければならないと思います。


結局のところ、『自分で考える』。

それも大事な前提の一つです。


他の著作も思い出したら、また追加します。




◇◇◇


最後に。


文章として『書けないこと』もあり、文章として『あえて書かないこと』を用いて私になにかを伝えようとしてくれたすべての皆さんに感謝いたします。


長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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『パクリ』論 アマノヤワラ @sisaku-0gou

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