第7話 エルヴィンの願い【10年前⑤】
自家製のクルトンをのせた旬野菜のサラダ。
手作りの玉ねぎドレッシング。
昨日の残りで作ったチーズたっぷりのトマトソースのポテトグラタン。
食べやすく小さく切った鶏肉のバターソテー。
スープにはたっぷりの野菜と、栄養が高まるように卵も入っている。
そして、売れ残りを貰ったバケットと、アンが昨日焼いたクロワッサン。
左手に包帯を巻いているアンが用意できたのは簡単なものばかりだが、大きめのお皿でテーブルに並べればまるでご馳走のように見えた。
エルヴィンは目の前に並んだ食事を不思議そうに見つめている。
「頑張ったんだけど、こんなものでごめんね。お口に合うといいんだけど……」
「…………」
「あっ……先に嫌いなものとか聞いておいた方が良かったかな!? ごめんね、嫌いなものがあれば残していいから」
「…………」
「……っていうか何だか油っこいのばっかりになっちゃったね、胃もたれするかな……嫌ならチーズは避けていいし、えっと、スープにお米入れてリゾット風とかもできるけど……!」
エルヴィンがまともにご飯を食べてこなかったことは見れば分かる。
少しでも痩せている身体に栄養をとってほしいと思ったのだが、よく考えればもう少し消化が良く身体に優しいものの方が良かったかもしれない。
頭を抱えるアンの耳に、小さな声が聞こえた気がした。
「え……?」
ゆっくりと顔を上げると、じっとアンを見つめるエルヴィンと目が合った。
「……食べて、いいの」
その小さな声は、今度こそアンの耳にしっかりと届いた。
「もちろん! というか、エル……Lサイズの野菜ばっかり買っちゃって困ってたし、食べて貰えたら私も有難いし……!」
思わず名前を呼びかけてしまったが、まだアンは一度もエルヴィンから名前を聞いていない。
咄嗟に口を噤んだ自分にファインプレーだと賞賛を送りながら、アンはエルヴィンの前に腰を下ろした。
「ねぇ。食べる前に、あなたの名前を教えてくれない? 私はアンっていうの」
「………………エルヴィン」
「エルヴィン! いい名前ね。じゃあエルヴィン、手を合わせて」
「……?」
不思議そうにアンを見上げるエルヴィンの前で、アンは見本になるように手を合わせる。
「こうやって、『いただきます』ってやるの。野菜や料理を作ってくれた人への感謝はもちろん、私たちのご飯になってくれた動物や野菜たちへの感謝も込めてね。そうしたら、ただのご飯がずっと美味しくなるんだよ」
そう説明すると、エルヴィンは大人しくアンと同じように両手を合わせた。
「いただきます」
「……いただきます」
見よう見まねでアンの真似をするその様子に弟と妹が小さかった頃のことを思い出し、アンに懐かしさが込み上げる。
年の離れた弟と妹が可愛くて、いつもお姉ちゃんぶっては色々と面倒を見るのが好きだった。
「張り切って作ったから、食べられるだけ食べてね。食べられなかったり、嫌なものがあったら残していいから」
アンはスプーンを手に取り、スープをひとすくい分すすってみる。
野菜のだしに胡椒がアクセントになって、アン好みの味だった。
「ん、今日のも美味しい。エルヴィンも食べてみて」
アンに促され、やっとエルヴィンはおずおずとスプーンを手に取り、スープを掬った。
ゆっくりと口に含むと、驚いたように目を見開き、またアンを見つめる。
「どう? お口にあったかな」
こくこくと頷くエルヴィンに、アンはこれもあれもと用意した食事を一口ずつ食べさせていく。
エルヴィンは料理を口に運ぶ度、信じられない物を見るように料理を見つめていた。
「……ねぇ、エルヴィンの好きな食べ物は?」
「好きな食べ物?」
「うん。エルヴィンの好きなものを作れたらいいなって思ったんだけど」
「………」
アンの質問に、エルヴィンは黙って俯く。
「普段食べてるもので、美味しいなって思うものとかはある?」
「………」
「(まさかと思ったけど……この反応は)」
アンは特にエルヴィンの好きなものを聞きたかった訳では無い。
いや、知れるものなら知りたいのだが、公式設定ではクロワッサンが好きだと書いてあった。だから、アンはエルヴィンの好みを既に知っている。
本当に知りたかったのは、エルヴィンが普段どんなものを食べているのか。
アンの用意したものは決して珍しいものではない。手の込んだものでもない。
それを一つ一つ、オーバーリアクションにも思えるほど驚きながら食べているのだ。
まるで、初めて食べるかのように。
「……ここにあるもの、全部美味しい。だから、全部」
「……今日の料理が好き?」
「美味しいって思うもの、って言っただろ」
不安そうに視線を泳がすエルヴィンを元気づけるように、アンは分かりやすい笑顔を返す。
「ありがとう! 気に入ってもらえてすっごく嬉しい!」
アンのその反応を伺うように見ると、エルヴィンは安心したようにまた食事に手を伸ばす。
「(まともなご飯、食べたことがなかったんだろうな)」
アンのゲーム知識から換算するに、エルヴィンは今年12歳になるはずだ。
それなのに、目の前の身体は12歳よりもっと小さく見える。
そもそも、いくらオタクの火事場の馬鹿力を考慮したとしてアンが抱き上げて山を降りられる時点で体重が軽すぎるのは明らかなのだ。
「(美味しいって、言ってくれてよかった……)」
目の前の小さな推しは、これまでどれだけ辛い人生を送ってきたのだろう。
アンの頭にこびりついて離れないのは、エルヴィンの身体中に刻まれた傷跡だった。
「(私に出来ること……)」
◇◇◇
「ご馳走様でした」
「ご馳走様でした」
食事を終え、2人で揃って手を合わせる。
食事をする前とエルヴィンの纏う空気は明らかに変わっていた。
アンが前世で保険の営業をしていた頃、よく言われた言葉がある。
5回訪問するより、1回のお茶。
3回のお茶より、1回の食事。
「同じ釜の飯」という言葉もある通り、やはり食事を共にするというのは人と人を結びつける力があるらしい。
「ねぇ、エルヴィン」
「なんだ?」
素直に返事をするようになったエルヴィンは、警戒を解くほど幼さが引き立ち、その姿にアンの胸は徐々に締め付けられる。
「あの……今日みたいなことは、今までもしていたの?」
「……今日みたいなこと、って?」
「自分で自分を傷つけること」
「…………」
エルヴィンの表情がゆっくりと抜けていく。
無表情に戻ったエルヴィンは、温度のない声で告げた。
「俺は生まれてすぐ親に捨てられた。誰も俺の生を望んでない。俺自身も」
「……そんなことは」
「なぁ、なんで俺が生きていると思う?」
「…………」
「俺の傷が治るところ、見ただろ? ……俺は『死ねない』んだ。……誰も俺を拾ってなんてくれなかった。でも、俺は『死ねなかった』」
アンはそれは違うと、声を出して否定したかった。
エルヴィンは愛されて生まれてきたのだとその事実を告げたかったが、それを知るわけもないアンは口にすることも出来ない。
もどかしさに唇を噛み締めるアンに、エルヴィンは続けた。
「なぁ、俺を殺してくれよ」
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