第8話 悔しい【10年前⑥】

「殺せ、って……」


 予想外の言葉に、アンは言葉が詰まる。

 目の前のエルヴィンは、アンの知っているゲームのキャラクターとは全く違う。

 エルヴィンは実年齢より幼い見た目にそぐわず大人びた話し方をして、鋭い視線をアンに向ける。


 傭兵として、死線を潜り抜けてきた姿がそこにあった。


「自分で死ねないなら、誰かに殺してもらうしかない」

「そんなこと言われても……」

「なら、何で俺を助けた」


 短いその一言。

 たったその一言が、アンの胸に突き刺さった。

 まるでその一言に、エルヴィンのこれまでの苦しみが凝縮されているようだった。


「……エルヴィンに、苦しんで欲しくなかったから」


 何故と聞かれれば、そう答えるしかない。

 不死ではないとはいえ、エルヴィンの驚異的な回復力があれば命は助かるだろうことは予想が出来た。


 でも、それをしなかったのは、エルヴィンが苦しそうだったからだ。


「俺は、生きていることが苦しいんだよ。俺を救う気なら、殺してくれよ」

「……」

「殺せないって言うなら、アンタの優しさは偽善だ」


 エルヴィンの言うことは正しい。

 でも、アンはエルヴィンの『未来』を知っている。


 個性的な仲間たちと共に、そして愛するタツミと共に、世界を救うべく立ち上がる姿を知っている。

 仲間に囲まれて、そして愛する人と結ばれる姿を。


 その時のエルヴィンは、幸せそうだった。


「ごめんね、私にはエルヴィンを殺せない」


 アンは右手を握りしめ、負けじとエルヴィンを真っ直ぐ見つめ返す。


「私は、エルヴィンに死んで欲しくない。だって、悔しいから」


 悔しい。

 その一言を口にした時、アンの身体中を大きい感情の波が襲った。


 ずっと、悔しかったのだ。

 なんで、私は報われないんだろう。

 なんで、私ばかり苦労をしないといけないんだろう。

 なんで、私には幸せがやってこないんだろう。

 なんで、私のことを神様は見てくれないんだろう。


 ずっと、沸きあがる混濁した感情を、押し殺してきた。


「あのね。人生は山あり、谷あり。いい時もあれば、悪い時もある。エルヴィンのこれまでは……私では想像が出来ないくらい、辛くて、不公平で、苦しいことが多かったと思う」


 「美咲」だった頃、苦しい中でも、馬鹿みたいに純粋に信じていた。

 誰が見ていなくても、「神様」だけは、私の努力と苦労を知っているって。


「でも、神様は平等なんだ」


 神様は選んだ人以外には不平等だ。

 神様が微笑むのは、いつだって「スポットライトが当たる人」だけ。

 モブには、見向きもしないのだ。


「エルヴィンの辛かったこと、苦労したこと、苦しかったこと。すべてに見合う、とびきりのいいことが必ず待っているから」


 エルヴィンの為に口した言葉は、アンが『佐藤美咲』だった時に何度も心を救ったものだった。


 この言葉を純粋に信じ、『佐藤美咲』は何度も折れそうな心を奮い立たせた。


 しかし、『アン』は、それが最後まで報われなかったことを知っている。


 佐藤美咲の押し殺してきた感情が逆流するようにアンの身体を支配し、その目からは涙が溢れ出して止まらなかった。


「(エルヴィンは、「モブ」じゃない。エルヴィンの苦労は報われるんだから)」


 エルヴィンはアンの涙に驚いたように息を飲み、鋭くアンを睨みつけていた瞳は揺れていた。

 アンはエルヴィンの側まで行くと、その小さな身体を抱き締める。


「だから、エルヴィンには諦めないで欲しい。苦労して、辛い思いをして、それで終わりなんて……悔しすぎる……! 幸せになれなきゃ嘘だよ……っ」


 もう何に対する涙なのか、アン自身も分からなくなっていた。

 ただただ溢れる涙は止められず、これまでの自分の感情を吐き出すようにエルヴィンの肩を濡らし続けた。



 ◇◇



 エルヴィンの前でわんわんと泣いてしまった事はアンにとって思い出したくもない恥ずかしい記憶になった。


 しかし怪我の功名か、エルヴィンはそれ以降アンを試すことも、自殺を仄めかすことも無くなっていた。


 あれ以降二人は心に触れることを避けるように、世間話しか口にしていない。


 それでも、エルヴィンは何も言わずアンに寄り添い、左手を怪我しているアンの手伝いを率先してするようになり、アン自身も何も言わずそんなエルヴィンを受け入れた。


 アンは怪我を理由に仕事も休みになり、二人は寝て、ご飯を食べて、気が向いたらジャムの材料を取りに行ったり、ジャムを作ったり。


 2人はそんな穏やかな生活を送り始めた。


「あっ! ……エルヴィン、包帯解けちゃった」


 アンは握っていた包丁を置き、エルヴィンに向けて左手を掲げる。

 包帯の結び目が解け、ぷらりと端が垂れ下がる。


「だから俺がやるって言ったのに」


 そんなアンに、エルヴィンは仕方がないとばかりに笑い駆け寄っていく。


「何でも自分で出来るに越したことはないじゃない。しっかり結んだつもりだったんだけどな……」

「結び方の前に巻き方からして全然ダメ。だからここも緩くなってる」


 するするとエルヴィンはアンの腕から包帯を巻きとっていく。


「エルヴィンは器用だよね」

「見よう見まねだよ。アンも、包帯以外は器用な方だと思うけど」

「包帯以外は、ね……それ、褒めたつもり? それともダメ出し?」


 アンの不貞腐れたような言葉に、エルヴィンは小さく笑い、器用にアンの包帯を巻き直していく。


 エルヴィンとアンが過ごしたのは4日間と決して長くはないが、短くもない。


 この4日間で、エルヴィンは随分変わったとアンは思う。


 雰囲気はかなり柔らかくなり、満面の……まではいかないが、笑顔も時折見せるようになった。


 なによりアンのことを「アン」と呼びすぐに構ってくる姿。


 まるで野良猫が懐いたような、そんな達成感とエルヴィンに対する庇護欲が湧きすぎて止まらない。これが母性本能なのかもしれない。


 エルヴィンとの生活は、確かに充実感と癒しをアンにもたらした。

 そしてそれは、エルヴィンも同様だろう。


「アン、この後は何をするんだ」

「買い物に行って終わりかな。エルヴィンが洗濯とか洗い物を手伝ってくれるから助かるよ」

「片手じゃできないだろ、濡らすのも良くない」

「うん、ありがとね。買い物、エルヴィンも行く?」

「……俺はいい」


 エルヴィンは外に出ようとしない。

 その見た目はどうしたって目を引いてしまうし、銀髪と紅い瞳は魔族の証。


 差別を恐れてのことであることは明らかだ。


「(ゲームのエルヴィンも初めはフード付きのマントでずっと顔と髪を隠してたもんね)」


 ずっと家で籠っていても気が滅入るだろうと昨日は山に果物を取りに行くのを手伝ってもらった。

 帽子を深く被せ、夕暮れ時だったので大人しく着いてきてくれたのだが。


「(まぁ、焦って克服させるものでもないよね……)」


 エルヴィンにどう接するのが適切なのか、アンは悩んでいた。


「(世界を救うためには、エルヴィンはタツミの眷属にならないといけない。それに……タツミにエルヴィンを癒して貰うためにも、まず最強の戦士にならないといけないのに……)」


 ゲームの設定ではエルヴィンは10年後、22歳の時に異世界から召喚された主人公・タツミと出会う。

 その頃にはエルヴィンはディアナ王国の最強の戦士として名を馳せており、救世主であるタツミの眷属として契約を結ぶことになる。


 それからエルヴィンは仲間を得て、人を愛することを学び、そしてエルヴィンルートでは愛する人と両想いになることで幸せになっていく。

 まさに、苦労が全て報われる展開に進むのだ。


「(エルヴィンの幸せを思うなら、ここでずっと過ごさせるわけにはいかない……よね)」


 さらに言えば、エルヴィンの存在は世界を救う「鍵」となる。

 エルヴィンが救世主・タツミの眷属になれなければ、その時点でこの世界の破滅は決まったようなもの。


 世界を救うためにも、エルヴィンにはゲームの原作通りの道を進んでもらうしかないのだ。


 エルヴィンはアンの包帯を巻き直すと、くるりと背を背を向けてすっかり定位置になったウッドチェアに腰掛けた。


 ずっと家にいては暇だろうとアンの買ってきた絵本を存外気に入ったようで、また絵本を開いては上機嫌に浮いた足を泳がせている。


 その姿は歳よりも幼く見えるが、その服の下には歳に不相応なたくさんの傷跡があることもアンは知っている。


「(傭兵団に戻す……べきなんだろうけど)」


 ぎゅうと痛む胸を抑えながら、アンは小さくため息をついた。

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推しよ、ここはBLゲームの世界です!〜属性:腐女子のモブは、推しも世界も救いたい〜 はちよ @hacho_8

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