第2話アン(16)
「ここは、どこ……?」
美咲が目覚めると、そこは見たことも無い部屋だった。
そこは天井も壁も床も全てが木製のワンルームの部屋で、いつの間にか見たことがないワンピースに着替えている。
慌ててスマホを探すものの、スマホどころか着ていたはずのスーツも持っていた鞄も、美咲の持ち物は何一つその部屋には無かった。
「(待って、私……夢じゃなければ、トラックの前に飛び出して……)」
慌てて自分の体を確認するものの、擦り傷ひとつ見当たらない。
「(ということは、夢……? アレが? それともこれが……!?)」
バシン。
自分の頬を叩いてみると、叩いた手も、叩かれた頬にもじんわりとした痛みが走る。
「ってことは、これは夢じゃない……?」
ドンドン!!
「っはい!?」
急に叩かれた扉に思わず出た声は、しっかり扉の外に聞こえてしまったらしい。
すぐに扉の外から、上機嫌な女性の声が聞こえた。
「アンちゃん、おはよう!」
「(アンって誰!?)」
「朝ごはん持ってきたから、一緒に食べよう。ここを開けておくれ」
その扉にはインターホンどころかドアスコープもついていない。
相手がどんな人かも確認することも出来ず、美咲はドアの前で頭を抱えた。
「(この人誰!? っていうかここはどこ!? アンって誰!?)」
そうしているうちにも、美咲がドアを開けないことに痺れを切らしたかのようにドアはしつこく叩かれる。
「アンちゃん、どうしたの? 何かあった?」
「えっと、あの……」
「開けられない何かがあるのかい?」
「いや、えっと」
「アンちゃん、理由があるならハッキリ言いなさい」
「その……」
「アンちゃん! 開けなさい!」
「っ……!」
家の中を見回すが、自分以外誰もいない。
ここが「アン」の家だということは、自分は「アン」なのだろうか。
もしくは、「アン」が自分を助けて、この家に寝かせてくれたのかもしれない。
そうだったとして、記憶が無い自分には何も答えられないのだけれど。
「あっ……!」
美咲の目に、ひとつの扉が目に入る。
別の部屋に繋がっているだろうその扉の先に、「アン」がいるのかもしれない。
美咲はその扉に駆け寄ると、勢いよく扉を開いた。
扉を開いた瞬間、赤茶色の長い髪が目に入った。
その髪の持ち主は驚いたように美咲を見つめていた。
瞳は翡翠の色で、歳はどう見ても10代後半。
そして。
「これ……洗面台……」
その先にあったのはお風呂とトイレ。
そして、大きい鏡だけだった。
「ってことは、これ……私?」
鏡の中の人物は、美咲の動きに合わせて動き、引きつった笑顔を浮かべていた。
「えぇぇぇぇえええええ!?」
「アンちゃん!?」
ドアが壊れる音がした。
◇◇◇
「じゃあ、私はもう行くからね。そこの家にいるから、何かあったらすぐに頼ってちょうだい」
「ありがとうございます」
朗らかに笑って背を向けたのは、斜向かいの家に住むジュディという名の女性だった。
彼女こそ、「アン」を尋ね、扉を叩き壊した本人だった。
ジュディの話から察するに、どうやら「アン」は美咲のことで合っているらしい。
「アン」は魔獣に襲われて壊滅した街から昨日引っ越してきたところだという。年齢は16歳。
家族を全員魔獣の襲来で失ったアンを、ジュディは心から心配してくれているようだった。
どうやら昨日からアンの面倒を見てくれたようで、今日も様子を見に来てくれたらしい。
ジュディを一言で表現するなら「肝っ玉母ちゃん」だろう。
優しく豪胆で、自分の子も他人の子も分け隔てなく接してくれるような、気持ちのいい女性だった。
そしてジュディから聞いた話を総合すると。
「私、『愛の華』の世界に転生した……?」
◇◇◇
『愛の華』とは、佐藤美咲が生前大好きだった大人気BLゲームである。
主人公は『タツミ』という孤児の青年。
ある日、タツミが『救世主』として異世界に召喚されるところからゲームは始まる。
異世界では原因不明の魔力汚染が起こっており、世界全体が混沌としていた。
世界を救う方法は1つ。
各地に隠された『予言の書』を見つけ、それを解読すること。
『予言の書』には世界を救うヒントと、これから起こる厄災について記されている。
そして、『予言の書』を解読できるのは『救世主』のみ。
タツミは世界を救うべく、メインキャラクター達と契約を結び力を借りながら『予言の書』を求め、世界を救う旅に出る。
そしてその道中様々なイベントを通じ、タツミの眷属となったメインキャラクター達と愛も育んでいく。
「えぇ……っと、ディアナ歴1000年でタツミがこの世界に召喚される。で、今は990年……メインストーリーの10年前か……」
美咲もといアンは、自ら知る限りの情報をメモに書き出していく。
『異世界転生』もののジャンルはアンも読んだことがあったが、大体の主人公はこの『記憶』を頼りに未来を切り開いていくのだ。
それに、時が進む度に『記憶』が薄れていく展開も王道である。
異世界に転生したとして、自分はメインキャラクターでもなければここはBLの世界なのだ。
この記憶で無双するようなよくある展開にはならないだろうが、それでも軽々しく手放せるものでは無い。
「今日は眠れないな……記憶がはっきりあるうちに書いておかないと」
アンは記憶力には自信があった。
それに、アンは誰にも明かしたことは無かったが、秘密の趣味があった。
それが、『愛の華』の二次創作。
アンは二次創作小説を書いては投稿サイトへ投稿も行っていた。
小説を書くにあたって、矛盾が起きないよう細々とした設定まで纏めることも楽しんでいた。
だから、アンは『愛の華』に関する情報には自信がある。
「推しカプはエルタツだけど、あくまでも雑食でよかった~! 全キャラルート穴があくまで見たからね……!」
『愛の華』はどのキャラのルートに進むかによって起こるイベントも必要なアイテムも全て変わるのだ。
もし推しカプ・エルタツだけを見ていたら持っている情報は心許なかっただろう。
「はぁ……せっかくなら推しカプちゃんを生で拝みたいな……エルヴィンの美形っぷりを目の当たりにしたい……」
ぴたりとノートにペンを走らせる手が止まる。
「もしかしなくても、エルタツちゃん……生で拝める可能性ある……?」
タツミが召喚されるまであと10年。
エルタツを語る上で欠かせないのが、エルヴィンの鉱物である『クロワッサン』だった。
なんと言っても、エルヴィンの趣味は『パン屋巡りならぬクロワッサン巡り』。
エルタツの初デートでもクロワッサンを買いに行く位である。
つまり。
「10年で超有名なクロワッサン屋さんになれば……エルタツちゃんが買いに来てくれる……!?」
何の因果か、ジュディはパン屋の女将さんである。
これはもうパン屋になれという神からの思し召しとしか思えない。
きっと、男の子の代わりに死んだ自分を憐れに思った神様が、最後に温情をかけてくれたのだろう。
「神様……感謝します……!!」
絶対に推しカプを生で拝んでみせる。
美咲は力強く頷き、ノートに大きく『エルタツちゃんを拝む』と記すのだった。
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