第4話 それは、犬を羨む驢馬ように


「おい……、起きろあらたか。」


 懐かしい声が聞こえる。


「ったく、なんでこんな事になっているんだよ。」


 悪態を吐きつつも、声の主は体を揺らして起こそうとしていた。

 そもそも――、


〝――何で俺は寝ているんだ?――″


 記憶が定かではない。

 女神とその従者による一方的なリンチを受け、不愛想な村人と出会い、巨大な熊の一撃に耐え切れず地に落ちて、そのまま気を失ったような、曖昧な記憶が僅かに残っている。

 それら全て、夢だったのではないかと疑いたい気持ちからか、聞き覚えのある声に俺は安堵していた。


「お前が言い出したんだろ。」


 寝ている俺に向けて、声の主は語りだす。


「こんな世の中だけど、面白い場所があるって。」


〝――そうだ。伊吹いぶきを連れだしたのは、確かに俺だ――″


 身内を亡くして、自分は世界一不幸だと言わんばかりに塞ぎ込んでいたあいつを、俺は無理矢理に引きずりだした。


「本当に迷惑な奴だよ、お前は……。」


 デリ何とかに欠けるとか、周りからは注意されたこともあったが、荒んでいただけの俺を叩きなおしてくれたあいつに、そんな悲壮の顔は似合わない。

 あいつのおかげで俺が立ち直れたように、今度は俺があいつを支える番だ。


「でも……。少しわかった気がしたよ。」

「何が分かったんだ?」


 目は閉じたまま、そのままの体勢で質問を入れる。


「……、起きてたのかよ……。」


 質問の答えではなく、突っ込みが返ってきた。

 そのまま気にせず続きを言ってくれればよかったのに、伊吹はそう言う所が鋭い。


「いや、いま起きたばかりだ。」


 とは言え、ごまかす必要もない為、俺は素直にそう答える。

 そして、話を戻そうと質問を繰り返した。


「それで、何が分かったんだ?」


 俺が起きていたかなんて別にどうでもいい。

 伊吹が言おうとしていた、その続きの言葉が無性に気になった。


「別に隠す様な事でもないけど……、まぁいいか。」


 伊吹は観念したかのように口を開く。


「それは……。」


 しかし、伊吹が言いかけたところで、俺の意識は現実へと引き戻されたのだった――。




第4話 それは、犬を羨む驢馬ように


 意識が戻ると、あまり見慣れないものが目に映った。

 ログハウスのような木造の天井。

 いや、天井と言うよりは、屋根の内側が露わになった状態と言っていい。

 雨だけを凌ぐ程度の粗末な造りだ。


「いてっ。」


 起き上がろうと力を込めると、全身が鉛のように重く、手足の先から節々に至るまで痛みが走る。

 どうやら、女神との一件も熊みたいな獣との戦いも現実みたいだ。


「起きたか、少年。」


 現実に打ちのめされていた俺に、女の声が届く。

 女性と言うよりは少女に近い。

 見た目からすると、同い年くらいか年下位に思えた。 


「ああ。俺はどれくらい眠っていたんだ?」


 返事をし、あれからどれくらい時が経ったのかを尋ねる。


「さっきまでだ。」


 どうやら俺は先程まで寝ていたみたいだ。


「……。え?」


 質問の仕方が悪かったのだろうか、予想とは斜め上をいく返答が返ってくる。


「いや、そうじゃなくて、どれくらいの間寝ていたかを知りたいんだが。」


 ならばと、もう少し分かりやすく聞いてみた。


「倒れてからさっきまで寝ていた。これでいいか?」


 よくない。


「そう言う事じゃなくてだ、何時間とか何日とか、そう言う単位で教えてくれ。」


 俺の普通がおかしいのか、それともこの世界ではそうなのか、こんな些細な所でカルチャーショックを受けるとは思わなかった。


「あたしに時間はわからん。どうしても知りたければ親父に聞いてくれ。」


 いや、文化的な違いだけじゃなく、単にこいつがバカなだけなのかもしれない。


「わかったよ。んじゃ次の質問。」

「おう!次は何だ?」


 このまま聞き続けても埒が明かないと思い、俺は質問を変えようと提案する。

 その少女は、嫌そうにするわけでもなく、素直に俺の質問を待っていた。


「ここはお前の家か?」

「ああ、そうだ。」


 簡単な?質問には、自信満々に即答で返ってくる。


「ここには何時からいるんだ?」

「生まれてからずっとだ。」


 分からない――、と言うか、時間や年月に関しては大雑把に、それでも分かる範囲でと言った感じに即答で返ってきた。

 どちらも即答であることは間違いない。

 ただ、もう少し考えるとかしないのだろうかと突っ込みたくなる。


「お前、歳は幾つだ?」

「歳は数えるのが面倒でやめた。あと、お前じゃなく、あたしはテンカだ。」


 歳の計算は面倒でやめるレベルのものなのだろうか。

 これもカルチャーショック――、いや、こいつがバカなだけだという可能性も捨てきれない。


「1足す1は?」

「1だ。」

「バカだ……。」

「バカじゃない、テンカだ!」


 バカだった。

 いや、アホな子なのかもしれない。


「なんだその目は。かわいそうなものを見る目で見てくるな。」


 ムッとした表情で、その少女――、テンカは反論していた。


「だいたい倒れているお前をここまで運んだのはあたしなんだぞ。感謝の言葉があってもいいんじゃないのか。」


 確かにその通りだろう。

 あの窮地を(恐らく)脱し、ここで寝ていたと言う事は、テンカが運んでくれたと考えるのが普通だ。


「アラタカだ。」


 俺は名を名乗り、痛みでぎこちないながら手を刺し伸ばす。

 その手を、テンカは躊躇いなく握り返す。


「助けてくれて感謝する。」

「おう。よろしくだ、アラタカ。」


 この世界に来て、俺はまともに会話できる相手にようやく出会うことができた。


「そう言えば、あの熊みたいな獣はどうなたんだ?」


 一段落したことで、俺は戦闘の結末を聞いてみる。


「フォレストグリズリーの事か。あれなら帰る途中に解体して、引き取り屋に売ったぞ。」


 聞きたかった結末のその後のストーリーが明かされ、本来知りたかった倒す場面の描写は語られなかった。

 こういう所でも些細なずれが生じる。

 カルチャーショックなのかバカなのか、或いは両方なのかもしれない。


「なるほど。どう倒したのかとかは覚えているか?」

「ああ、ぶった斬ったぞ。」


 想像通りの返答に、これ以上聞く気は失せてしまった。

 とはいえ、それを聞いたところで俺にはできない。

 得た力で身体能力は高められても、テンカが手にしていた大剣をあれほど巧みに操ることは出来そうにないと直感で悟ったからだ。


「あたしの村は狩人の村だからな。みんな剣で獲物を仕留めて生活しているから、ああいうのは日常茶飯事だ。」


 日常――。

 あんな命がけの戦闘が、ここの住人にとっては普通の事なのだろう。

 普段から戦闘を重ね、毎日のように狩りをしてきたからこそ、危機的な状況でも冷静に戦えたのだ。

 狩なんてしなくても、食材として買うことができる世界にいただけの俺に、倒す為の手段なんて元々持ち合わせてなどない。

 改めて、ここが異世界である事を思い知った。


「と言っても、あのサイズに出会う事は珍しいからな。普通はあのサイズに出くわしたら逃げるしかないんだ。そんな大物に立ち向かったアラタカも十分すごかったぞ。」


 意外にも、テンカの口から誉め言葉が零れる。


「俺は何もしてないぞ。倒したのだってテンカの手柄だ。」


 しかし、褒められる様な事は何もしていない。

 能力強化した自分では歯が立たなかったし、強化を施したとしても、それはテンカの戦闘スキルが無ければ無意味だった。


「俺自身が剣を扱えていたなら、もっと楽に倒せたかもしれないのに、死にそうになって、気を失って、結局テンカの足を引っ張っていただけだ。」


 称賛に値しない。

 それは自分自身が一番わかっている。


「俺にも戦う術があれば、あんな無様にやられたりはしな……。」

「そんなことは無い!」


 言い切る前に、テンカの声が割り込んできた。


「無様なんかじゃない。あのサイズのフォレストグリズリーに立ち向かった勇気、身に危険が迫っていた状況であたしに力をくれたこともだ。普通の人はそんなことできない。だから、アラタカはもっと誇っていい。」


 まだ出会って間もないが、こいつはお世辞とか細かな気遣いができるタイプには見えない。

 だからこそ、その言葉一つ一つが本心で、その本心でそう言ってくれたこどが胸に刺さった。


「どうしても自分で倒したいなら、狩りの仕方なら責任をもってあたしが教える。そうしないと気が済まないなら、そうなるまであたしが付き合う。」


 更に、自分に戦い方を教えてくれるという。

 バカっぽいけど、そう言ってくれるテンカが輝いて見えた。


「ありがとうテンカ。なら早速、戦闘訓練に付き合ってくれ。」


 是は急げ。

 その是が何を意味しているのかは勉強不足で知らないが、急げばいいことあるみたいなものだろう。

 まだ痛みが残る体を強引に動かし、俺は立ち上がった。

 そのタイミングで、入口であろう扉が開き人影が中に入ってくる。


「ほう。俺の娘と付き合いたいと言う命知らずは貴様か。」


 その人影の正体は、熊のような大男だった――。

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階層世界アロガンツ~泡沫の夢を紡いで成る世界<閑話>~ もぐにゃ @Akebiyu

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