最終話 愛しい人


 抵抗なんてする間も無く、無理やりスカートをたくし上げられ、彼は私の太ももに噛み付きました。


「痛っ……」


 おそらく、彼も流星様と同じなのでしょう。

 けれど、私の太ももに食い込んだ歯が、痛くて痛くて仕方ありません。

 流星様が私の首筋に噛み付いた時と、比べようにならないほどの激痛でした。


「大丈夫、痛いのは最初だけだから……」


 私の太ももに噛み付いたまま、彼はそんなようなことを言いました。

 温かい液体が、肌の上を蛇のように這って行く感覚は、とても不快なものでした。

 どうにか体を動かして、抵抗しようにも、体内から血液がとめどなく減っていくのがわかるのです。


「いや……だ…………」


 すべて奪われるなら、流星様がいい。

 あの人になら、あの白くて、美しい人になら、奪われて構わない。

 わざとじゅるじゅると音を立てて、私の血液を全て舐めとろうとする————こんな獣のよな下品な男に、一滴だって渡したくないのに……


 どうせ死ぬなら、あの甘い香りに包まれて、あの人の腕の中で死にたい。

 痛くて痛くてたまらない。


 下手くそ。

 何一つ、気持ちよくならない。

 下手くそ。

 下手くそ。

 下手くそ。


 そう思うと、怒りが込み上げてきました。


 こんな下手くそな男に、私は一体、何を許しているのかと……


 薄れゆく意識の中で、天井を見た私は明かりの点いていない蛍光灯を見つめました。


 ————電気をつけよう。


 そうすればきっと、誰かが助けに来てくれる。

 授業をサボって、生徒会室に誰かがいると、気づいてくれるはずだと……


 生徒会室の机の中に手を伸ばして、手探りで中に消しゴム、鉛筆、電卓、ハサミが入っていることを確認しました。

 私はハサミを手に取って、私の太ももを舐めるのに夢中になっている男の後頭部に思い切りハサミ振り下ろしました。


「いっ……何を……!?」


 私の太ももから顔を離したその隙に、私は力を振り絞って走りました。

 電気をつけて、ドアにかけられていた鍵を開け、大声で叫びました。


「誰か……誰か助けて!!」


 誰もいない、真っ暗な廊下に、私の声は何重にも重なって響き渡ります。

 すると、何人か気がついてこちらに走ってきたのです。


「どうした、何があった!?」


 おそらく、月光学園の教師だと思います。

 声を聞いて、授業中だった生徒たちも、教室のドアから顔をだして、こちらを見ているようでした。

 いくつもの赤い瞳が、暗闇の中で光りました。


「助けてください……私は……————!!」


 しかし、駆けつけた教師たちもまた、白い肌に赤い瞳をした男性でした。

 私は、間違った選択をしてしまったのかもしれません。


 太ももから流れ落ちる血を、ぼたぼたと垂れた血溜まりを見て、彼らはゴクリと唾を飲んだのです。

 その目は、襲われた生徒を助けにきた教師の目ではありませんでした。

 この下手くそな男と同じ、下品で、獣のような、理性のまるでない恐ろしい目をしていたのです。


「ダメじゃないか……その制服、陽光学園の生徒だろう?」

「こんな時間に、こんな場所にいるなんて……」


 男たちは息を荒くしながら、私にじりじりと詰め寄り、その後ろからも、廊下に出た白い肌に赤い瞳をした生徒が、よだれを垂らしながら集まってきたのです。

 私は、身体中の至る所にその獣のような牙を突き立てられました。


 冷たい床に、押し倒され、彼らは私の体の至る所から噴き出した血を舐めました。

「次は俺の番だ」「早く代われ」「いや、俺が先だ」と、押し合い、いがみあい、罵り合いながら、私に流れる血を全て奪い取ろうと必死でした。


 もう助からないのだと、全てを諦めた時、私の鼻腔があの甘い香りで満たされます。


「まったく、もう二度と来てはいけないと言ったじゃないか。本当に、君たち人間は聞き分けが悪いね」

「流星……様……」

「————美波」


 烏合の衆の中で倒れていた私を抱き起こし、流星様は低く響きのあるあの声で、私の名前を呼んでくださいました。

 ああ、なんて、なんて幸せなことでしょう。


「美波、大丈夫だよ」


 流星様が、私の名を呼び、白くて、美しい手で私を撫でてくださっているのです。

 流星様が、穴だらけになってしまった私の体を、優しく撫でてくださっているのです。

 流星様に撫でられた場所から、不思議と痛みはなくなっていきます。

 麻酔にかけられたような、けれど、触れられている感覚だけはあって————


「仕上げは僕が、してあげる」


 流星様は、私の首筋に噛み付きました。



「流星様……わた……し…………せ」


 消えゆく意識の中で、最後に見えたものは、白くて美しい流星様の、白によく映える血で染まった真っ赤な舌をペロリと出して、少年のようにいたずらに笑っているお姿でした。


 ああ、なんて幸せなんでしょう。


 愛しい人に、すべてを捧げることができて、私は幸せでした。






 死んでもなお、私は流星様のそばにいたいのです。

 こんなにも欲深く、下品でいやらしい女の死体ですが、どうか、決して誰にも見つからないところに埋めてください。

 ずっと、あなたのお傍にいられるように、あなたの傍に、どうか、どうか、お願いします。




<完>


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煩い人 星来 香文子 @eru_melon

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